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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2014年02月

そして2月が終わる (2011年2月28日)
そして今年も2月が終わる (2012年2月28日)
そしてまた今年も2月が終わる (2013年2月28日)

 いつのまにか毎年恒例となっていて、今年で4年目にもなるから何かを書かねばと思うし、書きたい気持ちがないわけでもないが、多くのことを書く気にはなれないでいる。というのが、今年の2月の終わりだ。
 1年ごとに綺麗な区切りを打ってくると、ただでさえ年度末が近いという状況も相まってかその時々に自分がどこに立っているかを確認できるという面白さはあった。とはいえ一番面白いのは、あとになって振り返ることだろう。去年ならともかく、2011年や2012年のこの時期に何考えてたっけと言われても具体的に、明確には思い出せない。何をしていたかは思い出すことがある程度可能だが、「何を考えていたか」を思い出すのは容易ではない。

 だから今改めて3年前、2011年の今日に書いたことを振り返ってみた。3年経って、どれくらい成長しているだろうか。人生はまっすぐ進んでいくものだと思っていたが、3年経つと実はそういうものでもないというのが分かるようになった。原因はいろいろあるし、後悔を数えればキリがない。
 それもまた人生かもしれない。だから今言えるのは、「人生はまっすぐ進んでいくもの」では必ずしもないでいうことと、「まっすぐ進んでいく」人生でなくとも、とりあえず人生は続いていくということだろう。だからと言って、どういった人生でも肯定できるわけではない。イージーなものもあればハードなものもあるし、ポジティヴなものもあればネガティヴなものもある。得るものもあれば失うものもある。
 一時の気の迷いのようなものだったかもしれないが、すべてが嫌になったこともあったし、何もしたくない、手につかないという日々もあった。どうしようもない日々だったし、その日々を「乗り越えた」とは思っていない。ただ通過してきただけだ、とりあえず。
 
 かつての2月の日々が振り返っているように、次に繋ぐことに対してようやく少しは前向きに、素直に向き合えるようになったかもしれない。かもしれない、のはまだ強い確信など持てていないからだ。たった一度の絶望は、多くのものを奪っていく。けれどもその剥奪をもたらしたのも他ならぬ自分の弱さや未熟さであって、つまり向き合うところはそういったところなのだ。外部ではない。
 いま、自分に対して向き合えることがあるとするならば、まずは過去の自分の書いた言葉をかみしめることだろう。過去の自分は別の人間のようなもので、そうであるならば不思議と心強くもなる。かつての日々が、そのときは大きな意味を持たなかったかもしれないことが、ある種の救いめいたものに変容するなら、なるほど歳をとることはまんざらではないのかもしれないと思う。
 
この数年、見ようとも思っていなかった他人の人生に、部分的ではあれ介入するようになって気づいたのは、結局のところ他人の人生に責任なんか取れないってことであり、それは自分に対しても同じってことだ。もちろん責任はある、けれども、人は自分の力ではどうしようもないくらい多様な関係に絡め取られていて、場面場面での選択が人生のルート分岐を決定するなんて、ゲームみたいに単純にはいかないのだ。

今年は僕にとって、26歳で最初の本を出してから10年という節目に当たる。当時から「あんな柔らかい本を出したらもう大学には就職できない」とも「もう単著があるんだから将来は安泰でしょ」とも言われた。どちらの意見にも賛成はできなかったし、実際そこからの10年、ほぼ3年おきくらいにそれまでのルールがまったく変わってしまうような転機があった。だから若い子たちを見ていても、僕の彼らを見て下した評価だって、ゲームのルールが変わってしまえば無効になることはあり得ると思うし、1年、2年の単位で選べることにそんなに固執しなくてもいいよ、って言ってあげたくなる。

そうした焦りのなさみたいなものは昔からあったのだけど、どちらかといえば「どうせ人って死ぬし」くらいの、ちょっと引いた諦観に近いものだったのかなと思う。けれどこの数年でようやく、目の前の出来事に誠実でありつつ、そのルールが根底からひっくり返っても大丈夫なくらいのしなやかさをもって生きることを肯定的にとらえられるようになった気がする。いまできなかったことが、トータルに考えたら後で何かをなすための条件になるかもしれない。ジョブズの言う点と線の話が示すのは、人生のルートなんてはじめから存在してない、だからこそ後付けの道筋しか自分を証明するものはないってことなんじゃないか。

「どうせ自分で選べることなんてそうはない」というのと、「選べないけれど、だからいいんだ」では、同じように日々の問題に向き合っていても、毎日の見え方はまったく違う。後悔や失敗がいつか何かをなすための条件になるなら、その日までとりあえず、さしあたりの姿勢で歩いていくだけだ。


ルート分岐なんて存在しない」(Soul for Sale)

 鈴木謙介が36歳の誕生日の日に書いていたこの文章を、何度も読み返していた。36歳といえば、今の俺からするとちょうど一回り先の世界だ。そこにたどりつけるかどうかすらも今のところは分からないし、自信なんて、ない。
 でもまあ、なんだろうか。かつての自分にはもう戻れないかも知れないけれど、常に時間は不可逆なのだからどうしようもないし、一つ一つのルート分岐の選択を今更考えてもどうしようもない。そうした「どうしようもないこと」についてのあきらめは、多少持てるようになったように思う。そのあきらめが良い方に作用するか、悪い方に作用するかは分からないし、本当はあきらめてはいけなかったのではないか、と逆に後悔するときが来るのかもしれないが。
 とはいえ、ゲームのように明確なゴールはない。そしてゲームのルール自体はどんどん、変わっていく。「しなやかさ」を持てる人に憧れたことはあったが、憧れだけを持っていてもしょうがない。少しでも近づけるように、そして、もう少しちゃんと生きられるように。少しは「マシな」24歳の日々になることを、2014年2月28日の俺は願っている。
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 以前から気になっていたし、各種書評でますます気になっていたこの本を図書館で借りられたので読んでみた。ほとんど一気読み。3.11の震災後の文学(小説を中心としつつ、小説に限らないあらゆる作品を対象としている)をスケッチしながら、作り手たちが直面してきた「困難さ」(とりわけ、書くことにたいする困難さ)のありかを探る。
 筆者は著書の前半で、かつての災い(戦争など)に対しどのような作品が残されてきたのか。また、かつての原子力や核エネルギーに対する想像力はどのようなものだったのかも簡単に振り返っている。3.11以前以後をとりまく議論は多いが、戦後から議論を出発させる視角は良い試みだと思う。まずは振り返らなくてはならないのだ、一つ一つの経験を。
 もう一つ、9.11に対する想像力との比較もなされる。なかでも、映画化もされたサフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』がとった9.11という事象との距離感についての考察が印象に残った。直接的に9.11を描写するのではなく、やや迂回する形で9.11に対する想像力を端々に織り込み、かつ主人公の少年オスカーの目線で追体験させるという形式は小説的にも(そして映画的にも)非常に魅力的だったのだろうし、9.11とは「そういうものだったのではないか」と時間の経過を織り込んだ上で改めてつきつけてくるのがクリティカルだ。



 小説を中心に、多くの作品が登場する。小説は具体的に挙げるとキリがないが、2011年に書かれたものとしては川上弘美『神様 2011』や高橋源一郎『恋する原発』が俎上に乗り、他方である程度の時間を経て生まれた想像力としていとうせいこう『想像ラジオ』をとりあげる。高橋源一郎にしてもいとうせいこうにしても、このような書き方で3.11を描写したことについて多くの批判があったことだろう。
 その上で木村は、高樹のぶ子が第149回芥川賞の選評で挙げた「蛮勇には蛮勇を」という言葉をとりあげる。『想像ラジオ』はなぜこのような形式で書かれなければならなかったのかを考え、また一定の肯定的な評価を加えるために「蛮勇」という言葉は非常に面白い。
 似たような議論を佐々木敦が昨年末に出した『シチュエーションズ』の中でも行っている。佐々木は和合亮一の「野蛮な詩」が必要とされているという主張を肯定し、さらに詩に限らず求められると言う。
 
その「野蛮さ」とは、単純な意味で「国民感情」と逆立すれば、そう見えていればいいわけではないだろう。「短慮」や「後ろめたさ」や「みっともなさ」だけでないのはもちろんのことだが、「俺だって考えてる」に陥らず、「失語」をも回避するためには、一見「野蛮」とは思えないような、新しい「野蛮」が要請されているのではないか。
佐々木敦(2013)『シチュエーションズ』文藝春秋、p.24

 さて、書くことの困難さについての話に移ろう。本書の中で中心的に議論されていることはいくつがあるが、書くことの倫理からくる困難さについての議論が全体に通底している。その中だと、とりわけ佐藤友哉の主張がつきささる。彼ほどこの事態に対して、作家として、文学を担うものとして痛烈な言葉を発した人を俺は他に知らない。孫引きになるので直接の引用は避けるが、pp.57-58にかけての言葉は非常に力強い。

 木村は「書くことの困難さ」について、本の最後で「どうやら戦後に長い時間をかけて築かれた言論の壁のせいであった」と(暫定的に)結論づける。これはとりわけ第二章で映画『ゴジラ』や『太陽を盗んだ男』、あるいは田原総一朗『原子力戦争』といった原子力文学を一覧した上で得られる結論と考えればよいだろう。
 そしてこれはフランスの書き手たちが3.11について言及した態度と比較した第六章を読めば、非常に分かりやすい。あるいは、木村自身の経験をつづったあとがきを読めばよい。本書のあとがきは「日本人がほとほと嫌になった」と語るカナダ人研究者(木村の友人でもある)の言葉から始まる。本書はこの言葉に対応するために書かれたものでもあると木村はあとがきに記している。大学で講義をする際、積極的に意見を交わす留学生たちと、口を閉ざす日本人学生の差異を気にしたとのことだ。
 こうしたやりとりを読むと、先ほどの「書くことの困難さ」と同じくらい、「語ることの困難さ」が多くの日本人の周りにあったことを思い出させる。いずれも日本の政治文化に由来するものであろう。政治的に語ることは、常日頃わたしたちが忌避していることであって、震災後もそれが維持されている。であるがゆえに、なぜ日本に住むわたしたちはある時期あまりにも身近だった事象について未だ多くの言葉を持つことができないのだろうか、といった現在もなお薄れない問いが立ち上がってくる。

 言論の壁が立ちはだかっている現状とはどのようなものだろう。日本人が日頃から政治的でないという状況もその一つではないか。政治的に振る舞おうとすると周囲に忌避されることも一因だろう。政治は遠く、政治から遠いことがナチュラルであるかのように思っている。
 しかし、杉田敦が『政治的思考』でも触れているように、人が政治から遠ざかっても、政治は人を離しはしない。社会契約に基づく共通のルールの下で日々を生きる以上、政治からは逃げることができないのだ。無視すれば、あるいは遠ざければなおのこと政治は権力を自由に用いることができる。それはめぐりめぐって、少なくとも民主主義社会においては人々にとって大きな損失となりかねない。
 その「語ることの困難さ」を受け入れてしまえば、「失語」に陥りかねない。どうやればこの負のスパイラルから抜け出すのかについては難しく、たった一つの優れたアイデアも容易には期待できない。その上でできることは、どうにかして(倫理的に不当でなければどういった方法でもいいから)「困難さ」に対抗しようと努めること、なのかもしれない。

 小説の言葉は、そうした「困難さ」に立ち向かったり、抗ったりするための力を与えてくれるかもしれない。ヒントを与えてくれるかもしれない。ドキュメンタリーには現実を切り取る力がある一方、小説なら現実以外からも想像力を動員することができる。 
 たとえば木村朗子は本書の終わり近くで、次のように述べている。
 
文学が強度を持つというのは、簡単には単純化されない構造を持つところにある。物語のなかには、作家の意見を代弁する人ばかりが出てくるわけでもないし、いつも複数の価値観やいろんな立場の人間がせめぐように存在しているのであって、ある考えに反した人物が排除されるということはない。だからこそ、清濁のすべてを見渡せる智者として有事のときには作家の発言に人々は期待をするのではないか。
本書 p.237

 あの日からもう少しで3年が経過する。木村が言うように、まだまだ読むべきものはたくさんあるし、まだまだできることはたくさんあると思いたい。少なくとも「失語」に陥らないために、もっと多くの言葉を求めてよいはずだ。








 これは佐々木の『シチュエーションズ』刊行を記念したトークイベントの映像で、震災直後に『311』を撮影した映画監督の一人でもある森達也が応じている。こちらも一覧あれ。


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