2012年07月

2012年07月27日

思わぬところで過去に支えられているかもしれない

 ふと受験生ブログランキングっていまでもあんのかなーと思ってググったが、昔見ていたところはもうなかった。amebaがやっているのはヒットしたけど。あと昔見ていた受験生ブログとか同じ人が書いた大学生活のブログなんかのリンクをいくつか見つけたが多くの人が大学1年生の途中で更新が止まっているかそもそもNot Foundだった。
 ブログがそれだけ過去のものになりつつあるのか、あるいはネットサービスの日持ちがさほど長くないというありふれたことを意味するのかはよく分からない。単純に素朴に思うのは、長い間ネットをやっているとそのときそのときでしか出会えない文章やコミュニケーションがいかに貴重かということはソーシャルメディアをいくつか眺めていても実感する。ある日突然ツイートしなくなったり、アカウントが消えてしまっていたりということはまったくもって珍しいことではない。

 これはブログ以降に顕著かもしれないが、ネット上でアカウントを取得することで、あとはテキストを連ねるだけでログを残すことができるようになった。ブログが画期的だったのはHTMLだとかCSSだとかをシステムに組み込んでいるのであとは書くだけ、ということはもちろんだけど、アカウントを作る/作らないという文化を定着させたことにあると思う。ソーシャルメディア全盛の時代にブログはややかすんではいるけれども、ブログが根付いたからこそ(あるいはケータイサイトで日記サイトやプロフサイトが根付いたという現実もある)文字によるネット上のコミュニケーションの裾野は格段に広がったんじゃないか。
 とはいえ、当たり前ではあるが前述したように多くの人が長続きするわけではない。長く続けるためにサービスを使うことを想定している人はさほど多くはないだろう。流行っているから、あるいは周りの友達がやっているからといったトレンドやクチコミ性に多分に影響を受けているはずである。
 
 前置きがごちゃごちゃしてしまったが、ここで書きたいのは表題にあるように、コミュニケーション自体は長続きしないかもしれないが短期的には継続性を持っている。結果、Not Foundになってしまうと別だがログ自体は残る。そのページのリンクをたまたま踏むことで、思わぬところで過去に支えられているかもしれないと思わずにはいられない。
 支えられている、と書くとやや大げさというか感傷にも見えるかもしれないがそこまでのことがここではとりあえず考えない。素朴に、あのときあの人とこういうコミュニケーションをしていたのか、だとか。あんなことをあのときは思っていたのか、ということを振り返るきっかけを過去ログは与えてくれる。ログであるがゆえにバイアスは入らないそのままの情報だし、支えられているというよりはなつかしく思う、が適切かもしれない。

 少し話は変わるが、去年の暮れごろからハマっている四つ打ち系アイドルユニットのTomato 'n Pineの"Life is so beautiful"という曲の歌詞に次のようなフレーズがある。

素敵な日々は続いてく さらに盛ってくんだ
誰だってキャプテン
出会えたんだ!
駅のホーム いつかのガールズ
響く笑い声を
懐かしく思う ありがとう!


 「今しかできないことはない」と繰り返すサビが印象的な曲で、デビュー曲の"Life is Beautiful"のアンサーソングとして書かれたのがこの曲。この間2年の経過があり、またデビューのころとはメンバーに入れ替わりがあり、2年前といまを対称させる意味もあるのだろうと思うが元曲とはいくつかの場所で歌詞が変わっている。その変わっている部分の中で一番印象的だったのが、上に抜粋した部分だ。
 元曲だと後半の部分が「駅のホーム ベンチがもうスパーク 響け語りエンドレス おしりが冷たい 生きてるんだ!」になっていて、so〜のほうの歌詞を見ると「2年前のわたしたち」を眺める眼差しとも重なっているように思える。ベタに読み取ると元曲から2年後のいま、駅のホームにいる女の子たちの笑い声に過去の自分たちを重ねている、ととるべきかもしれないが、アンサーソングとして書かれているから、こういう推測は悪くはないだろう。
 言いたいことはこうだ。この歌詞は、過去の自分と今の自分を、時間の経過を挟んだことによって別の自分としてはっきりと線を引く一方で、時間の経過という連続性を意識させている。

 過去は過去ではある。ただ、過去は現在に繋がっている。繋がっている、とはっきり認識することができるのはひとつは人のつながりであろうし、自分のなかにある記憶かもしれない。
 自分や自分以外の人が過去に書いた日記とかブログとか、あるいは交わしたメールを最近ちょっとずつ読み返したりするんだけど、当たり前だけど忘れていることが多くてけっこう面白い。一番忘れているのは「感覚」で、変化してしまったらそれ以前のことは忘却してしまうから記録される価値はきっとある。
 感覚には明確な断絶があるように思う。たとえば子どものころ、大人を見上げていた感覚を思い起こすことは難しい。断絶があると感じるのは、明確ではないかもしれないが歳をとるにつれて漸次否応なく変化するものであるからだろう。変化しない場合は、社会から承認を得られないかも知れない。まだまだ子どもだな、と言う言葉を浴びせられることによって。
 
 なんとなく続いていたコミュニケーションはある日どこかで終わっているし、感覚は成長とともに変わっていく。そういうふうにして大人になって、成熟していくんだろうと思っている。
 すべてが刹那的だった、というわけではないが、結果として刹那的だったということが過去を振り返ることによってこんなにも発見するとは正直思わなかった。自分の人生の選択の結果そうなっている部分もあるし、確かに刹那的な生き方を自覚していた部分はある。それでも時間は進んでいく残酷さとか、いつのまにか未来にたどりついてしまっていたりだとか、刹那的であることを自覚しようがしまいが未来はやってくる、ということにはもう少し自覚的になっていいのかもしれない。

 まあそれでも未来に進むためにはせいぞんせんりゃく〜を練らなきゃいけなかったりとかめんどうくさいこととかつらぽよなことがたくさんあるので、過去に支えられているというある種の勘違いをしながら生きていくことにしようと、ここ最近は考えている。
 もひとつ、独りよがりにならないための予防線として、過去から現在、現在から未来はつながっているらしい、という自覚を内面化しながらね。あとは当たり前だが過去の経験はちゃんと生かしましょう、ちゃんちゃん。

今日の一曲
Tomato 'n Pine"Life is Beautiful"
 
元曲のほうだけは公式でようつべに上がっていたので転載。PVは素敵な百合でしたごちそうさまでした。
"Life is so Beautiful"のほうは活動再開後の最初のシングル、『旅立ちトランスファー』収録なのでそちらをどうぞ。わたしは「旅立ちトランスファー」を聴いてトマパイにゾッコン(死語)になりました。

旅立ちトランスファー
旅立ちトランスファー
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2012年07月15日

生かされていく日々とそのよすがについて

 最近は深夜アニメとアイドルに生かされているわけだけど、それって全部女の子じゃないですかーと言われそうなのでなかなかおおっぴらに言えることではない。(*1)ネットではガンガン言ったりするけど。でも重要なのは性的な意味はあまり付加されず、あくまで女の子を見る/観ることの行為性が重要だったりするわけですよ。たぶん。
 そもそも女の子を愛でることに男女の差はあんまり関係なくて(そもそもかわいい、という言葉は女子の特権だったりするわけだ)アニメ好きな女の子もアイドル好きな女の子も一定数いたりする。ボカロ界隈だと消費者は女子のほうが多かったりするわけで、そういう子たちがミクやGUMIかわいーと公然とネットで書き連ねている時代なのだからいやはやインターネットも開放的になったなあ、としみじみしているよ。

 それはそれとして、よくよく考えると高校受験のときとか大学受験のときなんかは好きな女の子がいる、みたいなのがモチベーションになってたりするし、いまはいまで前述したようにアニメとアイドルという2次元と3次元の両方が日々のエネルギーになっているなあということをこの前考えた。たまたまネット上で「素敵な女の子」に救われて生きている、みたいな話をしたんだが、大げさかどうかはさておいて、たとえ世界に絶望してもどこかにあの人がいるのなら、みたいな気持ちはあるんじゃないかな、と思うわけですよ。
 坂上智代が「智代アフター」の最後につづってた言葉とも通じるかもしれないが、だからこそもう絶望しない、と少なくとも暫定的には思うことができる。実際はまた絶望したりユーウツになったり落ち込んだりうまくいかなかったり、というもろもろの心境の変化はあるとしても、どこかでつなぎ止まる気はするんですよね。
 だから女の子最強というのではなくて、たまたまひとつのよすがとして女の子にすがる、みたいなのは二次元的想像力をさしおいても自分のなかにはあるなあと思っている、というお話。重要なのはかっこつきであって、ある種自分のなかで偶像化しているときもあったりするんだろうけれど、偶像化することで自分が生き延びることができるならそうするしかなかったりもする。文字通り偶像的存在であるアイドルの歌う歌詞はいかに非現実的で明るすぎるか、なんてことを責めても意味はない。役割に忠実であるということは、そのぶんより偶像性を帯びて、なんらかの理念型のような形へと近づいていく。理念型だから意味はない、なんていったらどっかの学者が黙っちゃいない。あくまでそうやって想像(あるいは創造)できることに意味があるのだから。

 あとはまあ、ひとりで悶々としたり卑屈になったりするめんどうくさい性格なので、ふと眺めていた深夜アニメとかアイドルソングに救われるのと感じるのはひとりよがりな自分ではいたくない、と思わせてくれる力を持っているからでもある。最近だと夏色キセキとモーレツパイレーツと坂道のアポロンが白眉だったと思うんだけど、並べてみて改めて思うがアニメの醍醐味のひとつは群像劇を1クールないし2クールほどを使ってじっくり書き込めるところにあるような気がする。(*2)緒方恵実の発言じゃないが、明らかに狙いすぎる深夜アニメもままあるなかで、強い物語を提示してくれる、要は骨太なアニメはそう多くない。まあこれは制作の問題とか単純に業界の問題とかいろいろあるだろうから一言でこうだ、とは言えないけどね。アニメの制作数はここ10年ちょいで格段に増えてしまっているから全体としての質は・・・なのはしょうがないんだけどね。
 話を戻すとつまりは何かに生かされていると思うことはそれ自体がひとつの幸せなのかもしれないし、幸せという言葉を使わなくてもよすがが自分の外のどこかにある、ということは一つの力にはなるだろう。その形式というかスタンスというか動機が多少偏っていても基本的に放っておいてくれるとすごくうれしいな、って思うわけだ。共感してもらえるともっとうれしいけどそれはちょっとぜいたくなので、どこかの夜に酒でも酌み交わしながらということでなにとぞ。というかこういうネタで話せる相手がいるのかどうかは不明ではあるが!

 もうあたりまえに流通してしまっていて新鮮味もなにもない結論をいうと、かわいいは正義だしかわいい女の子は最強ということでいいんじゃないかと。別にかわいくないは不正義とは言ってないからね、論理学的に。
 というわけで深夜ネタをブログに起こすことをしていいのかどうかはアレな感じもしつつ、たまにこうやって雑文を殴り書きしたいので新しくカテゴリを作ってみた。またいつか、気が向けば。

*1 まあ、あまり小難しいとか堅い人間だとかに思われるのをふせぐためにわたしはただのオタクです、と弁明することはたまにある。

*2 余裕があれば今度春アニメまとめと夏アニメの雑感、みたいなことを書きたい。ちなみに夏アニメはP.A.WORKSの新作であるTARI TARIに断然期待してるけどクドリャフカ編にはいった氷菓とか、ノイタミナの夏雪ランデブーあたりが楽しみ。

Recommend



トマパイではWADAちゃんが好きなんですがYUI(小池唯)はさすが安定の美人さんだなあ、と再確認したMV。

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2012年07月10日

【書評】柴崎友香「わたしがいなかった街で」(『新潮』4月号掲載)

新潮 2012年 04月号 [雑誌]
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わたしがいなかった街で
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 いつだったかは忘れたが少し前の朝日新聞を読んでいて、この話と青木淳吾の『私のいない高校』が三島賞をあらそったと聞いて気になって読んでみた。ちょうど本作の収録されている新潮が手元にあったので(買ったときは震災特集目当てで買った)スルーしてたが、柴崎友香という作家は素朴に気になっていたのでこの機会に長いのを読んでみようと思い、読み進めた。
 『また会う日まで』という、本作と人間関係の構造が似ていなくもない本は読んでいたのだが、そのときはあんまりしっくりこなかった。ただ、本作はなかなか思ったより骨太。もう一押しふた押しあればという感じはするが(こういう終わらせ方だと少ししぼんだようにも思えるし)良作にはなっていると思う。
 あ、あと最近単行本が刊行されたが書店でチェックはできていなくて、これはあくまで新潮掲載のものを読んでのレビュー、ということでひとまずよろしく。ほとんど変わってないようならこの文章を改稿していずれサイトのほうにも載せると思います。

 30代、万年契約社員状態の平井砂羽の趣味は録りためたドキュメンタリーを見ること。それも戦争や戦場のドキュメンタリーを特によく見ている。アフガン、イラク、ベトナム・・・いつかあった歴史的な景色がテレビの中で繰り広げられる。
 なぜ好んでみているのかは分からないがHDDがうまってしまうくらいには彼女は好きらしい。だが実際起きた出来事を知るのはあくまで画面を通してであるし、当然時間差がある。たったいま世界で起きていることをいま知ることはできない。ある日彼女は気づく。

 まだやっている。ここだけでなく、そこでも、あそこでも。まだやっている。ずっと、やっている。そんなものだ、と。
 どんな大きな事件も悲惨な戦争も、最初の衝撃は薄れ、慣れて、忘れられていく。また事件や戦争が起こったら、忘れていたことを忘れて、こんなことは経験したことがない衝撃だ、世界は変わってしまったと騒ぐけれど、いつのまにか戻っている。戻ったみたいに、なっている。
(p55)

 いきなり引用を挟んだが、ひとつの着目点は彼女が見ているものについてになる。見ている光景はなにか、そこでなにがおこっているのか。過去の戦争や戦場との類似はあるのかないのか。そしていつまで続くのか・・・終盤に彼女がドキュメンタリーを長い間見続けていて感じたことを、友人の有子の父、富士男に吐露するシーンがとても印象的だ。彼女が感じたこともひとつの真実ではあるはずだから。

 戦争や戦場に関すること(海野十三『敗戦日記』の挿入も含め)への関心も多くを占めるが、基本的には現在と過去の人間関係のなかで揺れる様を描写していくのが大きな構成としてある。関西と東京の人間関係がクロスするのは『また会う日まで』でもそうだったのだが、本作だともう少し関西(とりわけ大阪)と東京の距離があるなあ、というのを読んでいて感じた。特に心理的距離、という意味で。

 その心理的距離を象徴するのが大阪時代の友人であったクズイという男やその妹葛井夏なのだが、クズイは失踪したという設定になっているので回想のなかでしか登場しない。もうひとり大阪時代の友人である中井が頻繁に登場するが、中井よりもクズイの存在感が大きく感じるのは過去との距離を平井砂羽がひたひたと感じているからだろう。もうひとつ、父の死という過去の出来事も含め。

 そういう読み方をすれば、彼女の見ているドキュメンタリーも、人間関係における喪失も、すでにおきた出来事にかなりの割合で影響を受けている平井砂羽、という人間像だろう。他方で、会社の同僚であり若手でもある契約社員の加藤美奈がいま、そして未来を見据えて生きる存在として描写されている。アモイ出身の彼がいること、正社員への昇格を目指していることなど、どちらも平井にはないものである。遠くから来た誰かや、まだなされていない願望といった物理的距離と非物理的距離の双方が、平井にとっては遠く映っているのだ。

 もちろんそれ自体はたいしたことではない。もっとわかりやすい歳の差という距離もあるし、気にするか気にしないかも含めてささいなことではある。だが特になにも持たないからっぽな存在である平井砂羽にとってはささいなことではなく、決定的なことでもある。もしくは、そうなりうる。

 からっぽな平井砂羽がどのようにつきぬけるんだろうかと期待していたらしぼんでしまったのが最後の方の展開だったので、明確な答えは出せなくてももう少し前半のように吐露する感覚があってもよかったようには思う。彼女がとりあえずたどりついた答えが悪いとは思わない、が最後にあれを書くだけなら長々と彼女の悶々を描く必要はなかったはずだ。もしかしたら枚数の問題なのかもしれないけれど。

 ただ、リアルな戦争の描写を大量にインストールしながらひとりの人間像を構築していった、その過程を描いたことには三島賞候補になっただけの力量を感じる。わたしが”いなかった”街(過去、世界のどこか)と、わたしが”いる”街(いま、ここ)を何度も何度も繰り返しめぐることで時間の幅を感じさせるし、結果としてそれはわたしの未来をめぐる手がかりにもなっているように思える。
 ありきたりな言葉で言えば自分探しなのかもしれないが、不安なわたしの所在を遠くの、あるいは過去の誰かやどこかを通すことでみつめたい、という欲求は珍しいものでもない。
 もう少し、いろいろと読んでみたい作家だとは感じたので、最近いろいろ読んでいます。


* 本作では後半に葛井夏の視点からも書かれていて、夏の視点と砂羽の視点の絡み合いを指摘できなかったが、『新潮』8月号掲載の古谷利裕の書評が夏と砂羽の相互関係について触れているので、興味のあるかたはどうぞ。古谷の書評のなかでは「そこ」と「ここ」をめぐる、砂羽の「腑に落ちなさ」についても触れられていて、本作のもつ視点入れ替わりや置き換えの妙味をついた書評になっている。

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2012年6月の読了本

6月の読書メーター
読んだ本の数:10冊(今年通算48〜57冊)
読んだページ数:2464ページ
ナイス数:18ナイス

生者の行進 (ハヤカワ文庫JA)生者の行進 (ハヤカワ文庫JA)
ハヤカワが売り出そうとしているひとりの作家らしく、書き下ろしで出ていた新刊であるが手に取ったときの印象よりも骨太で楽しく読書できた。キャラの力に頼りつつストーリーを動かしているという印象があるが、主要なキャラ4人相互の関係性や周辺の脇役への目配りも丁寧に成されていて人の書き方に関しては充実していた。それぞれに罪や負い目を抱えながら、自分自身の半生と向きあい、目の前の相手に本気でぶつかるあたりは青春ものの醍醐味。読み始めと最後がまったく印象の違う冬子(だが芯の強さは顕在)にはついつい惹かれてしまう。
読了日:06月24日 著者:石野 晶
セカンドアフター vol.1セカンドアフター vol.1
総じて面白く読んだが、兎男さんのあの花論は秀逸。めんまを生と死の両サイドから論じる語り口は珍しいものでもないが、議論の組み立てかたが骨太で読み応えあり。荘厳という概念を引き出したことも含めて、あの花を語る上では読んでおいて損はないだろう。
読了日:06月24日 著者:熱海 いかほ,イワン,兎男,ココネ,てらまっと,志津A,椚 一樹
商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)
読了日:06月22日 著者:新 雅史
その街の今は (新潮文庫)その街の今は (新潮文庫)
「わたしがいなかった街で」を最近読んだがいくつか共通するようなところがないわけではないな、というところ。街の時代感を素朴な目線やなんでもない出会いを通じて書いてはいて、リアリティはあるんだけど少し弱くて、いろいろと惜しいなという感覚が残る。
読了日:06月22日 著者:柴崎 友香
海流のなかの島々 (下巻) (新潮文庫)海流のなかの島々 (下巻) (新潮文庫)
悲しい人生だった、と言うことは簡単だろうけれど、悲しいだけの人生ではなかった、というほうがより適切なのだろうと感じた。享楽と情熱と仕事と、父と子あるいは男と女として。人生を一言で言い表すことの不可能さをつきつけられているようにも思える。が、それでも悲しさという感情がある程度の適切さを持つのだろうとも思えるくらい、ヘミングウェイの筆致はあっさりしている。その淡泊さが絶妙、なのだろうなと。
読了日:06月19日 著者:ヘミングウェイ
社会科学のリサーチ・デザイン―定性的研究における科学的推論社会科学のリサーチ・デザイン―定性的研究における科学的推論
大学院の授業のテキストとして使用。かなり幅広く方法論について述べているが、授業内の説明では因果的推論と因果的効果に焦点を当てて議論してはいるが、推論の元となる仮説の設計についての議論は本書では十分ではない、ということだった。
読了日:06月16日 著者:G.キング,R.O.コヘイン,S.ヴァーバ,真渕 勝
Size and DemocracySize and Democracy
読了日:06月10日 著者:Robert Alan Dahl
天冥の標6 宿怨 PART1 (ハヤカワ文庫JA)天冥の標6 宿怨 PART1 (ハヤカワ文庫JA)
久しぶりにラゴスに会える巻。フェオドールも元気。それ以外にもいままでのいろんな人たちがじわじわつながり始めているなあという感想。
読了日:06月08日 著者:小川一水
介護保険制度の総合的研究介護保険制度の総合的研究
タイトル通り、介護保険導入前史として90年代の厚生労働行政の流れをくんだ上で2000年代になって導入後、さらに改正後までを概括した一冊。論文集という形式をとっていて同じ主張を繰り返し行っていることから、重複する箇所がかなり多い。この一冊を読めば二木立がこの15年から20年ほど何を考え、何に言及してきたかが分かるという意味では面白いかもしれない。
読了日:06月06日 著者:二木 立
ベーシック・インカム入門 (光文社新書)ベーシック・インカム入門 (光文社新書)
経済学的潮流とBIを絡めて論じる4,5章は面白かった。意欲的ではあるが、この一冊ではそんなとこかな。
読了日:06月03日 著者:山森亮

2012年6月の読書メーターまとめ詳細
読書メーター



○ほかに読んだもの
松浦理英子「奇貨」(『新潮』6月号)
→中編程度の長さではあるがなかなかの傑作。まずはメインとなる男女の設定のうまさと、そのコミュニケーションのめんどうくささや変態さを、過剰に書かず淡々と描写しているのも妙。どうしようもない主人公のどうしようもなさにあきれつつもうまくはねかえしているようなヒロイン七島さんの魅力がとてもよい。
松家仁之「火山のふもとで」(『新潮』7月号)
→文章が秀逸。内容に合った落ち着いた、それでいて個性的な登場人物を丁寧に描写することに成功している。新しい図書館のコンペに向けて、というのが一つの話の核心にはなっているが、主人公を含む周りの同僚たちの人間関係がどうなるのかを楽しみながら読んだ。内容的にも文体的にも硬派ではあるが、久しぶりに味わい深い小説を読んだ、という感想が一番ふさわしい。

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