今週になってやっとこさインターネットがつながりました。あれやこれやしてみましたがふつうに俺の設定ミスでした、どうもありがとうございました。
そして無線LANの設定もやってるんだがこっちはこっちでうまくいかなくてなえぽよです。
3月25日、大学の学部の卒業式を迎えました。とはいっても大学院進学なので最初はあまり実感はなかった。イニシエーション的な式典をやって、そのあと一枚の紙切れを学生証と引き替えに受領する。あるいみ、モノに着目するとそれだけであって、それ以上ではないかもしれない。
卒業しましたというときに、あるいは言及するときにはきっとそういうモノよりも精神、つまり個々の内面に何かの動きがあって、卒業したという表現を使うことが多いはずだ。で、その内面の実感は26日になって少しずつ沸いてきたよ。
ああ、ひとつの時代が終わったな、と。
まだ終わったばかりなので具体的に振り返ることはちゃんとできないというか、進学する身なのでまわりの4年生大学卒業→就職!っていう流れとは違っていて、簡単に言うときれいには乗っかれない。気持ち的にも最初は乗っかりづらかった。
それでも別れを惜しんでくれる友人がいたり、電話を鳴らしてまで一緒に写真を撮ろうと言ってくれた人がいたり、一緒に卒業式に出席できてよかったという古い付き合いの女友達がいたり。4年間の密度は俺が思っていたよりも濃いものだったのかもしれないなあ、と感じた25日だった。
というわけで恥ずかしいので面と向かっては言えなので、俺らしく文章で記しておくことにする。こっからは箇条書き
・卒業式にアラームを鳴らせてすみませんでした
→携帯電話のはちゃんと切ってたんだけどね・・・ソニータブレットのアラームは盲点だった。
・卒業生意外と多いすなあ
→一緒に出席した女友達とも話してたんだが、人大杉という言葉がよく似合う感じだった。法学部とか院生もいたとはいえ、多かった。
・ワインはおいしい
→ゼミにはいって2年間、たんまりワインを呑みましたが最後までおいしかった。
・日本酒もおいしいのではなかろうか
→ゼミメンバーで打ち上げして、そのあと二次会で日本酒と魚のおいしい店にいったんだけど、これもなかなか。いつもよりは割高だったけどメシも酒もうまいのならオツなものであるよ。
・再会のきっかけとしての卒業式
→1年生のときの語学や基礎演習の面々と久しぶりに再会した。ほとんどの人とはもう会うこともないだろうから、最後に一目会えたのは単純によかった。
・袴は華やか
→直前まで振り袖と勘違いしてましたどうもありがとうございました。ワセジョのみなさん美しかったですどうもありがとうございました。
とりあえずはこんなところだろうか。
卒業式の一日を過ごして思ったのは、あたりまえだが式辞などを聞いていてもこっち側の学生たちがこれから社会にでていく、という前提の式なのである。もっと簡単に言うとあなたたちはこれから社会人になるのです、ニッポンを背負う若者として頑張って下さいね、という感じ。
なのでニッポンをまだ背負わない立場として学生を継続する自分はどうももどかしいというか、一日を過ごして最後に別れてやっとこさ実感は沸いてきたものの、宙ぶらりん感はある。
率直にだけど二次会であんなにみんながマジ泣きするとは思ってなかったのですよ。俺も少し泣いちゃったけどね。
最近ミュムさんが上げてた新曲(アルバム収録なのですでに聴いてたが)「花咲く路地で」を聴いていると、印象的な歌詞があった。
少しずつ大人になった
戻れない場所が幾つも
箱庭の中に
いやがおうでも大人になっていくとしても、その歩みひとつひとつは小さなものだ。こう、一気に学生から社会人へ、っていう風に送り出されたとしても、すぐになにかが大きく変わるわけではない。変わる必要もないのかもしれない。
ただ、いつかふりかえったときに、結果的に少しずつ大人になっていたな、と思えるような人生であるように生きていくことは忘れちゃいけない気がする。歩みはいつか止まるかも知れないし、戻るかもしれないけど、それでもまた少しずつ、前へ前へ。
そうやって生きているうちに「戻れない場所」がいくつも増えてくるのは、これまでの経験でもそうだったのだからこれからももっとそうなんだろうなあ、と思う。
一期一会というありきたりな言葉を使うまでもなく、個人的には「いま目の前にある奇跡」(*1)を楽しみつつ、生きていけたら生きることそれ自体が豊かになる。と、思っている。(*2)
個人的な都合でいうと根が刹那主義というか、場当たり的な生き方をしているので、いま目の前をどうサヴァイブしてつぎに繋げていくか、を意識しないとどうしようもこうしようもないから、とも言えるんだけどね。
気がつけばあっというまの年度末なので、マジで明日から、来年度からいっしょうけんめい頑張りましょう。というところかな。
4年間いろんな人に世話になりました。ありがとう。インターネットにはふだんから遍在してるし、まだもうすこし東京にいるのでそのへんで機会があればよろしく。なにとぞなにとぞ。
*1 二次会の終了間際に各自スピーチをする機会があって、簡潔にと先生がおっしゃった(と思う)のでほんとうに簡潔に済ませてしまったんだけど、周りはそれぞれいままでを振り返っていまにつなげるような素晴らしいスピーチだったので半ばアチャーと思っていた。簡潔にすませた中でも「いま目の前にある奇跡」っていうどこかワイルドアームズの香りもするような言葉だけは絶対に使おうと思って使ってみたよ、というお話。少しずつ前へ、っていう意味で「明日からも頑張りましょう」で締めた。
*2 伊坂幸太郎が『砂漠』の最後のほうで「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」
という言葉を引いていて最近ちょくちょく人前で使ってたりする。そしてこれ、元ネタはサン=テグジュベリだったのね。なるほどねえ。
今日の一曲:ミュムP「花咲く路地で」
あと、せっかくなのでこの曲も。3月も終わりますなあ。
古川本舗「三月は夜の底」
そして無線LANの設定もやってるんだがこっちはこっちでうまくいかなくてなえぽよです。
3月25日、大学の学部の卒業式を迎えました。とはいっても大学院進学なので最初はあまり実感はなかった。イニシエーション的な式典をやって、そのあと一枚の紙切れを学生証と引き替えに受領する。あるいみ、モノに着目するとそれだけであって、それ以上ではないかもしれない。
卒業しましたというときに、あるいは言及するときにはきっとそういうモノよりも精神、つまり個々の内面に何かの動きがあって、卒業したという表現を使うことが多いはずだ。で、その内面の実感は26日になって少しずつ沸いてきたよ。
ああ、ひとつの時代が終わったな、と。
まだ終わったばかりなので具体的に振り返ることはちゃんとできないというか、進学する身なのでまわりの4年生大学卒業→就職!っていう流れとは違っていて、簡単に言うときれいには乗っかれない。気持ち的にも最初は乗っかりづらかった。
それでも別れを惜しんでくれる友人がいたり、電話を鳴らしてまで一緒に写真を撮ろうと言ってくれた人がいたり、一緒に卒業式に出席できてよかったという古い付き合いの女友達がいたり。4年間の密度は俺が思っていたよりも濃いものだったのかもしれないなあ、と感じた25日だった。
というわけで恥ずかしいので面と向かっては言えなので、俺らしく文章で記しておくことにする。こっからは箇条書き
・卒業式にアラームを鳴らせてすみませんでした
→携帯電話のはちゃんと切ってたんだけどね・・・ソニータブレットのアラームは盲点だった。
・卒業生意外と多いすなあ
→一緒に出席した女友達とも話してたんだが、人大杉という言葉がよく似合う感じだった。法学部とか院生もいたとはいえ、多かった。
・ワインはおいしい
→ゼミにはいって2年間、たんまりワインを呑みましたが最後までおいしかった。
・日本酒もおいしいのではなかろうか
→ゼミメンバーで打ち上げして、そのあと二次会で日本酒と魚のおいしい店にいったんだけど、これもなかなか。いつもよりは割高だったけどメシも酒もうまいのならオツなものであるよ。
・再会のきっかけとしての卒業式
→1年生のときの語学や基礎演習の面々と久しぶりに再会した。ほとんどの人とはもう会うこともないだろうから、最後に一目会えたのは単純によかった。
・袴は華やか
→直前まで振り袖と勘違いしてましたどうもありがとうございました。ワセジョのみなさん美しかったですどうもありがとうございました。
とりあえずはこんなところだろうか。
卒業式の一日を過ごして思ったのは、あたりまえだが式辞などを聞いていてもこっち側の学生たちがこれから社会にでていく、という前提の式なのである。もっと簡単に言うとあなたたちはこれから社会人になるのです、ニッポンを背負う若者として頑張って下さいね、という感じ。
なのでニッポンをまだ背負わない立場として学生を継続する自分はどうももどかしいというか、一日を過ごして最後に別れてやっとこさ実感は沸いてきたものの、宙ぶらりん感はある。
率直にだけど二次会であんなにみんながマジ泣きするとは思ってなかったのですよ。俺も少し泣いちゃったけどね。
最近ミュムさんが上げてた新曲(アルバム収録なのですでに聴いてたが)「花咲く路地で」を聴いていると、印象的な歌詞があった。
少しずつ大人になった
戻れない場所が幾つも
箱庭の中に
いやがおうでも大人になっていくとしても、その歩みひとつひとつは小さなものだ。こう、一気に学生から社会人へ、っていう風に送り出されたとしても、すぐになにかが大きく変わるわけではない。変わる必要もないのかもしれない。
ただ、いつかふりかえったときに、結果的に少しずつ大人になっていたな、と思えるような人生であるように生きていくことは忘れちゃいけない気がする。歩みはいつか止まるかも知れないし、戻るかもしれないけど、それでもまた少しずつ、前へ前へ。
そうやって生きているうちに「戻れない場所」がいくつも増えてくるのは、これまでの経験でもそうだったのだからこれからももっとそうなんだろうなあ、と思う。
一期一会というありきたりな言葉を使うまでもなく、個人的には「いま目の前にある奇跡」(*1)を楽しみつつ、生きていけたら生きることそれ自体が豊かになる。と、思っている。(*2)
個人的な都合でいうと根が刹那主義というか、場当たり的な生き方をしているので、いま目の前をどうサヴァイブしてつぎに繋げていくか、を意識しないとどうしようもこうしようもないから、とも言えるんだけどね。
気がつけばあっというまの年度末なので、マジで明日から、来年度からいっしょうけんめい頑張りましょう。というところかな。
4年間いろんな人に世話になりました。ありがとう。インターネットにはふだんから遍在してるし、まだもうすこし東京にいるのでそのへんで機会があればよろしく。なにとぞなにとぞ。
*1 二次会の終了間際に各自スピーチをする機会があって、簡潔にと先生がおっしゃった(と思う)のでほんとうに簡潔に済ませてしまったんだけど、周りはそれぞれいままでを振り返っていまにつなげるような素晴らしいスピーチだったので半ばアチャーと思っていた。簡潔にすませた中でも「いま目の前にある奇跡」っていうどこかワイルドアームズの香りもするような言葉だけは絶対に使おうと思って使ってみたよ、というお話。少しずつ前へ、っていう意味で「明日からも頑張りましょう」で締めた。
*2 伊坂幸太郎が『砂漠』の最後のほうで「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」
という言葉を引いていて最近ちょくちょく人前で使ってたりする。そしてこれ、元ネタはサン=テグジュベリだったのね。なるほどねえ。
今日の一曲:ミュムP「花咲く路地で」
あと、せっかくなのでこの曲も。3月も終わりますなあ。
古川本舗「三月は夜の底」