Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2012年02月

 うるう日ですね。4年前の今日の記事を軽く振り返りつつ今日のことを書きます。
 なんか最近振り返り系の記事が多いですがストックがいっぱいあるので有効活用しましょう。
 
 4年前の今日は大阪での国立入試を終えて、卒業式まで宙ぶらりんの一週間のうちの一日、だったような気がする。
 『さよなら妖精』を読んでたのは、たぶん高校時代の間に改めて読んでおかないと大学生になってしまうといまが完全に過去になってしまうとか、そんなことを考えていたからだと思います。「初読のときとは違い、自分が主人公達の年齢になっていることへの驚きが一つ。あんまり実感はないんだけど」と書いているくらいなので。実感を得てしまうその前にもう一度、というところかな。
 クラスには数人女子が来てたんだけど確か男は俺だけで、静かな部屋の片隅の窓際のイスに腰掛けて、のんびり読みながら過ごしていたのを覚えている。長い勝負が終わって、非常におだやかな晴れた午後だった。4年後の同じ日にガンガン雪に降られるとはまさか思わない。

 というわけで、今日は雪に降られながら国立新美術館に行ってきました。文化庁メディア芸術祭と、五美大卒展を見るために。どっちも同じくらい楽しみにしていたのでとても楽しかったです。
 3時間有ればある程度見られるかなあと思ったが全然足りなかった。午前中に来て一回中休みして、午後にまたというプランが妥当だっただろうなと思う。メディア芸術祭も新美の展示しか結局見てないしね。
 実は初めての国立新美術館だったんだが、とてもきれいで大きくて、近くの森美術館同様とても未来的で21世紀的な作りだった。あっちは森ビルだから豪華だし、こっちは国立なので豪華、ってところなのかな。

 五美大卒展には武蔵美、多摩美、女子美大、日芸、東京造形大の人たちが参加してた。ちゃんと見たのは有名な最初の2校かな。違いがちゃんと分かったわけではないが、さすが美術の世界では有名大だけあるなあという展示だった。
 来訪者のある人が言ってたけど「ただうまい」だけならどこの大学もほとんど差がないと思う。あるのは学部生か院生か、の差くらいかな。要はそれ相応のクオリティみたいなものです。これは美術に限らずどの分野でも言えると思うけど。
 ただ、表現力というか、作品を通じて何を伝えたいのかという点への工夫では武蔵美と多摩美が抜けていたのかなあと思う。細かい部分は本当に分からないのでちゃんと論評する気とかは全然ないんだけど実感としてはそんなところ。ただこの2大学以外でも個性的で面白いなあと思う学生の作品はもちろんあったし、大学ごとの卒展だとその大学のカラーしかないけど、見比べることができた利点は単純に多様な作品に出会えたことだと思う。
 時間的に余裕があれば3階でやってた東洋美術学校の卒展も見たかったけど、メディア芸術祭を見たかったので残念ながら。卒展も芸術祭も今週日曜日までやっているので無料だしお暇な方はぜひぜひ。卒展ですこし残念だったのは製作者の顔が見えなかったところかなあ。大学別の卒展だと直接お会いできる可能性も高いと思うけど合同展なので、っというところなんだろうか。
 今月は卒展めぐりをしていてこれで4回目、計8校を見てきた。(*1)いくつか見ていると数だけで膨大になるわけだけど、ある程度全体を眺めつつ気に入った作品の前に立ってじっくり見る、という流れで見ている。自分の好きなものが見つかるのは喜びだし、その気持ちを伝えるためにノートに感想を書いたりしながら、そのときしかない体験を大事にする。写真も撮れる場合が卒展は多いけど、前に立つという行為の希少性は揺らがず重要なのかなと。

 で、メディア芸術祭なんですが国立新美術館では受賞作がそれぞれ展示されているという感じ。大賞を大きく扱いつつ、他の賞や推薦作品はスクリーンで個別にという感じ。
 大賞といえばまどマギを見ないわけにはいかないので見てきたけどうめてんてーの原画とかまどかの等身大(っぽい)立体フィギュアだとか、全話のダイジェストに「コネクト」をあてた動画だとか、なかなか見られないものが多くて単純に楽しかった。ただでさえ雪だし平日なのでそんなに人はいなかったけど週末は混むんだろうなあ。ブースそんなに広くなかったし。
 それ以外もいろいろ見てきたけど印象的だったのはamazarashiのPVと「rain town」かな。後者はニコニコに上がっているのを去年見てたいへん感動したのでぜひ見に来たかった。

 

 1つしか歳が変わらない人が卒業制作としてつくった作品なのだが、切なさといとおしさ、あたたかさとつめたさなど相反する感覚が内包されているけれども全然バランスが崩れていないのがまずすごい。そして静かな音楽で進む映像に、勢いこそないけどいつのまにか引き込まれるのが印象的だった。久しぶりに見たからだと思うけどかなりぐっときた。 
 会場では原画とか設定画が展示されていて行ってよかったと思った。今回新人賞を受賞したようだけど新人賞でこれだけ大規模に展示されるのは本当にすごいなあ、と思いつつ。

 4年前と今日をつなぐものがあるとすれば、情感あふれるコンテンツに触れて一日を過ごしていたことだろう。今日くらいは、今日くらいは自分の好きなものにふれて、楽しくかつのんびりと過ごせたらという思いがあったようななかったような。
 4年後はなにやってるんだろうね〜。学生はもう卒業してくれているとありがたいんだがwまあ、4年後がもしお休みの日なら、同じようにのんびりと何かに触れて過ごしてみたいといまは思っている。

*1 2月頭に東京芸大@上野キャンパスと多摩美造形表現学部造形学科@上野の森美術館、中旬に東京工芸大@ベルサール秋葉原and秋葉原UDXを見てきた。多摩美は2回見たことになるけど同じ作品はなかった気がする。そして来月末にもう1回八王子キャンパスに見に行きたい。
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 早すぎて信じらんない!くらいには今年も2月はあっというまだったような気がする。半分くらい卒論を書くために費やしてたので、そういう締めきりがあると時間というのは一気に過ぎていくんだなあと改めて感じました、まる。というところだろうか。
 後半は引っ越しの準備をしてたので(というかまだ荷造りが終わってなくて続けているので。手続き系はほぼおわたはず)これはこれで時間の経過が早かった。自分である程度手配してやる引っ越しは初めてなので手続きとかそもそもダンボールってどこでげっとできるっけとかよく分からんことだらけだったがなんとか間に合いそうでほっとしている。
 ネットが開通したらポイントをうん万いただけるらしいのでそれでネットブックかラブプラスでも買おうかなと考えていますね。春だし。

 さて、まずは一年前の月末に書いた「そして2月が終わる」というエントリーをちょっと振り返ってみる。
 
(就活などで)こうやって動き回る一方で得た様々な気づき、そして1ケタしかないとは言え春休みということもあってゼミ論を提出してからは久しぶりに「考える」時間ができた。

 これはかなり大きかったというか、ここで「考える」ことをしていたから今につながっていると思っている。もちろん、そうしなかったらそうしなかったときの人生はあったと思う。けれども今ここでたらればをするつもりはなくて、重要なのは過去を振り返って今後にどう繋げていくかだと思っている。
 そんな感じのことは

 2月は自分自身を回顧することが非常に多かった、ということ。ネットの利用から、就活のスタンスまで、自分が何を考えてきたのか、何をしてきたのか、そしてこれからどうするのか。
 不足しているのは後者、つまり未来に向けてこれからどうするのか、である。振り返るだけ振り返ったはいいが、逆に言えば今後についての見通しは甘々だったことも痛感した。
 今はどうにかこうにか、3月以降に繋げますように。速く終わらせることよりも、納得のいく形で終わらせて、来年以降に繋げていきたいと思っている。

 一年前も書いてたりするんだけどね。こういうことは定期的に振り返って確認できればいいなあと思うし、そのためにブログを書き続けているという側面もあったりする。
 実際「納得のいく形」ってのはあやふやなものだし簡単じゃないんだが、自分なりにどこで納得できるかは変化していくからこそ振り返らないと忘れてしまうこともある。一つ一つ経験していくなかで未来に繋がれば一つの形にはなる、はず。というところで。

 で、つぎに今月の頭に書いた「そして2月が始まる」を振り返ってみよう。
 「生命とは、明日を生きる権利だ」という言葉を引いてこれから先どうやって生きていくか、みたいなことを書いている。締めが俺らしいなあと思っていて
 歳をとることを肯定的にとらえるとすれば、それはすこしまえに記事にしているようにまだ見ぬものへの純粋な期待や好奇心があるというところだろうか。そういう気持ちをしぶとさに変えて、生き残っていけたらひとまずはマシな人生になるかな、と思いつつ。

 要は膨大な過去とも向き合いながら未来へ進まなければならない(倫理的に)という環境の中で板挟みのようになっている。そういうことを一番意識させられるのが大学を卒業する前の春休みなんじゃないか、というお話。
 俺の場合は春からいわゆる「社会人」になるわけではないのだが、それでも環境は変化せざるをえないなかで、その先のことも見据えながらどうやって生きていくかを考える必要がある。生存戦略的な目に見えて分かりやすいものというよりは、自分の中のメンタルの問題、要はどうやったら未来を前向きにとらえられるようになるか、というところに引っかかりがあるような気がしていた。だからわざわざ「権利」という言葉を引いているようにも思う。

 さて、今年ももうすぐ2月が終わる。今年もいろいろと考えたし、人と会ったし、いろんなものを見てきた。
 そして22歳になりました。俺にとって2月とは、否が応でも自分と向き合わざるを得ない月だとずっと思っている。肯定的にも、否定的にも。過去も未来も現在も。ほんとうにいろんなことを考えてしまうのが毎年のこの時期の過ごし方になっている。
 単に歳をとるだけとも言えるが、今までの人生のなかで3回ほど(0歳のときをのぞく)入院中のベッドで誕生日を迎えたこともあるくらいなので、まず第一に健康であることが一番の救いだったりもする。そこが最低ラインというか、健康に歳をとれただけまだまだ生きていかねばならない、とも思ったりする。それこそ、生命とは明日を迎える「権利」なのだとするならば、行使せねばあまりにももったいないからね。

 最近考えているのは前へ進むためには心も体も軽くした方がいいんじゃね?ということ。考えれば考えるほど心が重くなったりもするのでそういうときは考えないほうが健康にもいい。
 そういうふうにバランスをとれるようにしないと身を滅ぼしかねんし、タフな日々を生きていくためにコントロールする能力はきっと必要。たとえば必要以上にネガティブにならなくてもいいとかね。これは性格なのでまあ難しかったりもするんだが。
 体も軽く、というのは文字通り健康を持続できるかということと、体力を維持できるかということ。ちょっとずつあったかくなってきたらもう少しランニングの回数を増やすとか筋トレをするとか、そういう単純なことを積み重ねられたらいいな、と思う。
 もちろん簡単に心身二元論には還元できなくて相互に関係しあっているので、両方ともをいい状態にして、それを持続させることというのを基盤にしたいな、と。何かやりたくても、あるいはやらねばならなくても、心や体がまず整わないとしゃらくさくてアレ、なので。卒論書いているときが実はこんな感じだったので非常に疲れた。
 
 あと、軽くするというのも重要で、これは最近引っ越しの準備をしているからかもしれないがある程度モノは自分の届く範囲でいいと思うし、心も別にすり減らすほど何かに注視しなくてもいい。
 どこまでコントロールできるかとかバランスをとれるかは正直よくわからんし、あまり得意ではないのも確かなんだが、意識できる範囲で意識できればいいかなととりあえずは考えている。そのほうが生きやすいのなら、そういうふうに生きてみるほうを俺は選ぶ。ある意味それだけだとも思っている。

 そんな感じで今年もひとつ歳をとったわけですが、3月になっても、今後とも、ネットとリアルの両面でよろしくお願いします。 
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 twitterで@QB0という有名なアカウントがあるんだけど、その中の人である十姉妹氏が少し前からブログをやっていて、それを眺めるのが日課になっていた。最近ちょっと漏れがあってまとめて読んでいたら興味をそそる文章があったので少し語ってみる。

 「ボクが「わたし」だった頃」という、インターネットにおける疑似人格とか疑似恋愛の話を書いているんだけど、本質は最後の4つめのエントリーで書いているように「依存」をどうとらえるか、にあると思いながら読んだ。(*1)
 内容自体は2ちゃんねるまとめなどでも転がっている話だし、実際ありそうだけど、ないかもしれない話だと思う。平たく言えばネット恋愛と病気を絡めたお話なので、気になっている方は読んでいただければ、と思う。その内容の正否とかを問うつもりはここではまったくない。常にほんとうと嘘は混じり合っているものだし、それは特別インターネットに特有なものではないからね。
 というわけでここからはネタバレありなのでご注意を。

 前提としてあると思うのは、掲示板文化とはなんだったのか、というところだろう。このお話がどれだけ昔のことかは分からないが、有名なのはもちろん2ちゃんねるだ。ただ、多くの人は2ちゃんねるよりも有象無象存在していた個人サイトのBBSや、ゲームの攻略サイトであったり、何かのファンサイトであったり、いずれにせよ2ちゃんねるほど大規模ではなくて、明確な管理人がいるようなところでコテハンを使いながら交流をしていたんじゃないかと思う。
 今でもある程度の規模はあるだろうが、mixiが登場して以降は少し様相が変わってきているはずで(ちゃんとした統計があれば知りたいものだ)たぶんmixiが登場するころかその少し前の話なのだろうと思う。2000年前後から、2000年代中盤まで、といったところだろうか。
 いまではツイッターやfacebookもでてきているので、個人情報はとてもオープンになっている。個人的には、なって”しまっている”ような気さえしている。

 で、そのころの掲示板はひとつは文字通り掲示として使うためにあった。用は伝達事項のような感じや、来訪者の足跡みたいな感じで、スレ立てをする方式ではなくてツイッターのタイムラインに近い。個々の応答はあるが、誰もが横並びに書く感じ。
 もうひとつはスレというものを誰かが立てて、その下に多くの人がレス(返信)をつなげていく方式がある。この場合、レスが一定程度に伸びるとたいてい新しいスレがスレ主によって立てられる。人気のスレだと1時間もすればあっという間に埋まってしまう。2ちゃんねるを見れば分かりやすい。
 もちろん一定規模の掲示板でなければスレが埋まる、という現象すらないだろうが、十姉妹氏の記事を読むと常連と呼ばれる人たちが一定数いて、毎夜毎夜わいわいとしていた様子がうかがえる。
 同じ頃にチャットも流行っていたが、チャットはかなり流動的だ。スレはレスはどんどん伸びていくがスレ自体はストックとして残る。あとで見返すこともできる。多数がわいわいコミュニケーションするという意味では似ているけど、チャットはいまのツイッターに近いシステムだったと言える。

 長々と書いてしまったが、掲示板とチャットのいずれにも共通することで言えば個人の特定がしづらいことにある。IPアドレスを表示させる形式もあるが、たいていは名前で特定することしかできない。文体である程度分かるとはいえ、その人が本当にその人なのかは見分けづらい。いわゆるなりすましがしやすい。
 ソーシャルメディアもなりすまし問題がないわけではないが、多くの人がソーシャルメディア上でブログ、ホームページ、日々の活動の情報を公開し、それがストックとして残り続けている以上はなりすましは簡単にはできない。(*2)リスト機能はその人の繋がりを表しているし、どういう属性を持ちうるのかが他者によって定義されるのはソーシャルメディアのひとつの特徴と言えるだろう。
 そしてもちろんそんなことは掲示板ではできない。それではちょっと知らなさすぎる、ということで前略プロフィールといういまでいうプロフサイトの大御所がよく作られていた。ただ、どこまで一般的だったかは分からないし、ソーシャルメディアのような他者による定義も不十分だし分かりにくいので、一定の限界はあったと言える。プロフィールに嘘を書いてもばれないからね。

 こうした前提で十姉妹氏の記事の「その4」を読むと、彼が体験したことがほんとうなのか否か、の判断はきわめて難しくなる。インターネットがこわい、とマスメディアなどで騒がれ続けた要因もおそらくこのへんにあるのかなあと思っていて、要はどこの誰とも分からない人とネットの外で会うというのは一定のリスクを伴うことになるのだ。
 ソーシャルメディアは個々人が情報開示を積極的に行うことによって、こうしたリスクを下げ、対面の精神的コストも下げているように思う。嘘であることを始めに示している人もいるが、基本的に多くの人は事実やほんとうのことを書くので、誰かが嘘を言っていると疑うことはあまりない。妄想のことを書く人はいるが、その人にとってはそれがほんとうなので、主観的な意味で嘘を書くひとはかなり少ないだろう。
 ただ掲示板やチャットなんかでは、嘘をつきやすいことを逆手にとって嘘を楽しむ文化があった。男性が女性になりすます「ネカマ」もそのひとつと言っていいだろう。
 こう考えると、十姉妹氏が体験したことはほんとうでもないし、嘘でもないということになるのではないかと考えるのが妥当ではないだろうか。もちろんこれは現実世界でもそうであるが、コミュニケーションにおいては見栄を張る場合もあれば自虐する場合もあるから、ほんとうと嘘は入り交じっているものだ。そしてネット上の掲示板においては、その混淆を持続させることができる。演技と言っていいかもしれないが、どこまで嘘モノなのかは誰にも分からないかもしれない。

 十姉妹氏とやりとりしていたと思われる人(女性であると仮定する)がコミュニケーションを求めていたのは確かだろう。それこそ「依存」するように毎夜毎夜出没する理由は病気が原因かどうかは分からないにしても、求めていたはずだ。そして彼女は十姉妹氏と親しくなった。
 美談とも悲話とも言える結末にどうこういうつもりは最初に書いたように俺にはない。ただ、いまの2ちゃんねるがそうであるように、ほんとうかもしれないし嘘なのかもしれないお話が流通する、というその土壌は10年以上前から脈々とあって、そうしたことを特に古参のネットユーザーは楽しんできたはずだ。勝手な推測かもしれないが、大事なのはほんとうか嘘なんかではなく、おまえと話すことなんだという感じだと思う。
 そして周知のように、こうした感覚はソーシャルメディア隆盛のいま再びはっきりと可視化されている。ツールやインターフェイスはどんどん進化するが、本質はそれほど変わっていない。もちろん、ツールが変わればかつてできなかったことができるようになる一方、かつてありえたことが難しくもなるけどね。
 掲示板では上で書いたような半匿名状態だったけど、常連と呼ばれる固定の層になるとある程度扱う話題もノリも共有されるし、思っているよりも親しくなったり踏み込んだ話ができたりする。俺がいたコミュニティでは進路とか恋愛の話も珍しいものではなかった。実名じゃないとうんぬん、という人はこういった時代を経験してほしかったな、と思う。いまさら無理だけどね。
 
 こうしてふりかえると、『ウェブ進化論』の梅田望夫が夢見たインターネットは日本においてどこにもなかった、は言い過ぎかも知れないが彼の場合夢の見方を間違っていた可能性が高い。(*3)雑な見方だとは思うが、総表現社会というよりは総コミュニケーション社会というほうがふさわしいとさえ思う。
 いまからさらに10年後にいまを振り返ると、またなつかしい話が出てくるのだろうと思う。他人の体験になつかしさを感じるのは、その文脈をリアルタイムで共有していたからに他ならない。どこかにありそうなお話の魅力は、もしかしたらここにもありえたかもしれないという夢想にある。
 あのころは楽しかったという回顧厨的な振り返りではなく、あのころも楽しかったし、いまも楽しい。けれど、あのときの独特の空気はやっぱりちょっとなつかしいなあ。そんな感想を、十姉妹氏の記事を読みながら感じていた。
 
 10代の前半の、幼くも未熟だが若々しい感性のころにインターネットに触れられたことを幸せに思っている。(*4)誰と出会えるか分からないこわさもあったが、それをはるかに上回る好奇心があったのは確かだ。田舎に住んでいて行動範囲も狭い当時の自分が好奇心を満たすことができたのはインターネットのおかげに他ならない。
 もちろん10年前とかの当時交流していた人の大半とはもうほとんど交流はない。それでも、中学時代から知っていて、大学生になり上京して初めて出会えた人たちも何人かいる。ソーシャルメディア隆盛以降はオフ会が当たり前になってしまったが(東京に住んでいるという利点ももちろんあるだろうが)オフ会というよく分からないけど面白そうな場所に出て行くワクワク感は、ただただなつかしいの言葉で語れてしまう。 

 いろいろ書いたけどなつかしい気持ちを思いだし、かつ面白い話を読めたので楽しかったです、というところです。
 十姉妹氏は社会派の記事も書いていて、素朴な文体だが聡明さも感じさせるのでそういう方面で興味が有る方はぜひぜひ。リーダビリティに優れているので、そのへんはさすがだなあと思う。といいつつも俺は俺の文体を貫きます。
 

*1 「その1」のリンクだけひとまず貼っておきます→http://ameblo.jp/jyusimatu105/entry-11169052831.html

*2 本当にその人が書き込んでいるのかどうかまでは分からないので、そういう意味ではなりすましはできるのかもしれないが別人になることは困難だろう。

*3 このへんの、日本に独特のインターネットの特性みたいな話は最近読んだ『希望論』の中で濱野智史が詳しく述べている。

*4 こういうふうに書くと80年代はよかった的な回顧厨っぽくなりますねすいませんね!

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 2月16日にブライアン・アダムスの日本武道館公演に行ってきました。7年ぶりの来日にして最終日ということもあって人の入りもなかなかだった。アリーナの盛り上がりに混じりたかったな、という気分。2日公演でこの日にしといてよかったなあというのは前日まで卒論が仕上がらず前日の夜に提出、という運びになったからでして。
 この日はまず午後に国立近代美術館で行われていたポロック展に行ってきたのですが(武道館からも近くだったし)これもこれで面白かった。現代美術には造詣がないので言葉足らずだけどポロックという画家の一生を追いかけるような展示だったのは見応えがあったと思う。次第に加速しつつ、迷走するという芸術家としての幸と不幸を両方味わえるというのは、画家という属人的な仕事を見ることの醍醐味でもあると思う。

 で、夜にブライアンです。色々書きたいことはあるけどまずは雑感から。
 客層だけどやはり全盛期を知っている40代〜50代がすごく多い。男女比は同じくらいかなあ。自分と同じ世代の人とか年下の人はほとんど見なかったような気がする。他の人の感想記事を検索しても60年代とか70年代生まれの人が多かったので、平成生まれの俺がそこにいるのはやはり非常におそれおおかったw 
 あとは外国人の人も多かった。そういう意味でもすげー場違い感も感じながら、定番とされる曲をガンガンやってくれたので盛り上がれた人は多かったはず。
 J-WAVEによると初日が26曲とやや多めだったけどほぼ同じセットリストで、2日目の16日も2時間少々、全部で24曲。(*1)ほぼ休むことなく飛ばし続けたのでこのボリュームで、たくましいオッサンだなあと思いながら2階の東あたりから見ていた。
 武道館自体まあやのバースデーライブ以来約2年ぶりで、ちょうどあのときと同じような場所だったんだけど比較的前のほうにいたので全体を見渡すことはできた。アリーナほどは盛り上がってなかったけど、はしゃいでたり口ずさんでる往年のファンの人はちらほらいてみんな熱いなーという感じで。

 2曲目の"Somebody"から合唱は始まっていて、最初のピークは5曲目の"Can't Stop This Thing We Started "
でした。ノリやすい曲だし、きゃんすとっぴーん♪は確かに盛り上がる。
 前半のヤマは10〜12の、"18 Till I Die"、"Back to you"、"Summer of '69"は曲のイントロがかかり始めるあたりで会場がものすごくわーわーと鳴っていた。特に10はアンセムのひとつでもあるし、盛り上がらないはずはないという感じだった。50をすぎてもこの曲をノリノリで歌い続けているところにたぶんベテランになったいまでもブライアンが人気であることの理由の一つであるはず。
 14の"I Do It For You"でちょうど真ん中折り返し。ここでしんみり聞かせたと思ったら15の"Cuts Like A Knife"でまたまた若々しい曲を歌う。後半は前半ほどのわーっという勢いはなかったけど、17の名曲"Heaven"とか、19の"Cloud Number 9"とか、じっくり聴かせる系の曲が多かったという印象。ラスト3曲はソロパートで、両日とも最後は"All for Love"でしめくくったらしい。毎回ここで締めるのかどうかはちょっと分からないけど、そろそろ最後だろうということはみんな感じ取っていたようで、ここはほんとうに大合唱だった。

 参戦した感想はすげー楽しかった。武道館自体2年ぶりだし、あんまり大きな会場に行くことはなくて年に数回あるかないか、ってところなんだけど、会場全体が見渡せる構造になっていたこともあいまってか高揚が目に見えるというのがめちゃくちゃ楽しかった。
 MCの回数はそんなに多かったわけじゃないけど、比較的ゆっくりとしゃべっていたのでだいたいのことは聞き取れた。日本のファンに7年間待たせてすまなかったとか、武道館はこれで22回目だとか、こっちもテンションの上がるような演出をしてくれるのはさすがだなっと思うところで。

*****

 さて、ここからがある意味本題なのだが80年代を代表するブライアンアダムスのライブになんで世代の違う俺が楽しみにして見に行ったのか、みたいな話をちょっとつらつら書いてみたい。自分語りなので興味のない方はすみませんw
 最初にブライアンを知ったのは小学校高学年のときで、当時公開されていた「Last Dream」というツクール95のフリゲがきっかけだった。このゲームにはブライアンの「Back to you」がテーマ曲としてmidiになっていたりだとか、「Heaven」が重要なシーンで使われたり、「Run to you」がボス戦のテーマになっていたりとどれだけ作者はブライアンが好きだったんだという感じのゲームだった。
 シナリオがSFと恋愛が入り交じった王道のロープレなんだけど、続編がふたつ作られ、さらにあらためて三部作としてリニューアルしたものがツクール2000で配布されるなど2000年前後からゼロ年代前半まで長い間楽しんでいたフリゲのひとつだった。
 
 なのでどちらかというとこのゲームで知った曲がキターという感じのテンションでライブも見ていた、というほうが個人的にはしっくりくる。出会いとはどこに転がっているものか分からないし、当時プレイしていた小学生のころの自分はまさか10年後に東京でライブを見ているとも思っていないだろうし、こういうのはたぶん幸せのひとつの形なんだろうな、と思っている。
 「Last Dream」とそのシリーズはツクール2000の三部作完成版である「Last Dream Trilogy」をもって正式な配布は終了している。そして2007年ごろに作者であるきよきよ氏が携帯ゲームへ移植する、という発表をもって(この話はBBSや日記などで事前から告知はされていたが)フリーゲームとしての配布は完全に終了した。(*2)

 かつて好きだったものをいまでも好きでいられるかというのはけっこう難しい。たとえばこの当時は浜崎あゆみを聴きまくっていたが、いまはもうほとんど触れもしていない。時代の変化もあるし、あたりまえだが自分自身も変化している。
 時代といえばあれだが環境は当然変化していくし、自分自身も変化していく。そのなかでもまだ好きでいられるものはきっとどうしようもなく好きなもの、なのかもしれない。ブライアンを毎日ガンガン聴いてる、というほどではないしライブで久しぶりに聴いた曲が多かったけどそれでも歌詞を口ずさめるのはなんだか不思議な気もしていた。
 新しいものをどんどん吸収していくのは好きで、あまり過去にはしがみつきたくないんだけど、それでも心が求めているようなもの、頭の片隅で眠っているなにか、を再認することができたのは面白かった。こういう日がたまにはあってもいいかな、と。明日も明後日も続いて欲しいとはなんとなく思わないので。ほら、かつて好きだったもの、に向き合うといろいろ思い出してはずかしいしね!

 それでもまあ、たまになつかしい気持ちになれるようにこれからも好きでいられたら素敵なのかなあと思っていた武道館公演でした。2年前のまあやのときとはまた違う多幸感に包まれつつ、九段下をあとにした。
 
*****

Set List(from J-WAVE、2012/2/16)
1.House Arrest
2.Somebody
3.Here I Am
4.Remember
5.Can't Stop This Thing We Started
6.Thought I'd Died And Gone To Heaven
7.Have You Ever Really Loved A Woman?
8.Hearts On Fire
9.Do I Have To Say The Words?
10.18 Till I Die
11.Back to You
12.Summer of '69
13.If You Wanna Leave Me - Touch The Hand(Unplugged)
14.(Everything I Do) I Do It For You
15.Cut's Like A Knife
16.When You're Gone
17.Heaven
18.The Only Thing That Looks Good On Me Is You
19.Cloud Number Nine
20.Run To You
21.There Will Never Be Another Tonight
22.The Way You Make Me Feel(Solo Acoustic)
23.Straight From The Heart(Solo Acoustic)
24.All For Love(Solo Acoustic)

会場:日本武道館
price:8500yen

*1 http://www.j-wave.co.jp/blog/eventarchives/2012/02/17/

*2 検索したら当時の告知文が出てきた。音楽の著作権周りの話も書いてある→http://kiyokiyo.es.land.to/modules/news/ そして、携帯への移植というのも検索したらでてきたのだが、グラフィックが違いすぎてちょっとこれはwという感じがせずにはいられない。とりあえずラファエルがイケメンすぎてだな・・・。やってはみたいが、という感じがする。とはいえフリーから始まりGREEに移植できたのはひとつのモデルなのかもしれない。参考までにこちら→http://www.4gamer.net/games/132/G013217/20110427004/
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監督、脚本:園子温
主演:染谷将太、二階堂ふみ(*1)
原作:古屋実『ヒミズ』(2001年〜2002年、ヤンマガKC)
公式サイト:http://himizu.gaga.ne.jp/


見:シネクイント

 「ヒミズ」という映画がすごい、というのを初めて知ったのはいつだったか忘れたが、確実に見たいなあと思ったのは年末のTBSラジオ文化系トークラジオLifeでの佐々木敦さんの発言を聞いたからだと思う。いろいろと佐々木さんに影響受けてるなあ、と思うがただでさえ園子温監督の最新作だしなんか海外で賞もとっちゃっているようなのでこれはぜひ見に行こう、と思い見てきた。(*2)
 ちょうど〆切りが迫っていた卒論を郵便局にあずけたその足で、渋谷へ。
 あ、このあとはネタバレをそこそこ仕込んでいるので見る予定のある人はご用心。

 最初は絶望と後悔の物語なのかなあ、と思ってスクリーンを眺めていた。主人公の住田も、ヒロインの茶沢景子も、何もない郊外のような場所で、不幸な家庭に生まれ育ち、おおよそ希望と呼べるものを信じるよりも目の前の絶望をどうやって切り抜けていくかが精一杯な日々を生きている。
 冒頭で教師ががんばれ住田、と繰り返しはげますシーンがあるのだが、これがいかに茶番であるかを批判的に映している。まあ学校というものはおおかた茶番としての倫理を教える場所であったりするから、戯画的ではあるがリアルにも思えた。
 住田は「普通に生きていく」ことをただひたすらに願う。逆に言えば普通ではない生活のなかで、「普通」なるものを手に入れるのは他人とは違う形で上昇していかねばならないということだ。そして当然だが、上昇するには中学3年生の力はあまりにも乏しい。
 その力の乏しさや、可能性の小ささゆえに住田はさらに苦しみを露呈していく。言葉には成らないものは暴力によって表出するしかない。文字通り、吐き出すように。

 『輪るピングドラム』の言葉を借りれば住田は(そして茶沢も)「きっと何者にはなれない」側の人間なのだろう。ピングドラムも家族関係が直接マイナスの影響を与えるところから始まる物語だったし。
 ただ、ピングドラムの場合小さくて弱いながらも連帯が描かれる。住田にとって連帯という発想はない。あくまでも自分がまず優先だ。住田にアディクトする少女として描かれる茶沢も、住田にとってはうっとうしい存在でしかない。近くに住み着いたホームレスたちも、場合によっては。
 こういう風に見ると住田は望んで孤独を選んでいるようにも見えるが、孤独になりたいというよりはまず、いかに普通に生きるかを愚直に求めることがあって、その愚直さがこれもリアルに描かれる。何もできないわけではないが、はね返されていく。もっといえば、何も出来ないばかりかどこへも行けない。
 父に続いて映画の中盤で母が失踪するのも示唆的だ。子どもはあまりにも無力だし、世渡りもうまくない。そんな経験も、つながりも持ち得ていないし、そもそもそれらが重要だということにも気づけないかもしれない。

 基本的に話の筋はこれだけだ、と思ってる。うちのめされていく住田の絶望がどんどん深まっていく。茶沢にも無力感しか残らない。それでもひきこまれていくのは、このふたりが小さい体をふんだんに使った演技を展開しているからだろう。泥にまみれるという表現があるが、ふたりとも文字通り泥にまみれる演技が続いていく。
 セリフとしての言葉よりも、体で演じる。演技とは身体性なのだ、ということを改めて感じさせる映画になっている。「愛のむきだし」よりもよほどその点は顕著にでていると思う。いや、セリフの語気も相当すごいんだけどね。それ以上にいい意味で奔放に身体を振り回す。この思い切りがなければこの映画の魅力はおそらく半分も伝わらない。

 物語の核心部分でかつ重要なのは後半からラストに至るあたりだと思うんだが、ここでいくつかの変更があったらしい。といっても原作の古谷実による漫画は未読なのでちょっとよく分からないんだが(なんとなくは分かるがあくまで推察なので書き控える)いくつかの意味はあったのだろうと思ってみてた。
 ひとつは明確に<震災後>を描いていること。冒頭から被災地のシーンが挿入されるとはさすがに思わなかったのだが、この映画のおどろおどろしい空気感は震災や原発の描写(ささやかなのだが)の影響が大きい。つまり、そこから始まるということで一本の線を描いている。原作ファンからしたら恣意的だったり過剰な意味づけに思えるのかもしれないな、とも感じつつ。
 もうひとつは<震災後>という空気とも絡むけど、いまこのときに15歳の肖像をどのように描くか、という点だろう。「ヒミズ」という原作の持つパワーは、おそらくその普遍性にあると思う。大人と子どもの圧倒的な差だとか、そこからくる生きがたさだとか。こうしたものは時代も国境も飛び越えていく訴求力がある。
 ただ、それでも<震災後>という線を引いた以上、あえて普遍的なものにしない工夫がなされたのがラストだったのではないか、と思えた。つまり、いまこの瞬間の日本において求められているものを、愚直ながらも描ききった、というところにある。

 それ自体についての論評はここではしない。俺もまだちゃんと<震災後>の線引きとこの映画との関係性について、整理がついていなかったりするので。
 それでも言えるのは、冒頭で書いたように佐々木敦さんの語りを聞いて、最後がすごいということは見る前から分かっていた。分かっていてもなお、ラスト10分は震えながら見ていた。周りにはすすり泣きをする女性たちも何人かいた。
 この一点においては、つまりラスト10分に感じた震えにおいては、たとえ原作からの決定的な変更がなされていなくても感じたかもしれない。というか感じたのだと思う。結末に震えたのではなく、そのどうしようもなく愚直な15歳の生に、震わずにはいられなかったからだといまなら思える。

 完全にネタバレだが、最後のほうで川に向かって入水しつつ、銃を放つシーンがある。最初に数発空に放ったあとに自分自身に向ける。なぜ、空に数発放ったのだろうか。
 スクリーンを通してみるとそれは祝砲に思えた。朝日の白むなか、一歩ずつ川の深みに足を踏み入れていく。それはつまり死へ向かうことを意味しているようにも見えるが、やけに爽やかに見えるのだ。そこで放たれる数発の銃声は、祝砲にしか見えない。最後につかんだ、希望のようにも見えたしね。

 そしてそこで終わるのか終わらないのか。続きはスクリーンでどうぞ。ネタバレしないと書きたいことが書けないのでいろいろバラしてしまっているが、それでもなお見る価値はある映画だと思う。余裕あればもっかいスクリーンで、生々しい15歳の身体を見たいと思わせられる、力に満ちた映画になっている。まだ見るのは『愛のむきだし』に次いで2作目なんだが、それでこそ園子温なのだろうと思う。(*3)
 
*1 ふたりともそれぞれ第68回ヴェネツィア国際映画祭で新人賞(マルチェロ・マストロヤンニ賞)を受賞。

*2 佐々木敦さんのヒミズ語りはここ(http://www.tbsradio.jp/life/201112252011/)のPart3から聞くことができる。
   それと、もういくつか見に行きたいと思ったきっかけはあって、そのひとつは敬愛する元広告人の大倉真一郎さんの記事(http://d.hatena.ne.jp/shinmoe/20120116/1326669258)で、もひとつはチャーリーこと鈴木謙介さんの記事(http://blog.szk.cc/2012/01/20/himizu-the-movie/)。前者はシンプルに書いているが後者は原作からの重大な変更や後半の住田の決意とその後の行動についての素朴な疑問について書かれている。俺自身はこういうふうにはこの映画を見なかったけどチャーリーさんの指摘はもっともだと思うし、「変更」に対するこういう見立てが実は自然なのかもしれない、と感じた。ひとつの見立てとして。

*3 もちろん原作のパワーも込みで、だと思うのでいつかちゃんと読みたいなと思った。前回漫喫いったときは映画を先に見ようと思ってスルーしたので次回こそリベンジする。
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監督:マイケル・マドセン
脚本:マイケル・マドセン、イェスパー・バーグマン
日本版公式サイト:http://www.uplink.co.jp/100000/

見:2012/2/2@アップリンク渋谷

映画『100,000年後の安全』

 最初に見たのはNHKのBS1「世界のドキュメンタリー」で放映されていた49分の短縮版だった。(*1)淡々と進んでいく放射性廃棄物の”納棺”の映像は、北欧の深い森と白い背景と相まって長い長い埋葬のようだった。事実上、誰にも思い出されることのない状態を目指すのだから、埋葬といってもおかしくはないだろう。弔問者を予定しないという例外を残して。
 今回渋谷アップリンクで1週間限定で79分バージョンが上映ということで2月2日に見てきた。原発にまつわる映画を見るのは去年の4月にこれも渋谷で「ミツバチの羽音と地球の回転」(*2)を見て以来。この映画もなかなか興味深かったんだけど感想残してないんだな、惜しいことをした。

 映画本編について。色々と語り口はあるんだけど、時間への挑戦とその不可能性(おそらく)なのかなあ、と思いながら見ていた。
 100,000年後の安全という邦題にあるように、放射性廃棄物が安全とされる水準とされるまでには10万年の期間が必要らしい。オンカロという施設を100年間かけて作り、そこにデンマーク国内の放射性廃棄物を集めることにより”埋葬”を果たす―が目的なわけなのだが、10万年という数字にまったくもってピンとこない。
 10万年前と言えばちょうどこの前NHKスペシャルでやっていたように、ホモ・サピエンスやネアンデルタールの時代である。もはや人間ではない。もちろんそのころから今まで存在する建築物などない。

 もちろん数字だけをとらえて不可能性への挑戦とも言えない。重要なのは10万年間建物が存続することよりも、いかにオンカロ内部の放射性廃棄物が外の世界に影響を及ぼさないか、である。オンカロはあくまでも棺であり、遺体たる放射性廃棄物を覆うためにはそれだけの棺が必要だった、ということだから。あくまでフィンランドにおいては。
 この映画はだからオンカロ自体を告発しようという映画ではなく、オンカロなどというとてもとても壮大なものを建造しないと葬れない放射性廃棄物の存在だとか、それを排出する原子力発電というシステムを批判するものである。
 ただ、それもどちらかというと控えめなのはオンカロのドキュメントに傾斜している部分が多いからだろう。オンカロの事業会社だとか、中で作業員として働いている人たちの様子とか、登場人物は限られているしとりわけ多いともいえない。
 真っ暗で奥深いオンカロを撮影するのは一定の困難も極めただろうな、という演出がいくつかあって非常におどろおどろしく感じた。これは最初にテレビで見たときより、真っ暗な中で大きなスクリーンで見たときのインパクトのほうが当たり前だけどかなり大きくて、別にホラーでもサスペンスでもないのだがそれらを見ているような感覚にもなったのが印象的だった。

 不可能性という話に戻ってみよう。実は10万年という時間そのものではなく、10万年だろうが100年だろうが、わたしたちの未来を想定することはそもそも可能なのか、という問題に立たされる。だから実の問題は技術面よりも、想像力でありシミュレーションなのだ。
 オンカロの内部に放射性廃棄物を未来の世代に否応なく残すことになる状況で、とりうる方法はふたつだと映画の中で語られる。ひとつは、完全に忘れ去られること。もうひとつは、なんらかの方法で警告を伝えること。このふたつの方法は議論されているがまだ二分されていて決着はしていない。映画のなかでも両方の立場の人がそれぞれの持論を語る。批判としては、前者の場合は世代を超えた責任の問題になるし、後者の場合はその方法が問題になる。100年ならまだしも1,000年後を想定するとしても言語とか変わっているでしょう、とか。
 さっきも書いたけどあくまでオンカロのドキュメントであって、デンマーク国内で原発や放射性廃棄物の問題がどのように人々の中で受け止められ、議論されているかという様子は描かれない。このへんが少し入っていればリアルな感覚が分かってきたのだけれど、という感じは少しした。
 それでもまあ、想像することやシミュレーションができないなかでも何らかの決定をせざるをえない。議論を繰り返してもおそらく完全な解はないだろうし、より良い決断をしていかざるをえない。それはむろん、原子力発電そのものがとりまく問題でもあるだろうね。

 そんなふうなことを思いながら、じっと頭をぐるぐる回している79分だった。普通の映画の半分程度の長さだけどすごく長いような気もしたのが不思議だった。見終えたあともなお、どんより、じわじわとくる。そういえばこれ今年初めて見た映画だ。
 
映画『100,000年後の安全』


*1 内容紹介はこちら。来月にまた再放送されるようなので未視聴のかたはぜひぜひ。

*2 鎌仲ひとみさんという日本人のドキュメンタリー映画の監督がてがけた映画。2010年公開。瀬戸内海の祝島という小さな島の人々と、その近くに原発を建設しようとする中国電力の30年にもわたる戦いのお話。と書くと陰鬱にもなるけど映画の雰囲気はめちゃくちゃ明るいしユーモアたっぷりなので(もちろんシリアスな部分も描かれるが)見ていて単純に面白かった。その祝島のパートと、スウェーデンの電力事情をドキュメントしたパートが描かれる。なんで日本のような技術力のある国が自然エネルギーに力を注がないのか、という趣旨の発言が印象的だった。
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 去年の2月は何をしてたっけか、と思い出すとすごく単純で「就活」だった、というオチ。そうかたった一年前まで俺は就活生というよく分からない人種のひとりだったのかー、という感想をどう伝えていいかはよく分からないが、まあそういう事実はあっさりと忘れられてしまうんだな、とは感じている。
 周りは基本的に「就活」を経て順調に社会に出て行く(この言い方はあまり好きじゃないけどとりあえず便宜的に)のだけど、それを選ばないとすればそれ相応の苦労はつきまとうわけだ。実際苦労したかどうかは置いておいても、自分を試した一年間だったんだな、とは思う。 去年の2月までは就活をしてたが、3月にはもうすでにしていないし、一年前の今月はひとつの大きな分かれ道だったわけだ。たぶん。
 さて、一年経って今年も2月が始まる。一年前の自分が思い描いていた2月を迎えられたかどうかというと、ひとまず来年度以降の居場所を確定させた、という意味ではなんとかなっているほうなのだろう。

 「生命とは、明日を迎える権利だ」というフレーズが最近プレイしている『Stardust Blue』(*1)というゲームのセリフとして出てきた。
 権利という言葉をどう解釈するかだけど、ひとつは権利なのだから履行しても文句は言われない、というところか。どれだけ腐っていようと、どれだけ素晴らしかろうと明日は平等にやってくるし、明日を平等に迎え入れることができる。平等であるがゆえに他者から非難されるべきではない。
 もうひとつは、生命を持っている以上明日を迎える必要がある、というところだろうか。基本的に生権力的な社会に生きているかぎりは、文字通り尽き果てるまでは生命という灯火を紡いでいかねばならない。生命を持つ権利というのは単に、死んでないということの裏返しでしかないのかもしれない。
 
 歳をとるのが嫌になったのはいつからだろうか。
 終わってしまう過去を慈しむように、もう二度とないことへの憧憬だけが肥大するように、過去は時には書き換えられるほどまぶしくも映る。前に進むことの魅力を感じないわけではないにせよ、前述したようにあまりにも先が長いことに絶望したくもなる。
 多くの人が卒業したら就職する大学4年の春休みというのは、長い長い学生時代の終わりを意味する。それはそれは壮大なフィナーレだ。社会人という人種になり、あるいは社畜というカテゴライズをされるのはまだしも、非正規雇用や無職へのルートもすぐそばにある。長い長いサバイバルの始まりを前にしているのだから、卒業式というよりは出陣式とでも言い換えるべきかもしれない。

 とはいえ、あまりにも悲観的すぎる未来をきっと誰もが期待しているわけでもない。Perfumeの「Dream Fitgher」という曲の歌詞にも明確に表現されている。

ねぇ みんなが言う未来ってさ
なんだかんだって 実際は多分
真っ暗じゃなく 光が差して
だけど 普通じゃまだ物足りないの


 俺自身はたぶん、個人としては悲観的だが全体としては楽観的な部類に入るのだと常々思っている。
 個人として悲観的な理由は単純で、楽観的になってしまっては努力を怠ってしまうから。自分を追い詰めてしまうくらいに悲観的になって始めて前に進むエネルギーに変換される。いままでもずっとそうやって生きてきたし、こういう生き方は自分でも時にはかなりキツイと思っているのだが、簡単に生き方を変えられないのは不器用な証拠なんだろうな、と思う。逓減する努力はしているけどね。
 ここであらためて権利という言葉に戻ろう。生きるのはしんどいが、それでも生きていていいのなら生きてやる。逆に言えば生権力と書いたように、簡単には死なせてくれないのが世の常だったりするのだけど、生きることという大きなことを考えるよりは、まずは始めることから考えてみる。外へ一歩踏み出すとか、一文字を書き始めるとか。最初の一手は誰にとっても小さくて一瞬でしかない。
 歳をとるのは確かに嫌なのだが、その嫌という感覚にもっとちゃんと向き合うべきなのかな、と考えてみるい。実際のところは全てが嫌というのではもちろんなく、どちらかと言えば嫌という意味に過ぎなかったりする。個人的には悲観的でも全体的には楽観的なように。別に世界は簡単に壊れてしまわない(悪化はするだろうが)し、自分の生命も簡単には尽きない。そんな感覚も確かに持っている。

歳をとることを肯定的にとらえるとすれば、それはすこしまえに記事にしているようにまだ見ぬものへの純粋な期待や好奇心があるというところだろうか。そういう気持ちをしぶとさに変えて、生き残っていけたらひとまずはマシな人生になるかな、と思いつつ。
ことしも、2月が始まっていく。

*0 今回の記事は去年の2月の終わりに書いた「そして2月が終わる」という記事のエッセンスとかタイトルから着想を得て書きました。また、2月は自分の苦手な冬の終わり、春を迎える準備をするための大事な月でもあり、そして自分の誕生月でもあるという意味で2月には特別な思い入れがある、という意味もあります。新しく生まれ変わるためにね(キリッ

*1 このブログではSeraphic Blueでおなじみの天ぷらさんが2001年に制作したフリーゲーム。セラブルの前作にあたる。テーマは「生命」だとか。年が明けたあたりから絶賛攻略中。
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