Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2011年11月

 さわらぬ神に祟りなしだとか、なるようにしかならないだとか、Untouched(触れない状態)を指すいろいろな言葉があるが、簡単に整理しつつ、それでほんとうにいいの(really better?)ということを考えてみたい。結論はあってないようなものかもしれないけどね。

 最近だとたとえばTPPに関する言及がそれだったりする。
 まず、TPPよく分からんという声が多くて実際に情報の非対称性や先行きの不確定性(*1)は高いように思われるので、単純に分からんというだけで説得力を持ってしまうという現象が起きている。
 別にこれはおかしいことではなく、多くの政策や制度に関して一般の人々は十分な知識や情報を持っているわけではない。それでも生活には遅かれ早かれ影響してくるから、気にはなる。専門家を頼るしかすべがないのは、ある程度必然だろう。
 ただ、その上で専門家の議論を理解できるかどうかでまた別だ。理解、もしくは自分の言葉で咀嚼できるならそれでいいかもしれないが簡単ではない。TPPの場合、貿易に関してはマクロ経済や国際経済の知識がいるだろうし、医療制度改革の場合は社会保障についての認識が必要になる。著作権に関しては法律の知識もだが、文化上京についても詳しくなくてはならないだろう・・・などなど、全部で20を超えると言われる項目をすべて把握するのは当の交渉人にもとうてい不可能なのであって、それでも決断しなければならない理由などないのかもしれない。

 だからなのかもしれないが、賛否はくっきりわかれる。賛成派も反対派も一点突破が非常に多くて、各自が各自の持論を展開する形だ。反対すれば「売国」、賛成すれば「世界の流れに出遅れる」など、レッテル貼りもネットを中心に絶好調である。
 正直分からんという前提の上、言及するだけでレッテル貼りの恐怖にもさらされるのだから、個人レベルではUntouche is betterになるのもうなずける。

 次に、就活反対デモなるものについて整理してみよう。
 早稲田大学社会科学部5年の小沼克之(*1)という人が主宰しているらしいのだが、勤労感謝の日にあったデモについてはデモの前からネットでは賛否両論があふれている。俺の観測範囲では否定する人が多い。
 否定する理由は色々あるようだが、彼らの行為よりは発言を叩く声が多い。思えば、去年神奈川大学の人が主宰していたデモに関しては発言の稚拙さで叩かれるということはそれほど少なくて、就活に反対しても意味がないだとか、ちゃんと就活しろだとか、原理的な叩きが中心だった。
 今年のデモに関しては個人的にも好き勝手やっているな、という印象は受ける。ついったーにも書いたが、彼らは自分たちのためにやっているという側面が強くて、何かを告発しようという印象はない。言っていることも時期の話が中心なので紋切り型というか、あらためて言うまでもないことである。そこにある程度の問題性があることは自明とまではいかないものもある程度共有はされているのだから、一歩先を進めば違った形になっていただろうし、反応も異なったんじゃないかと思う。
 
 声を上げることそのものを否定するつもりはもちろんないが、注目を集める行為をやっている以上、大学のサークルのノリとは違う何かを提供できないと、特に日本の場合はしらけられるだけだろう。
 言いたいことを言う、感じている素朴なことを表明する、というのは問題が顕在化していないときには有効だが、ある程度共有ないし周知されているとデモの様子自体は注目を浴びるかもしれないが、その中身にまでは肯定的に目を向けられない。
 就活の場合景気に左右されがちなので、場合によってはクソゲーがぬるゲーになるかもしれない。だから景気が良くなったときにあえてこういうデモを行うならある程度肯定的に見てとれる。
 
 ただ、日本ではデモ自体が活発とは言えないから、見ている側にこうした認識にいたらせる効果は就活反対デモにはあったのかもしれない。
 今回の場合は特に就活ぶっこわせと言ってしまっている点にも問題があるだろう。じゃあどうするのかももちろんだが、どのようなシステムでもこぼれ落ちる人はいるわけで、就活システムそのものの問題を告発するにしても、こぼれ落ちる人をどうするのかという告発はセットでないといけない。だがぶっこわせ、では後者の視点があまりにも欠けている。エジプトでは再び動乱が起きているようで、ぶっこわして幸福になるとは限らないのである。(*3)
 まあつまり、彼らがどこへ向かおうとしているのか分からない以上、これも不確定性といった点や若者批判と相まってUntouchedになるのが無難であるだろう。

 とはいえ、長期的に考えたときに無難な選択がbetterになるわけではない。以前書いた記事でも扱ったように、特に就活の場合問題がそのまま温存されることになると不満が蓄積されていくだけだろう。勝ち組と負け組の差が別の社会問題として顕在化するかもしれない。ロスジェネ世代が皮肉ながらも良い例だ。
 TPPに関しては風呂敷自体が大きすぎるので議論や言及すること自体が難しいが、農業に限って言っても今後どういう展開を見せるのかは分からない。日本の場合戦後の制度や政策の慣習が生き残っていたりするが、農業はそのいい例だろう。

 つまり、個人としてUntouchedが合理的であっても全体の最適性や未来の最適性は保証されない。このことにどれだけの人が気づいているかは分からない。
 それでも未来にゆっくりと進んでいく。ある意味では、それだけのことなのかもしれないが。


*1 たとえばドーハラウンドは始まって8年に経つが、途中で決裂して進んでいないようだ。TPPは日本のあとにカナダやメキシコが後出しで参加表明してきたり、中国とアメリカが日本をまたいで政治的な駆け引きを行っているなど、外的条件も非常に不安定な感覚を受ける。TPPそれ自体の議論もいいが、果たして決着するのかどうかの議論ももっとされていいと思うのだが。

*2 近い名前の知り合いはいるがたぶんこの小沼某とは知り合いでもなんでもないです。

*3 エジプトの革命と就活反対デモを比べるのは規模や政治的価値という少し筋が違うかもしれないが、目的が達成されればすべてハッピーになるわけではない。違う点を指摘すると、エジプトの場合国際社会の支援もあるから改善はするだろうが、就活反対デモの場合もしかしたら改善すらしないかもしれない。


内容とはあまり関係ないが、キョトンPのこの曲は名曲だと思う。
2ndアルバムも素晴らしいのでボーマス以降毎日聴いてます。
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 昔の坂本真綾、特に菅野よう子の作曲に一定程度支えられることで坂本真綾というシンガーの魅力を発揮していた頃のことをそんなに詳しく知っているわけではない。初めてアニメ以外で目にしたのが「夕凪LOOP」だったと思うので、俺の場合リアルタイムで知っているのはポスト菅野時代の坂本真綾(*1)である。
 あとになって(特に大学入学後に)過去のアルバムを聴くなどして、かつてこういう彼女は歌を歌っていたんだなあという情報を仕入れたりはしたものも、まだまだ俺にとっての坂本真綾は新鮮に聴くことの出来るシンガーのひとりである。

 今月発売になった「Driving in the silence」(以下Ditsと略す。ディッツ)の評判などをネットで巡回して思ったのは、ポスト菅野時代の坂本真綾が十分やっていけることを示しているようにも見えた。もちろん長いファンの人は思うところがいろいろあるようだが、評判はかなりいい。「夕凪LOOP」のころとの違いはそれだ。もちろん「夕凪」はポスト菅野の第1作だったかが批判にさらされた、とは言えるものも。
 面白いのは、ベストアルバムをのぞくと菅野時代の夕凪より前が5枚(うちコンセプトアルバム1枚)で、夕凪以降はDitsでちょうど5枚(うちコンセプトアルバム2枚)で、もしかしたらちょうど今が過渡期なのかもしれないなあと感じた。期間で言えばたった6年で5枚も出しているわけだから、声優や役者も並行して活動しているシンガーとしては活動量が増している、推測することはできるだろう。
 そのひとつの証拠として、2009年にかぜよみライブを行って以降「もっとライブをやりたい」という発言はラジオやインタビューなどでよく見られるようになったし、今年のYou can't touch me!ツアーでは「47都道府県全部回りたい」発言もあったようで、結果的に10公演ではあるが彼女自身としては最長のツアーを果たしている。震災の影響で中断期間もありながら、逆にそれを克服していく形でファイナルの仙台に繋げた今回のツアーは、シンガーとしての彼女の中でかなり実りあるものとなったのではないかと思われる。(*2)

 今年はツアーを終えた後10月にアニメタイアップのシングルを2週連続リリースというキャンペーンも張りつつ、11月に発売となったDitsをひっさげて12月には1週間で5Daysというライブをやるという、15周年企画が終わったあとの彼女のほうがより一層活動量が増しているのではないかと感じる。
 つまり、武道館ライブとベストアルバム「everywhere」発売から始まる15周年企画が今年の彼女を規定しているのではないかと考えることはできるだろう。その伏線として2009年のかぜよみツアーもあるかもしれない。いずれにせよ、たまたまこの期間を東京で生活していることをきっかけとして、そうした彼女の現場を見る機会に恵まれたのは個人的にラッキーだなあと思っている。
 だから2009年のツアーも行きたかったが期末テスト勉強という名目で行かなかったあのころの俺の真面目さを今となっては少々後悔している。といっても来月の5Daysは節制期間という名目で行かなかったりはする(*3)んだけどね。行く人うらやましいですぜひ楽しんで下さい。あ、あと坂本真綾は関東でラジオ番組をいくつか持っているので、少し前までやっていたTBSラジオの「地図と手紙と恋の歌」とこの前500回を迎えた「ビタミンM」で彼女の肉声を聴く機会に恵まれている、という点もラッキーだと言える。
 結果的にではあるかもしれないが、上京したあとに坂本真綾を聴くようになり、彼女を目の当たりにする機会にもめぐまれただけでなくて、坂本真綾を聴くということが自分の生活の一部になっていることに今は本当に幸福だなあと思っている。上京してよかったことのひとつに間違いなく挙げられるし、他の諸々の小さなことよりはよほど重要だったりもする。

 その思いがいっそう強くなったのは「Dits」を聴いてからでもある。店着日である発売日の前日には手に入れていたが、じっくりちゃんと聴きたくて週末までは聴かなかったりもした。いくつかの曲は「ビタミンM」の番組内で聴いていはいたが、通して聴くとこれがまた静謐で素晴らしい。特にTr.7の「極夜」からTr.8の「誓い」への流れは鳥肌が立って、ただひたすら聴き入っていた。
 それ以外で言えばOPでもある表題曲は彼女らしくもあり、らしくもないように思えた。後者についてだけ言うと、彼女の歌詞の語彙ではないような単語がいくつも並んでいることが大きな理由。「Sayonara Santa」は安定のまあや、という感じこそするが「ぼくときみ」ではなく「わたしとあなた」でずっと歌が続いていく様はまだまだ新鮮に感じる。表題曲が安定の「ぼくときみ」で続く歌詞なのもあって、Tr.1→Tr.2の流れは意外性があって面白かった。
 Tr.3の全英詩曲である「Melt the snow in me」は本作のコンセプトである冬の残酷な冷たさ、という印象を受けた。歌詞はそこまで悲劇的ではないが、まあやが低音で無感情に歌い上げるときれいな残酷さというか、率直に冷たい印象を声だけで感じる。次のTr.4〜6までが明るい曲が続いているので、Tr.3の曲が前半にあるのはこのアルバムの構成の中で一番意外性というか、全英詞ということも手伝ってどこに挿入するかを苦心したんだろうな、と感じた。冬の残酷さや冷たさという点で似たテイストなのは「極夜」だろうか。ただ、こちらはどちらかというと悲しさや寂しさ、といったものを感じる。
 Tr.4の「homemade Christmas」について言うと、ちょうどこのアルバムが出る少し前に結婚を発表した彼女自身について歌っているようにも思える歌詞が面白くて、江口亮の独特な音を使ったメロの中に31歳の坂本真綾の実存が生きているように思えた。メロのほうではパーカッションが妖しくて大人っぽさを演出しているしね。
 「極夜」から「誓い」への流れについて詳しく書くと、Tr.6の「たとえばリンゴが手に落ちるように」が伏線になっているのかもしれないが、”時間が前に進むことによる喪失”といった流れになっているように思う。いつまでもそうあって欲しいと懇願するように(だがそうならないことも感じている)歌い上げる「極夜」と、タイトルが表すとおり終わりを迎える前のひとつの宣言である「誓い」では、声の力強さの違いがかなり印象的だ。「極夜」が静かにコーラスを響かせながら終わっていくのと、”僕はこのまま”を繰り返して激しく盛り上がっていく「誓い」がひと続きであるように思うのは、季節の変化に明確に言及していて、それも冬の終わりと春の訪れについての言及だからだろう。
 冬が終わり春が来るのは、厳しい冬が終わり暖かい春が来るという意味では歓迎されがちである。ただ、ここはもしかしたら読み過ぎかもしれないが、日本の場合冬が終わり春がくると年度の変化を迎えるので、なんらかの別れと無関係にはいられない。学生時代はもちろん、仕事を始めてからも4月を新年度とする区切りは基本的に変わらないからね。

 ”生きている”と歌い上げる「極夜」から、”生きていく”と宣言する「誓い」への変化は、多くの人が余儀なくされるものでもある。ちょうど来年大学を卒業するので、そのころにこのアルバムを聴くと、この2曲の流れでノックアウトされそうな気配がむんむんとしているので、嬉しいような寂しいような感じがしている。
 大学生になって本格的に聴くようになったまあやの歌で、大学生活も終わらせられる。まあ、来年から大学”院”生活が始まるのでめちゃくちゃ明確な区切りではないんだが、多くの同級生は就職をしてばらばらになることを考えたらそれなりの寂しさはある。
 ただ、そうやって別々の道を選んだからこそ、「生きていく」決意をするいいきっかけなのかもしれない。まだまだ人生は長いのだから。何より、終わらない冬はないのだから。


*0 一番上に載せている初回版のジャケットは本当に素晴らしいなあ、と感じていて、クリスマスについて歌った曲がいくつかあるがゆえの合掌/祈りなのかなと思ったが、Tr.8の「誓い」を聴いたあとで見返すとまた印象的になる。あと、ネットでの評判のひとつとしてアマゾンのレビューがあるが、いまのところかなり好意的なレビューが多く読み応えもあった。

*1 2008年以降マクロスFの楽曲関連でコラボがあったり、ライブにもゲスト出演していたりするので厳密にポスト菅野時代とはいつなのか、と区切ることは難しいかもしれないが、便宜的に「夕凪LOOP」以前以後という分け方をこの文章ではしている。ちなみに一番最初に坂本真綾を知ったのはカードキャプターさくら3期OPの「プラチナ」です。記念碑的名曲ですね。

*2 今年の3月からスタートし、3.11による中断を迎えたものも6月に「You can't cathe me」ツアーを坂本真綾は無事完走した。この間彼女が何を思い、何をつづったのかは『坂本真綾 1st&Last 写真集 "You can't catch me" ドキュメント 2011.3.5-6.15 』に詳しい。
坂本真綾 1st&Last 写真集 "You can't catch me" ドキュメント 2011.3.5-6.15
坂本真綾 1st&Last 写真集 "You can't catch me" ドキュメント 2011.3.5-6.15


*3 あくまで現時点なので気が変わるかもしれない。チケット代が高いのがネックなんだが、今でも若干悩んではいる。
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