ついったーである人が日記に書いてある文章を一部抜き出していたのがすごく面白かったので、安直だけどちょっとマネてみる。中学まではあまりにも若すぎるので高校以降のものに限定だけど。
解説もしてみたいので昔の知り合いがいたらぜひぜひ(ほとんどいないと思いますが
卒業文集のようなものはあるけれど、ちゃんとした文章ではなくてQ&A方式なのであんまり書くことはないかなーという感じ。俺のひねくれっぷりが分かるくらいか。
ランキングコーナーでは「ノーベル賞とりそうな人」2位だったけど、どう考えても理系じゃないとほぼ無理なので1位をとった現神戸大学の人にあとは任せておこう。
2年生最後の日の記述。クラスの入れ替えでちょっとした移動があったりして、それにまつわる人間関係について書いた。Qべえがこんなこと言ってそうだなーと今なら思う。メタすぎてこわいぞ昔の俺。
ここだけ切り取るとなんかすげええらそうに書いてるけど、たぶんこれは自分にも言い聞かせる意味があったんじゃないかな(たぶん だから日記にわざわざ書いてるような気がする。
高2は、多くの人がそうであるように、だと思うんだけど高校時代の中でもかなり充実していた時期だったので、この期間に仲良くなったり、って人は教室内ですごく多かった。文系・理系で授業が分かれることが多かったので必然的に(といっていいのかどうかはあれかもしれないが)女子と話す機会も多かったし、女子校的な雰囲気に若干引きつつも(男子は3人しかいなかったのでどうしようもない)基本的には楽しい時間だった。
高3、受験生というまだ見ぬよく分からない大きな壁のようなものを前にして、下手すれば人生でもっとも楽しかった時間が終わってしまう、という惜しさは俺の中にもあったと思うし、俺の周りでもあっただろうな、と思う。
これはたぶん定期テストのときかな。定期テスト自体は大したことなかったと思うけど、この言葉が最後の一年を象徴しているなあと思ったし、言葉に頼ることで乗り切ろうとしている節はあったのを覚えてる。
自己啓発の方向に行きかけて行かなかったのはよかったな、と今では思っているが。
これは早稲田のオープンキャンパスに行ったときの感想。ここ(http://blog.livedoor.jp/burningday/archives/50922491.html)にも一部書いてたりするんですが、可愛い子が多いって最初に書くあたりが若くていいですね。まだワセジョの生態とかそもそもワセジョというネーミングを知らない高校生が書いた文章なので気になっている人は参考にしてください(←
ちょうど前の日に岡山大学のOCに行ってきたんだけどイマイチというかあんまりピンとこなくて、早稲田は熱気に圧倒された感が強かったのが一番の差だろうなとは思う。
まだまだ俺にとっては東京ってTokyoにしか見えないし、そういうイメージしかないんだな、っていうのは字面からなんとなくわかる。
それでも早稲田は居心地がよさそうだったので、リアルに都会のど真ん中なら上京しなかったかもしれないね。まあ、それはそれで、かもしれないが。
こことか当時のブログにも書いているように、気持ちが揺れるまではほとんどまったく早稲田に進学とか考えなかったので、思い立って行動するのは結構大事なのかもしれないね。
もっとも、あとで振り返ったときにあのときがターニングポイントだった、って分かることが多いし、別の道に進んでもそれなりにうまくやれたかもしれない。
それでも付け加えるとするならば、やり直すことはできない、単線的な一回性を永遠に近いくらい積み重ねている、ということなんだろうか。そうしたひとつひとつを切り取ることで、この記事のタイトルにも選んだ実存が見えてくるのかもしれない。
まあ端的に言えば、たまにはこうやって過去をぐるーっと見返してみて、今について考えることって面白いんじゃないですかね、というところだろうか。
最近高校時代の恩師の人たちにいんしの結果報告なんかをしていて思ったが、進学とか住居を変えるとか、そういう明確な区切りで線は引けてしまうのだけれど、単に続いているだけなんだよね。
でもまあ区切ることで逆に連続性を担保している(高校時代とか、少年時代とか、新婚生活とか)ところはあっても、区切らずに連続性を担保するのは結構難しい。もっと言えば、区切ることである程度過去を忘却してしまうから、連続性をそもそも認識しづらい。認識しても、重要性がどれだけあるかと言われれば難しい。極端に言えば生まれたという事実に価値を置きすぎるのもどうかな、とは思う(*1)しね。
といいつつ、俺はどちらかというと明確に線を引いて過去を忘却する人間だったので(そのほうが何かと気楽ではあるはず)もう少し連続性を認識してもいいんじゃないかな、とは最近思い始めている。
この今、も常に漸進している。1年後にはまた違う何かが得られるかもしれない。だからきっと、日記として文字に記すというのはこの今にしか感じ得ないリアリティを忠実に表現する意味合いは大きい。
ま、今の自分からすれば未来なんてあってないようなものなのだが、あのときはこうだったのか、という意外性を未来の自分に与えられたら面白いなあとは思っている。
一番面白いのはたぶん、あのときはああだったな、と親しい誰かと昔話をするときなのかもしれないけどね。
*0 参考→卒業文集を公開するので私が捕まったら週刊誌にこれを見せて下さい(これ以上のばかにならないために)
*1 親は選べないとか、いつのまにか生まれていたのであって望んでそうしたわけではないという意味で。
解説もしてみたいので昔の知り合いがいたらぜひぜひ(ほとんどいないと思いますが
卒業文集のようなものはあるけれど、ちゃんとした文章ではなくてQ&A方式なのであんまり書くことはないかなーという感じ。俺のひねくれっぷりが分かるくらいか。
ランキングコーナーでは「ノーベル賞とりそうな人」2位だったけど、どう考えても理系じゃないとほぼ無理なので1位をとった現神戸大学の人にあとは任せておこう。
ま、けど不条理は受け入れて乗り越えていくしかないんだよ。それは避けられないし、これからも多かれ少なかれつきまとう問題だからね (2007/3/19)
2年生最後の日の記述。クラスの入れ替えでちょっとした移動があったりして、それにまつわる人間関係について書いた。Qべえがこんなこと言ってそうだなーと今なら思う。メタすぎてこわいぞ昔の俺。
ここだけ切り取るとなんかすげええらそうに書いてるけど、たぶんこれは自分にも言い聞かせる意味があったんじゃないかな(たぶん だから日記にわざわざ書いてるような気がする。
高2は、多くの人がそうであるように、だと思うんだけど高校時代の中でもかなり充実していた時期だったので、この期間に仲良くなったり、って人は教室内ですごく多かった。文系・理系で授業が分かれることが多かったので必然的に(といっていいのかどうかはあれかもしれないが)女子と話す機会も多かったし、女子校的な雰囲気に若干引きつつも(男子は3人しかいなかったのでどうしようもない)基本的には楽しい時間だった。
高3、受験生というまだ見ぬよく分からない大きな壁のようなものを前にして、下手すれば人生でもっとも楽しかった時間が終わってしまう、という惜しさは俺の中にもあったと思うし、俺の周りでもあっただろうな、と思う。
明日が山です。頑張ろう。一人で走っているわけじゃない。それを忘れていたくはないよね。 (2007/5/25)
これはたぶん定期テストのときかな。定期テスト自体は大したことなかったと思うけど、この言葉が最後の一年を象徴しているなあと思ったし、言葉に頼ることで乗り切ろうとしている節はあったのを覚えてる。
自己啓発の方向に行きかけて行かなかったのはよかったな、と今では思っているが。
人多い。めっちゃ多いよ西早稲田。可愛い子も岡山より多い気がしました。まあ、絶対数の差か。政経のところで個人相談などしてみると、やっぱり素直に行きたくなった。本当、ここがTokyoじゃなければいーんだけど、大学近くは素直な所で、中も風が気持ちよかった。岡大をコンパクトにした感じ。
まあ、言い訳の余地がなくなったというか、今まで本当にデメリットしか見てなかったというか何というか。確定じゃないけど、そっちの方向に揺れた一日 (2007/8/5)
これは早稲田のオープンキャンパスに行ったときの感想。ここ(http://blog.livedoor.jp/burningday/archives/50922491.html)にも一部書いてたりするんですが、可愛い子が多いって最初に書くあたりが若くていいですね。まだワセジョの生態とかそもそもワセジョというネーミングを知らない高校生が書いた文章なので気になっている人は参考にしてください(←
ちょうど前の日に岡山大学のOCに行ってきたんだけどイマイチというかあんまりピンとこなくて、早稲田は熱気に圧倒された感が強かったのが一番の差だろうなとは思う。
まだまだ俺にとっては東京ってTokyoにしか見えないし、そういうイメージしかないんだな、っていうのは字面からなんとなくわかる。
それでも早稲田は居心地がよさそうだったので、リアルに都会のど真ん中なら上京しなかったかもしれないね。まあ、それはそれで、かもしれないが。
こことか当時のブログにも書いているように、気持ちが揺れるまではほとんどまったく早稲田に進学とか考えなかったので、思い立って行動するのは結構大事なのかもしれないね。
もっとも、あとで振り返ったときにあのときがターニングポイントだった、って分かることが多いし、別の道に進んでもそれなりにうまくやれたかもしれない。
それでも付け加えるとするならば、やり直すことはできない、単線的な一回性を永遠に近いくらい積み重ねている、ということなんだろうか。そうしたひとつひとつを切り取ることで、この記事のタイトルにも選んだ実存が見えてくるのかもしれない。
まあ端的に言えば、たまにはこうやって過去をぐるーっと見返してみて、今について考えることって面白いんじゃないですかね、というところだろうか。
最近高校時代の恩師の人たちにいんしの結果報告なんかをしていて思ったが、進学とか住居を変えるとか、そういう明確な区切りで線は引けてしまうのだけれど、単に続いているだけなんだよね。
でもまあ区切ることで逆に連続性を担保している(高校時代とか、少年時代とか、新婚生活とか)ところはあっても、区切らずに連続性を担保するのは結構難しい。もっと言えば、区切ることである程度過去を忘却してしまうから、連続性をそもそも認識しづらい。認識しても、重要性がどれだけあるかと言われれば難しい。極端に言えば生まれたという事実に価値を置きすぎるのもどうかな、とは思う(*1)しね。
といいつつ、俺はどちらかというと明確に線を引いて過去を忘却する人間だったので(そのほうが何かと気楽ではあるはず)もう少し連続性を認識してもいいんじゃないかな、とは最近思い始めている。
この今、も常に漸進している。1年後にはまた違う何かが得られるかもしれない。だからきっと、日記として文字に記すというのはこの今にしか感じ得ないリアリティを忠実に表現する意味合いは大きい。
ま、今の自分からすれば未来なんてあってないようなものなのだが、あのときはこうだったのか、という意外性を未来の自分に与えられたら面白いなあとは思っている。
一番面白いのはたぶん、あのときはああだったな、と親しい誰かと昔話をするときなのかもしれないけどね。
*0 参考→卒業文集を公開するので私が捕まったら週刊誌にこれを見せて下さい(これ以上のばかにならないために)
*1 親は選べないとか、いつのまにか生まれていたのであって望んでそうしたわけではないという意味で。