Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2011年05月

 3種類の「立ち位置の難しさ」を最近抱えている気がする。

 1つは今現在の他人/他者との距離について。今まで3年少し東京で生きてきて多くの人と関わってきたが、よくよく考えてみると個人では把握できないくらいの数の人と関わってきた気がしないでもない。
 そうなると必然的に人間関係を、ドラスティックということではないにせよ取捨選択、優先順位づけをせざるをえない。まあこれは多くの人が自覚的、もしくは無意識的に行っている行為であるので自分もそうせざるをえない地平に立っているということを実感している。
 
 昔はどうだったかと言えば高校までは小さなクラスを基準とした人間関係だったし、ネットにおいてもコミュニケーションの領域は個人サイトを媒介とするので許容しきれないほど拡大するということはありえない。
 今は、リアルでもネットでも、やろうと思えばいくらでも許容量をオーバーできる環境にある。リアルな場では東京という環境や早稲田大学という都心の私立大学という環境。ネットではニコニコ動画/生放送という新しいメディアやツイッターといったソーシャルメディアを介した果てしない地平。
 自分は自分である、ということにこだわりすぎるとその分余計に収拾がつかなくなるのだな、と思う。何らかのコミュニティや組織に所属していると、有益であれ無益であれ他の誰かと消費する時間が長くなるし、高校までのようにそうした場を基準として自分の立ち位置を考えることができるだろう。

 まあ、簡単に言うと自分が望んだとはいえカオスになってしまった状況に対処しきれてないということだ。
 ある程度適切に対処しないと、リアルであれネットであれ誰かを傷つけるというか、ともすれば信頼を裏切るようなことになりかねないのでそれは避けたい、という消極的動機がある。
 積極的な動機はシンプルに、あの人とはこれからも関係があるといいな、というシンプルな気持ちかな。消極的動機はどっちかというと、あの人と繋がっていたら何かあったときに頼れるかも、という打算もなくはない。だからせめて人間関係維持の積極的動機くらいは、シンプルで、自分に素直にありたいと思う。

 もうひとつは自分の頭の中にあるもの。最後は、自分の進路について(長くなりそうなので今回は書かない
 ざっくり書くと、前者は「何を中心にものを考えればいいか」であり、後者は「自分のやりたいこととやれることはどうやれば一致させられるか」である。
 結局は自分の興味拡散型の性格から生じているものだろうと思う。今までは負の側面を気にしなかったが、さすがに考えねばならないよね、というお話。

 今まではそれで良かったかも知れないがこれからは話が違ってくる。それは来年以降がまだ確定していないという逃れられない事実があるから。
 正直まだ、頭の中で分かっていても身体レベルで実感できていない気もする。高校3年のときは受験ムードのような空気感や地方という閉塞さがプラスの面で働いていたことを、今改めて実感している。
 このふたつが自分にプラスにこれからも働くのなら、擬似的な状況を生み出すことが一歩だろう。思うだけ、気持ちだけではなく、具体的な行動に繋がるような。

 「何かを始めるのに遅すぎることはない」にしても、リスクやコストは存在するし何より人生は有限であるという、もっとも目の前にある事実に直面することを、自分自身に要求する。
 まだまだ全然、安心できるわけではないのだからね。
 
 ということで、歯ぁ食いしばれー!である。

今日の一曲


 このアルバムが出たのは2003年、中2のとき。19歳だったミシェルも今はもう妻子もいるという。
 去年、このアルバム以来個人としては7年ぶりにEPが出たらしいが、まだ持ってなかったりするので速攻アマゾンで注文してきた。
 彼女のボーカルは英語が平易だし聞き取りやすいので、リスニングの練習がてら中2当時は聞いていたような気がしないでもないな。
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 蜻蛉さんという、ほぼ毎回GUMIを使用して曲を作る人がいるのだが、新作がなかなかノスタルジックでセンチメンタルで気持ちいい。
 まだわりとこうした風味の曲を聴けるだけの若さが自分にあるということの確認にもなった。身をすり減らしそうな現実だからこそ、過去を想うことが力になればいいな、とは時々思う。

 
歌詞:初音ミクWiki

 「なんて優しく切ない6分間なんだろう」というコメントに強く同意する。
 バンドサウンドの形式をとってはいるがギターもドラムも静かでボーカルをほとんど全く疎外しない大きさで、時々入るピアノが余情を誘う。
 
 歌詞にはたびたび現在形としての願望と、過去形としての事実が交差していく。
 今と過去、一緒だったころとそうではないとき。「僕らはいつまで僕らなんだろう」という歌詞に象徴されるように、全てが終わったというわけではないにせよ、確実に終わりへの予感が漂っている。そのための6分間の静けさなのだろうと思う。
 だから最後のほうに、「たとえ君を嫌いになっても好きでいられる気がするのさ」という矛盾するようなフレーズがこの曲の主人公の偽らざる心境なのだろう。まっすぐ「君」をみつめるから、嘘はつけない。
 矛盾した感情すら愛おしくなるというほどに、青春の香りが漂っている。靴やカバンという、学生には日常的なものに君の名残が垣間見えるし、ふたりが始まった場所に立つと感情がこみあげてくる。

 とまあ、こういう曲なのだ。蜻蛉さんは曲を作り、fさんという人が毎回歌詞を書いているのだが、昨年3月に「ロンパリ」という曲をニコニコに上げてから1,2ヶ月に1曲ペースで上げ続けて今に至っている。
 再生数は多くて7,8000だが、今回の新曲に広告宣伝が1万ポイントもついていてびっくりした。着実にファンは増えているということだろう。

 ここまではちょっとした前置き。この曲の紹介だけで終わるのもあれなので、自分のことを書いていく。
 この曲を聴きながら思い返した人はふたりいる。ひとりは2006年から07年にかけて何度も記事に書き込んでいる”彼女”で、もう1人についてはまだ多分ちゃんと書いてこなかった気がするのだけれど、今でもはっきりと覚えていることがいくつかある。
 どれだけ執着してんねん、と言われそうだが、忘れるのが速い俺が覚えているのだからなにかしら理由があるんだろうと思っていくつか考えてみたのでメモ的に記しておく。その人と初めて会ったのは2004年の8月で、分かれたのは空けて1月だったかな。もしかしたら12月だったかもしれないがまあそのへんである。Rさんとしておこう。
 というわけで久し振りにブログというよりは日記であり、日記の中でも結構パーソナルなことを書いてみるけれど、名前は匿名のようなものだし失恋経験を歌にしているミュージシャンはいっぱいいるのだから文章にすることもそれほど悪ではないだろう(←
 ちなみに”彼女”については去年の秋にざっくりと振り返っているので、興味があるという変な人がいたらこちらを参照のこと→霜月の季節に”彼女”を思い起こすと言うこと

 せっかくなので曲に連ねて書いてみよう。
 書きたいことは「現実としての今と一緒に過ごした過去」との対比、そして歌詞にある坂道の上ではないが、「一緒に過ごした場所」について、思い出してみることにする。
 ”彼女”の場合は高校で3年間同じクラスだったので、過ごした場所という意味では間違いなく教室が圧倒的に時間を費やしている。今でもふらっと母校に立ち寄ったとき、あそこに”彼女”が座っていて、ピンクのひざかけがあって、さらりとした黒髪が本当に綺麗だったことを思い出す。
 今から考えたら自分にとっては青春の憧憬のようなものだろう。高3になるともう最後の1年ということもあって、半ば自覚的に「最後の青春」をどう過ごすか、かつどう受験と両立させるかということをわりと本気で考えていた。かといって思うようにはいかないのでそれはそれでいいやと思いつつ、自分の思っていることと、ちょっとしたハプニング(大したことじゃないけれど)も含めて「同じ時間を一緒に過ごす」ということをいかに作り出すか、に傾倒した。
 もちろん付き合っていたわけではないが、「僕らはいつまで僕らなんだろう」状態である。土曜日も学校があったので日曜日以外はほぼ毎日顔を合わせることになる。”彼女”は理系だったので授業はすれ違うことが多かったのだが、だからこそ一緒に過ごす時間の貴重さを実感していたとは思う。
 
 場所はもうひとつ、帰り道。高松市内はさほど坂がないので歌詞のように坂を一緒に登る〜なんてことはなかったのだが、何度か自転車で併走して帰ったことがある。
 夕暮れ時だったり、真冬の息の冷える夜だったり、月の綺麗な日だったり。細かくはさすがに覚えていないが、交わした会話や見ていたものは今でもちょっとだけ覚えている。覚えているくらい、実際に一緒に帰った回数が多かったわけじゃないからね。
 教室の外にも一緒に過ごした景色があることで、教室に通うことはないにしても道を歩くことはこれからもいくらでもできる。これからまた歩いたときにどういう気持ちで思い返すことになるかは分からないし、そのときはもう忘れているかもしれない。

 こんなところかなー。何回か書いてきたから割と事実を列挙しただけだったなw
 というわけで、今回の本題であるRさんについて。彼女とは高校受験のための予備校で行った。風の噂によるよRさんは岡山の高校に行ったらしいがその後のことは知らない。島の隣町の中学生で、のちに自分の地元の町と合併したのでもしかしたら成人式で会えるかも知れない、とちょっとだけ期待したがそんなことはなく、ただ名簿で初めて彼女のフルネームの漢字表記を知った、ということがささやかな名残だった、というところ。
 予備校は高松市内にあって、島から通う人にはちょっとしたボックスカーで無料で予備校まで送迎してくれるというシステムだった。Rさんとは予備校のクラスは違っていたがRさんの友達(*1)とは同じクラスにいて、さらに直島から通っていた女の子も同じクラスにいたので、そんな女子たちの会話に絡むようにしてRさんとも話をするようになった。実際に顔を見てから話をするまでに色々面白いいきさつはあったが、とりあえず省く。
 
 Rさんとは正直、車の中で向かい合っている想い出と、ごくまれに同じ船に乗ることがあったので船の中で交わした言葉やそのときの表情くらいしか思い出せない。過ごした期間や、実際に一緒にいた時間がかなり短くて、総計してもおそらく数時間程度のものだろうと思う。
 ただそれでも彼女のことを今でもずっと覚えていて、当時の日記(手書きのほう)にもいろいろなことを書きなぐっているが、直接触れようとしたこともないし具体的なアプローチというものもほとんどしてない。
 夏の予備校期間の終わりにメールアドレスを教えてもらおうと思ったが、笑顔で断られたのは印象的ではあるけれど、その後再会しても「お、久し振り」くらいのテンションでずっと話をしていた。最初から最後まで、ほとんど会話のテンションは変わらなかった。彼女がどういう思いを持って俺と話をしていたのかは気になるが、それはもうどうしようもないことだ。まあ、こっちが大きくとらえすぎるだけでRさんからすれば些末な出会いの一つだろうけれどね。
 もっと言えば、もう予備校に通うことはないから彼女を思い出すよすががない。船には実家に帰る度に乗るが、俺と彼女は基本的に違う港を目指す船に乗っていたのでそれほど喚起するものがない。

 それでも彼女を思い起こす理由は何なのか、蜻蛉さんの曲を聴きながらここ最近ぼんやり考えていた。
 春休みの終わりに高校の時のクラスメイト2人と最近ちょっとした再会する機会があって色恋の話も少ししたのだが、2人のうち1人が「自分は(パートナーを選ぶときの)ハードルが高い」と言っていて、なるほどなーと感じた。
 あんまり意識はしていなかったが、歳を重ねるにつれて惚れるという経験から乖離して、誰かをずっと見極めるようになっているように思う。今の俺は。
 昔は今のようではなかったのだろう。ただ、それでも7年前の夏の記憶が未だにこびりついて消えないのはなんでなんだろう、という事実は残される。

 ひとつ考えたのは、たぶん自分は恋人という対象として、Rさんと交わしたようなコミュニケーションの欲求があったんじゃないだろうか。
 あんなに短期間だったにも関わらず言葉を頻繁に交わし、お互いの進路についてもちょっとした話をするようになっていた。笑顔だけを覚えているのではなく、悩んでいる表情も覚えている。
 恋人が欲しい、というよりは「こういう関係性」が欲しいということを、わりと長い間、ほんの最近まで忘れていたことになる。なんというか、Rさんとの関係をフィーリングという言葉で片付けてしまっていたが故に、可能な限り明確にしていなかった。単なる懐かしさ、とも違うからね。それだったらもっと懐かしい想い出はいっぱいある。

 あとは残された課題として、どうしてRさんと自分のフィーリングに合致するようなコミュニケーションがとれていたのか、ということかな。あの時期抱えていた感情がそうさせただけなのかもしれないし、もっと本質的な部分に触れたのかも知れない。
 本質ってなんぞや、と考えると時間がかかるのでもうさすがに書くことはしないが、きっとそこにお互いが触れられることができたら素敵だろうな、とは思う。
 
 坂本真綾の「僕たちが恋をする理由」(*2)という曲に、「きみの哲学に触れるとき いちばん好きな自分になる」というフレーズがあって、結構何度もこの言葉は思い返していた。
 たぶん、本質に触れるってこういうことだろう。本質は細部に宿る。その細部にある「きみの哲学」を自覚的であれどうであれ感じとること、その先に、何か新しい感情がわき起こる。
 そんなことを考えながら、今日は今の自分が大事に思う人について考えながら眠ることにする。その人の哲学に触れられる日は、来るのだろうか。触れられたときに、ハードルを一気に跳び越えられるのだろうか。

 続きは待て次回、的な。タイトルに記したとおり、Rさんが残してくれたものが「優しい余韻」だったらいいなあ、と思うのはたぶんまだ甘えがあるんだろうと思うのだけれど、若いから許せと勝手に思っている。


*1 友達氏には同窓会でも再会した。その後グーグル先生でエゴサーチしてみたらなんか超展開になっていたのでなんとも言えない気持ちになったのは完全な余談である。あうふー。別に不幸な展開ではないのだが。

*2 2007年リリースの「30 minutes night flight」というコンセプトアルバムに収録。いずれも夜ないし深夜に似合いの音楽が並んでいて、タイトル通り30分で一周できる仕様になっている。今ではすっかりファンなのだがアルバムを通して坂本真綾を聞いたのは実はこのアルバムが初めてだったりする。 

30minutes night flight30minutes night flight
アーティスト:坂本真綾
販売元:ビクターエンタテインメント
(2007-03-21)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


そして検索にかけた際にたまたまこのバンドを見つけたが、結構いい曲を作っているかもしれない→myspace
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 久し振りの大学なのでイマイチリズムが慣れないし、結局図書館にひきこもったりするあたり春休みとあんまり変わらないんじゃないかと思う最初の一週間なう、です。
 まあまだ他大学(立教)の講義を受けに行っていないのでかな、とは思うんだけど。というか2コマもわざわざ立教まで出向いていく余裕があるのか分からないが余裕と興味があるうちは出向いて行こうかな、と思っている。なんか登録したはいいが卒業単位に含まれないようなのでモグリと変わらんやん、と思ってる。いや、手続きすれば図書館は使えるんだったかな。他大学の図書館でひきこもるのも悪くないですね(←

 今週は雨降りで気温も上がったり下がったりだけれど、ひきこもりデイズなので雨降りは悪くない。外出の多かったGWに雨降りだったら爆発しろ、と思ってたが。
 こうして少しずつリズムを整えて、今後に繋げるためのひとつきになればいいのかな、と。体もメンタルも頭の中も。のんびりはしてられないから、勢いのあるうちに走っておこうと思っているし。そうしないと後でつっかえるのは好きじゃないし。
 そして昨日は3.11から2ヶ月だったので、NHKを見ながら黙祷。色々と思うことはあるが、被災地の外にいる人間としては忘れず関心を持ち続けること、じゃないですかね。東京にいると完全に日常だからね。節電との名目でATMが最近閉まるの早くて昨日持ち金500円になったが(マジネタ 定期買ったからしょうがないが

 で、いつものように勉強のお供に音楽を流しているのだが特にM3で購入したCDたちが非常に良くてかなり満足している。前日にちゃんとサークルチェックしてよかった。
 なのでちょっと紹介してみる。

QueeQuee/QueeQuee
amazon とらのあな
 M3の新譜ではなく冬コミで出したものらしい。
 ペンプロさんことPENGUINS PROJECTと歌い手のリツカさんのバンドのCD。リツカさんはボーカルをつとめる以外に、作詞作曲でも参加している。歌い手として有名、らしいがじっくり聴くのは初めてでした。
 深夜に非常に合う。もしくは、落ち着いた昼下がりのコーヒータイム、だろうか。
 落ち着いたメロと優しい歌詞と歌声が似合う「千夜彗星」は前者だし、「仕事なんて手につかない〜」と歌う「QURUQURULOVE」は後者かな。センチな歌も、ちょっと楽しくおかしい歌も澄んだ透明な声で歌い上げる。
 久し振りに歌の力と、その力を演出する音楽との相性の良さ、を抜群に感じた一枚。じっくり聴きたいし、じっくり聴ける一枚だと思う。 

Nostalgic Fablic/Run Girls Run
 前日にサークルチェックして気に入ったユニットその1。視聴してひとめ、いやひと聴きぼれ。Run Girls Runっていうユニット名も面白いなーと思って聞いてみたら当たりでした。
 おだやかなテンポのテクノミュージック(ちょっとボサノバ調だったりもする)に女性のボーカルが素敵に似合う。オサレとはこのこと。儚げ、というよりは所々に力強さもあるところも魅力。
 このCDはコーヒータイムに本当にふさわしい。間に声のかけ合わせもあったりして、CDを通して一枚の作品として楽しめる。後半は男性ボーカルも少し含まれている。
 まだ聴いてないけど旧譜も1枚買ったので楽しみである。

Today Is A Beautiful Day/supercell
 これはM3ではなく最近よく聞いてるスパセルの商業2ndアルバム。今更紹介するまでもないかもしれないが。
 なんというか、抜群によくてびっくりした。シングルは全然追っかけてなくて「さよならメモリーズ」くらいしかしらなかったが、新曲を中心に完成度がめちゃくちゃ高い。
 yanaginagi(ガゼル)さんの歌声も非常に多様でびっくりしていて、スパセルが彼女の歌声に合うような曲を作るのと同じように、nagiさんもスパセルの曲に合うような歌を歌っているんだな、と感じた。その能力が彼女には備わっていて、ニコニコで上げ始めたころからはかなり上達しているし、たぶんそこらの「歌い手」を名乗る投稿者とは一線を画していることがはっきりと分かる。
 たとえば「ロックンロールなんですの」という曲は従来のスパセルらしくはないし、nagiさんらしくもないけれど、アルバムの中の一曲として当たり前のように収まっている感じがプロいと感じる。「Perfect Day」はアニメ会社の作ったPVのクオリティもすごいが、こちらは従来のスパセルのもつ青春感(と喪失感)を醸し出しながら、
 べた褒めするほどスパセルを好きだったわけではないが、ネット上でセカンドの評判がめちゃくちゃ良くて聴いてみたら納得した、というところ。

 M3でげっとんしたCDはじっくり聴いてるのでまたおもしろいのがあったら少し載せるかも。アンビエント、テクノ系のインストCDをいくつか買って来て面白そうなのは集まった感じがするし。
 とりあえずCDを保管する場所が欲しいですね。本の置き場もダイブ困ってるし。どっちも積んでて聴いてない/読んでないのがいっぱいあるんだけどな!なんてお金のむd(ry
 あーけど火曜日に市ヶ谷でバイトの面接を受けて来て(スーツだったので就活のようであった)無事採用が決まったので週1くらいで来月からバイト始められそうです。月の本代とCD代くらいの足しにはなるのではなかろうか。いや、買いすぎてもあれだけど。
 高校生のチューター的な業務で、英語は今も勉強してるからいいのだが数学も教えないといけないらしく、軽く復習する必要性が出てきたのでござった。数学もできます、ということで採用されたと思うので、頑張る。
 あと家庭教師やベネッセの経験よりもマクドナルドの経験のほうが印象良くて感動したね。みっちり働きましたからね、うん、あの頃は。4年だし採用されない可能性も結構覚悟してたので一安心である。
 会社の新規事業らしく、来年以降も続けてくれると嬉しい、と言われたので微妙に困るw 来年以降ワタシはどこにいるのでしょうね、本当に。
 とりあえず来月からコンスタントに勤務できるよう頑張るよ。大学もバイトもあると生活リズムが嫌でもまともになるだろうし、そのほうがよほど健康的で文化的だろう、たぶん。

 今回の記事のタイトルはRun Girls Runのアルバムトラックより。ちょっと壮大で、でもセンチな一曲。
 ノスタルジック、という言葉を使いたかったのは最近「亡念のザムド」のDVDを見ているからでしょう。
 今期新作があの花とシュタゲだけで落ち着きそうなので、ちょっと足しにするつもりで。正直エウレカとジブリ臭がむんむんであるがw見ていてなんとなく、エウレカでもそうだったけどセカイ系と宗教は相性がいいんだろうな、と。宗教も結局、壮大な世界と自分との対峙、だと思うしね。
 
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 明日からいよいよ新学期です(訳:金曜日はサボりました。2コマだし初回だから許せ
 3ヶ月を超えるヨーロッパもびっくりの長期休暇はおそらく今後失業でもしないかぎり訪れないと思うけれど、3.11以後は思考のベクトルがかなり偏ってしまったし、自分自身についてどれだけ真摯に過ごせたかなあと思うとなんとも言えなかったりする。
 まあ、それでも明日はやってくるのだから、また明日から頑張りましょうというありきたりな結論にとりあえず落ち着けていこう。2つ前の記事で軽く総括はやっているし。

 最近は1日にM3に初めて参戦。人の多さにびっくり。ボカロ界隈がすごかったみたい。東方もかな。
 回ったサークルの人たちが口々に「今日は人がかなり多い」と言ってたのでよっぽどだったようだ。ただ、歩きにくいほどの混雑は一部のみで、それ以外はスムーズだというのはまあどのイベントにも共通することであって、有名サークルは強いですねというお話だ。
 そんなところにせこせこ行く人がメジャーはクソ、とか言ってたら笑えるけどね。
 その後の3連休はこもって読書、もしくは自転車で遠出してみたりなぜか。20キロ走行とか楽しいですね、行動範囲が一気に広がった感じがした。西東京と埼玉の近さを改めて感じたし、埼玉の県境の郊外感ぱねーと何度も思っていた。

 そして、7日。渋谷のデモに参加してきた。先月の10日の高円寺や30日の渋谷にも行こうと思ってたんだが体調が悪かったり都合がつかず。
 7日も若干出遅れた感はあったのだが、さも当然と渋谷スクランブル交差点あたりでデモに合流して区役所前のゴール地点まで歩いてきた。
 そうして渋谷に向かう電車の中で読んでいたのがなおちゃんさん(@lee_mellon)の記事

いじわる言ってみる―これ以上のばかにならないために
 彼女の文章はずっと面白く読んでいて、彼女のように「頭の良い人」が「素直」に文章を書くということが俺の場合はなかなかできていなくて、気がついたら説明的になっているところがあるのがたまに歯がゆい。
 過剰に気にする必要は文体の違いもあるしないだろうけれど、伝えたいことをまっすぐ伝えるって大事だよね、と思っている。
 今回読んでいて印象的だったのが
 
 
 「なんかおかしい」という気持ちを表明することに異論はない。私みたいに、この事故で初めて意識した人だってたくさんいるわけでしょう。
 ただ、その「なんかおかしい」という集団の気分が「東電あやまれ」みたいなことばに回収されてしまうのは、私は受け入れられませんでした。

 
結局、ぜんぶぜんぶかやの外だよなあ、と思ってしまう。普天間も、伊達直人も。安全なところにいる私たちは、その安全な場所から、たくさんある問題に優先順位をつけてしまっている。
 それ自体は構わない。でも、いっときだけ盛り上がって、そのうち忘れてしまうのは、まちがっていると思う。私たちが見なくなっても、当事者にとって問題だったら、その問題は続いている。


 この文章を読みながら、それでも忘却させないと思っている人たちが渋谷に集まっていて、たとえ運動が長い時間かけて収まっていっても彼らの脳裏には残っていてほしい、とは思っていた。
 もしくは、誰かが忘れてしまっても昔こんなことがあったというだけで意味は違う。津波てんでんこ(*1)、みたくね。
 普天間の時も尖閣の時もそうだったが、熱はいつか冷める。冷めてしまえばあとは完全に他人事だ。そんなことならば初めから熱など持たなければいいとすら思うが、なかなかそうはいかない。
 最近の報道も新聞はまだ3.11以後の社会を伝えようとしているように思うが、テレビは既に忘却してしまっているようにも思える。NHKが「再起への記録」(*2)という膨大な記録集の一部の公開を始めていることが数少ない救いにすら思える。
 6日の夜にTOKYOFMのある番組に報ステで3月までコメンテーターを務めていた朝日新聞の一色清が出ていた(*3)のだが、そこで彼が「3.11の最初の一ヶ月は新しい日本の絵を描こうとするムードがあった。だが最近はまた日常に戻りつつあって政治も政局の足の引っ張り合いになっている。(中略)前を向くことと力を合わせることができていないのが残念」と言っていたのが非常に印象的だった。
 マスが忘却するから個人も忘却するのか、もしくはその逆なのか、単にマスも個人も興味が移り変わるだけなのか(今は富山のユッケ騒動か)は分からないが、きっと今の熱もいつか失われてしまうのだろう、という気持ちはぬぐえない。

 こんなことを思いながら参加したデモの感想を少し。それでも参加するのは参加してみないと体感できないことが多いからで、実際そうだった。いつか消えてしまうとしても、熱を目撃する価値はあるだろう。
 あとから気づいたのだが数人ほど防護する警官ともみあったとかで拘束されたらしいのだが、俺の歩いていたグループ、ちょうど1番最初のサウンドカーの列を歩いている感じでは警官にケンカをふっかけたり、逆に警官が過剰に制御したり、という空気はなかった。
 実際に歩いていて興味深かったのが通行人の目線だ。ある人からデモは演劇のようだ、という話を聞いたのだが、確かに楽器や衣装でどんちゃんとパレードのように騒ぎながら道中の注目を集めていく様子は、一種のパフォーマンスには違いない。

 「楽しい」というと不謹慎に思われるかもしれないが、デモは祭のようなもので楽しさも重要な価値だろう。シュプレヒコールを挙げて党派的な主張を繰り返すことだけがデモだとは思わない。
 自分と同じように渋谷の沿道から合流したり、逆に沿道に脱けて行く人もいた。こういう参入退出の容易さもあっていい。人の数が集まればそれだけでインパクトはある(*4)し、言いたいことを言いたい人が歩くだけでもないのだから。
 特に、熱を失わないためにはデモの楽しさも、多様さもあったほうがいい。分散しすぎると一つ一つのインパクトには欠けるかもしれないが、時間が経っても関心があることをアピールすることはできるだろう。
 渋谷で歩いたことで多くの若者の注目を集めた(シラケもかなりあっただろうが。うぜーという声も聞こえたし)ことは歩いていて感じた。交差点でみなが立ち止まってデモ行進を見ていた光景は、カオス空間の渋谷にしてはなかなか壮観でもあった。あるいJCが「なんで警官が手伝ってんの」と言ってたけど道路を勝手に歩くためには手伝ってもらわないとできないからね。ちゃんと覚えておきましょう。

 こんな感じで熱気をひきずったまま新学期!で大丈夫なのかどうかは分かりません。まあ、大丈夫っしょ!
 ということで今日の一曲。ラヴリーPさんの曲をはっぴーが激しくアレンジ。GJ

破P「僕、新生活が不安です。いや全然大丈夫っ(ry」



*0 7日のデモに関するホームページは多々あるが、いくつかピックアップして載せておく。
公式 http://57nonukes.tumblr.com/
イルコモンズのふた(まとめブログ?) http://illcomm.exblog.jp/13536948/
5.7原発やめろ渋谷デモ(映像) http://www.youtube.com/watch?v=l-jc6gYkvqY

20110507東京反原発デモ逮捕者なう #57NONUKES http://togetter.com/li/132726
朝日新聞(2011年5月8日) http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105070547.html 

*1 ウィキペディア先生に詳しい。今回の津波のことも少しだけ載っている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E3%81%93

*2 概要はこちらに詳しい(PDF) http://www.nhk.or.jp/special/pdf/nhk_hisaiti.pdf

*3 まだアップされていないが近いうちにポッドキャストとして落とせるはず http://www.tfm.co.jp/jinji/

*4 残念ながら7日のデモでは全体が10を超えるグループに分断されていて、自分がゴールしたのは16時ごろだったが20時ごろにゴールしたグループもあった。つまり全体としてのインパクトは、たとえばエジプト革命で起きたような圧倒さはなかった。参加した自分からしても全体で何人くらい集まっていたのか分からないし、主催者発表の1万5千という数字は少し大きく見積もっている印象がある。
 参考までに
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