3種類の「立ち位置の難しさ」を最近抱えている気がする。
1つは今現在の他人/他者との距離について。今まで3年少し東京で生きてきて多くの人と関わってきたが、よくよく考えてみると個人では把握できないくらいの数の人と関わってきた気がしないでもない。
そうなると必然的に人間関係を、ドラスティックということではないにせよ取捨選択、優先順位づけをせざるをえない。まあこれは多くの人が自覚的、もしくは無意識的に行っている行為であるので自分もそうせざるをえない地平に立っているということを実感している。
昔はどうだったかと言えば高校までは小さなクラスを基準とした人間関係だったし、ネットにおいてもコミュニケーションの領域は個人サイトを媒介とするので許容しきれないほど拡大するということはありえない。
今は、リアルでもネットでも、やろうと思えばいくらでも許容量をオーバーできる環境にある。リアルな場では東京という環境や早稲田大学という都心の私立大学という環境。ネットではニコニコ動画/生放送という新しいメディアやツイッターといったソーシャルメディアを介した果てしない地平。
自分は自分である、ということにこだわりすぎるとその分余計に収拾がつかなくなるのだな、と思う。何らかのコミュニティや組織に所属していると、有益であれ無益であれ他の誰かと消費する時間が長くなるし、高校までのようにそうした場を基準として自分の立ち位置を考えることができるだろう。
まあ、簡単に言うと自分が望んだとはいえカオスになってしまった状況に対処しきれてないということだ。
ある程度適切に対処しないと、リアルであれネットであれ誰かを傷つけるというか、ともすれば信頼を裏切るようなことになりかねないのでそれは避けたい、という消極的動機がある。
積極的な動機はシンプルに、あの人とはこれからも関係があるといいな、というシンプルな気持ちかな。消極的動機はどっちかというと、あの人と繋がっていたら何かあったときに頼れるかも、という打算もなくはない。だからせめて人間関係維持の積極的動機くらいは、シンプルで、自分に素直にありたいと思う。
もうひとつは自分の頭の中にあるもの。最後は、自分の進路について(長くなりそうなので今回は書かない
ざっくり書くと、前者は「何を中心にものを考えればいいか」であり、後者は「自分のやりたいこととやれることはどうやれば一致させられるか」である。
結局は自分の興味拡散型の性格から生じているものだろうと思う。今までは負の側面を気にしなかったが、さすがに考えねばならないよね、というお話。
今まではそれで良かったかも知れないがこれからは話が違ってくる。それは来年以降がまだ確定していないという逃れられない事実があるから。
正直まだ、頭の中で分かっていても身体レベルで実感できていない気もする。高校3年のときは受験ムードのような空気感や地方という閉塞さがプラスの面で働いていたことを、今改めて実感している。
このふたつが自分にプラスにこれからも働くのなら、擬似的な状況を生み出すことが一歩だろう。思うだけ、気持ちだけではなく、具体的な行動に繋がるような。
「何かを始めるのに遅すぎることはない」にしても、リスクやコストは存在するし何より人生は有限であるという、もっとも目の前にある事実に直面することを、自分自身に要求する。
まだまだ全然、安心できるわけではないのだからね。
ということで、歯ぁ食いしばれー!である。
今日の一曲
このアルバムが出たのは2003年、中2のとき。19歳だったミシェルも今はもう妻子もいるという。
去年、このアルバム以来個人としては7年ぶりにEPが出たらしいが、まだ持ってなかったりするので速攻アマゾンで注文してきた。
彼女のボーカルは英語が平易だし聞き取りやすいので、リスニングの練習がてら中2当時は聞いていたような気がしないでもないな。
1つは今現在の他人/他者との距離について。今まで3年少し東京で生きてきて多くの人と関わってきたが、よくよく考えてみると個人では把握できないくらいの数の人と関わってきた気がしないでもない。
そうなると必然的に人間関係を、ドラスティックということではないにせよ取捨選択、優先順位づけをせざるをえない。まあこれは多くの人が自覚的、もしくは無意識的に行っている行為であるので自分もそうせざるをえない地平に立っているということを実感している。
昔はどうだったかと言えば高校までは小さなクラスを基準とした人間関係だったし、ネットにおいてもコミュニケーションの領域は個人サイトを媒介とするので許容しきれないほど拡大するということはありえない。
今は、リアルでもネットでも、やろうと思えばいくらでも許容量をオーバーできる環境にある。リアルな場では東京という環境や早稲田大学という都心の私立大学という環境。ネットではニコニコ動画/生放送という新しいメディアやツイッターといったソーシャルメディアを介した果てしない地平。
自分は自分である、ということにこだわりすぎるとその分余計に収拾がつかなくなるのだな、と思う。何らかのコミュニティや組織に所属していると、有益であれ無益であれ他の誰かと消費する時間が長くなるし、高校までのようにそうした場を基準として自分の立ち位置を考えることができるだろう。
まあ、簡単に言うと自分が望んだとはいえカオスになってしまった状況に対処しきれてないということだ。
ある程度適切に対処しないと、リアルであれネットであれ誰かを傷つけるというか、ともすれば信頼を裏切るようなことになりかねないのでそれは避けたい、という消極的動機がある。
積極的な動機はシンプルに、あの人とはこれからも関係があるといいな、というシンプルな気持ちかな。消極的動機はどっちかというと、あの人と繋がっていたら何かあったときに頼れるかも、という打算もなくはない。だからせめて人間関係維持の積極的動機くらいは、シンプルで、自分に素直にありたいと思う。
もうひとつは自分の頭の中にあるもの。最後は、自分の進路について(長くなりそうなので今回は書かない
ざっくり書くと、前者は「何を中心にものを考えればいいか」であり、後者は「自分のやりたいこととやれることはどうやれば一致させられるか」である。
結局は自分の興味拡散型の性格から生じているものだろうと思う。今までは負の側面を気にしなかったが、さすがに考えねばならないよね、というお話。
今まではそれで良かったかも知れないがこれからは話が違ってくる。それは来年以降がまだ確定していないという逃れられない事実があるから。
正直まだ、頭の中で分かっていても身体レベルで実感できていない気もする。高校3年のときは受験ムードのような空気感や地方という閉塞さがプラスの面で働いていたことを、今改めて実感している。
このふたつが自分にプラスにこれからも働くのなら、擬似的な状況を生み出すことが一歩だろう。思うだけ、気持ちだけではなく、具体的な行動に繋がるような。
「何かを始めるのに遅すぎることはない」にしても、リスクやコストは存在するし何より人生は有限であるという、もっとも目の前にある事実に直面することを、自分自身に要求する。
まだまだ全然、安心できるわけではないのだからね。
ということで、歯ぁ食いしばれー!である。
今日の一曲
このアルバムが出たのは2003年、中2のとき。19歳だったミシェルも今はもう妻子もいるという。
去年、このアルバム以来個人としては7年ぶりにEPが出たらしいが、まだ持ってなかったりするので速攻アマゾンで注文してきた。
彼女のボーカルは英語が平易だし聞き取りやすいので、リスニングの練習がてら中2当時は聞いていたような気がしないでもないな。