「自分と他人」という意味では少し前の記事の続きのようになるかもしれない。
「変化」とは何なのだろうか、ということについて書いてみたい。
変わること、変わったと言われること。逆に、変わってないね、と言われたりとか変わらないなあと思うこと。自分と他人との違い、もしくは言葉を与えられることにより感じる感覚の違い、うんぬん。
変化とは3種類あると思っている。つまり、
・変化/change/alter
・深化/profound/progress
・進化/evolution
と、こんなところだろう。日本語的もしくは英語的に正しい使い方なのかは(ry
もっとも一般的な「変化」のとらえかたが一番難しいと思う。ただ、変化した本人は自覚的であることが多いのではないだろうか。たとえば環境の変化による自身の変化(高校デビューとか大学デビューとか)や時間の経過による自身の身なりの変化(老化とも言うかもしれない)であったり。
英語で書くチェンジのほうが分かりやすいかもしれない。あの歴史的な大統領選でオバマが連呼したように、前と後とに比べたときに誰にとっても分かりやすいように変わりたい。単純に言えば、前のブッシュのような路線や共和党の路線なんかクソ食らえ、的なである。(*1)
次に深化と進化について、またこの違いについての雑感を書いてみよう。ただあまりうまく説明出来る気はしないが。
深化も進化も共通しているのは、本質は失われてないということだ。チェンジのように、根こそぎ変わってしまうのではなく、人によっては変わったと思われるだろうし、別の人には変わってないね、と言われるように思う。
深化は今まで根ざしてきたものを文字通り深めた形、進化とは別の次元へ行ってしまったような形。自分の中ではこういう認識を持っている。時間軸で言えば、前者のほうが比較的短期で、後者のほうが長期的なのではないかと思っている。
進化は端的に「化けた」と人に思わせるかどうかである。だから時間がかかる。時間をかけても必ず進化できるわけではないが、一つずつ積み重ねれば深化することはできるかもしれない。
たとえば大学のゼミを1年通じて真面目に取り組めば大体の人は深化することができるだろう。でもたった1年で化けることは簡単じゃない。探せばいるだろうが、血のにじむような努力をするか、抜群のセンスがあるかのいずれかだろう。
こんなことを、フィギュアスケート世界選手権の女子を見ながら考えていた。特に安藤美姫とキム・ヨナについて。安藤は2004年くらいから、ヨナは2006年ごろからずっと見続けているので、もうかれこれふたりとも5年以上は画面を通じて演技を見ていることになる。インタビューの際にヨナの英語がどんどん達者になるのでびっくりである。
安藤はここ1,2年で一気に化けたと思っている。単純に上手くなったとは思わせないような、少女の演技から大人の演技になっている。浅田やキム・ヨナが若いとはいえ、安藤もまだ23歳である。それこそ5年ほど前ならば彼女の年齢のスケーターでもまだまだ表彰台には遠かったかもしれない。
安藤が化けたと感じる理由のひとつは圧倒的な安定感だ。2年ほど前までは頑張って滑りきろうとしているように見えた。ジャンプもうまいのだが、ぎこちなさがあった。
今の彼女の演技を見ていても、ぎこちなさは感じない。特にフリーでは勢いと迫力のある演技をしつつも体に過剰に力が入っていないように見えた。ここもかつての彼女が克服できなかったところだろうと思う。
今回に関しては最初のジャンプで3-2で固定したことが総じて良かったのかもしれない。キム・ヨナだけでなくアリッサ・シズニーや村上佳菜子という年下の選手も3-3を試みる中で総合力で勝負し、かつポイントもついてきたというのは彼女の実力が文字通り化けたからではないかと思っている。
SPでしっとりと、FSではスペクタクルを。こういう演技の使い分けができるようになったのも(それもナチュラルに)大きな進化である。
キム・ヨナに関しては確かに深化はしていると思う。
数字だけを見るならば得点のインフレがあったオリンピックとは比べられない(もっと言えばレギュレーションも変わっているし)が1年のブランクを感じさせないことが彼女でも困難であることがよく分かった。
ミスがあってもポイントを落とさずには済んだが逆に伸ばすことは難しかった。安藤美姫とのほんの僅差のズレが、1年分のズレなのかもしれない。
今季GPファイナル以外は全勝という安藤美姫を改めて讃えるべきだろう。フリーに限って言えば全ての試合でトップである。そしておつかれさま、と。
今大会で今後に期待したいと思うのはアメリカのアリッサ・シズニーとロシアのクセニヤ・マカロワというふたりの18歳である。
シズニーはレイチェル・フラットを下して世界選手権に出てきているだけあって、年齢に違わずかなりの実力があると感じた。ジャンプも綺麗でうまい。コストナー以来の実力のある逆回転スケーターだなあと思いながら、かつキスアンドクライでは若さも感じながら見ている。
マカロワはが細く機敏な演技がすごくきれいで(顔もさすがのロシア美女)びっくりして、同じロシアのイリーナ・エレノワにはない魅力を感じた。演技の安定感も18歳にしてはあるなあという印象だしキム・ヨナ以上にスピード感があるし、これからキャリアをさらに重ねれば化ける可能性があるんじゃないかと安藤美姫の今の成長ぶりを見ていると感じる。
そして27日に高校時代のクラスメイトふたりと再会したときも同じようなことを考えながら話をしていた。
しばらく会わないと変わるなーと思いつつ(うち1人は2年半ぶりだった。アドレス交換すらしていなかった)話をしていると変わってないなーと思う部分もたくさんあって、みんな何らかの形で深化しているな、と感じた。
良くも悪くも大人になるということはそういうことかもしれない。大人になっても全く変わってないと色々とたいへんだしね。
ただ、その中でも久し振りにあった相手に変わってない、と思わせることもひとつの能力かもしれない。肯定的な意味で、だけどね。27日は色々びっくりしたし、素直に楽しかった。
さて、と。またしばらく会わないうちに今度は進化しているかもしれないと思うと楽しみでもあり、自分に対しての励みにもなる。俺も頑張ろう、と思える。
逆にそう考えると本当にひとりではたいへんだよな、マジで。リア充になるつもりはないしなれそうにもないが(←
*今日のセレクション
チェンジと聞いて思いついたのはこれ。アニメ「図書館戦争」のEDでもありました。
このアニメは大学1年の春にやっていたので、もう結構前のことのように感じる。いくばくかのチェンジはあったわね、さすがに。
進化と聞いてぱっと最初に思い浮かぶのが浜崎あゆみのこの曲だったりする。もう10年前か。この間に俺は進化しているんだろうか。
「変化」とは何なのだろうか、ということについて書いてみたい。
変わること、変わったと言われること。逆に、変わってないね、と言われたりとか変わらないなあと思うこと。自分と他人との違い、もしくは言葉を与えられることにより感じる感覚の違い、うんぬん。
変化とは3種類あると思っている。つまり、
・変化/change/alter
・深化/profound/progress
・進化/evolution
と、こんなところだろう。日本語的もしくは英語的に正しい使い方なのかは(ry
もっとも一般的な「変化」のとらえかたが一番難しいと思う。ただ、変化した本人は自覚的であることが多いのではないだろうか。たとえば環境の変化による自身の変化(高校デビューとか大学デビューとか)や時間の経過による自身の身なりの変化(老化とも言うかもしれない)であったり。
英語で書くチェンジのほうが分かりやすいかもしれない。あの歴史的な大統領選でオバマが連呼したように、前と後とに比べたときに誰にとっても分かりやすいように変わりたい。単純に言えば、前のブッシュのような路線や共和党の路線なんかクソ食らえ、的なである。(*1)
次に深化と進化について、またこの違いについての雑感を書いてみよう。ただあまりうまく説明出来る気はしないが。
深化も進化も共通しているのは、本質は失われてないということだ。チェンジのように、根こそぎ変わってしまうのではなく、人によっては変わったと思われるだろうし、別の人には変わってないね、と言われるように思う。
深化は今まで根ざしてきたものを文字通り深めた形、進化とは別の次元へ行ってしまったような形。自分の中ではこういう認識を持っている。時間軸で言えば、前者のほうが比較的短期で、後者のほうが長期的なのではないかと思っている。
進化は端的に「化けた」と人に思わせるかどうかである。だから時間がかかる。時間をかけても必ず進化できるわけではないが、一つずつ積み重ねれば深化することはできるかもしれない。
たとえば大学のゼミを1年通じて真面目に取り組めば大体の人は深化することができるだろう。でもたった1年で化けることは簡単じゃない。探せばいるだろうが、血のにじむような努力をするか、抜群のセンスがあるかのいずれかだろう。
こんなことを、フィギュアスケート世界選手権の女子を見ながら考えていた。特に安藤美姫とキム・ヨナについて。安藤は2004年くらいから、ヨナは2006年ごろからずっと見続けているので、もうかれこれふたりとも5年以上は画面を通じて演技を見ていることになる。インタビューの際にヨナの英語がどんどん達者になるのでびっくりである。
安藤はここ1,2年で一気に化けたと思っている。単純に上手くなったとは思わせないような、少女の演技から大人の演技になっている。浅田やキム・ヨナが若いとはいえ、安藤もまだ23歳である。それこそ5年ほど前ならば彼女の年齢のスケーターでもまだまだ表彰台には遠かったかもしれない。
安藤が化けたと感じる理由のひとつは圧倒的な安定感だ。2年ほど前までは頑張って滑りきろうとしているように見えた。ジャンプもうまいのだが、ぎこちなさがあった。
今の彼女の演技を見ていても、ぎこちなさは感じない。特にフリーでは勢いと迫力のある演技をしつつも体に過剰に力が入っていないように見えた。ここもかつての彼女が克服できなかったところだろうと思う。
今回に関しては最初のジャンプで3-2で固定したことが総じて良かったのかもしれない。キム・ヨナだけでなくアリッサ・シズニーや村上佳菜子という年下の選手も3-3を試みる中で総合力で勝負し、かつポイントもついてきたというのは彼女の実力が文字通り化けたからではないかと思っている。
SPでしっとりと、FSではスペクタクルを。こういう演技の使い分けができるようになったのも(それもナチュラルに)大きな進化である。
キム・ヨナに関しては確かに深化はしていると思う。
数字だけを見るならば得点のインフレがあったオリンピックとは比べられない(もっと言えばレギュレーションも変わっているし)が1年のブランクを感じさせないことが彼女でも困難であることがよく分かった。
ミスがあってもポイントを落とさずには済んだが逆に伸ばすことは難しかった。安藤美姫とのほんの僅差のズレが、1年分のズレなのかもしれない。
今季GPファイナル以外は全勝という安藤美姫を改めて讃えるべきだろう。フリーに限って言えば全ての試合でトップである。そしておつかれさま、と。
今大会で今後に期待したいと思うのはアメリカのアリッサ・シズニーとロシアのクセニヤ・マカロワというふたりの18歳である。
シズニーはレイチェル・フラットを下して世界選手権に出てきているだけあって、年齢に違わずかなりの実力があると感じた。ジャンプも綺麗でうまい。コストナー以来の実力のある逆回転スケーターだなあと思いながら、かつキスアンドクライでは若さも感じながら見ている。
マカロワはが細く機敏な演技がすごくきれいで(顔もさすがのロシア美女)びっくりして、同じロシアのイリーナ・エレノワにはない魅力を感じた。演技の安定感も18歳にしてはあるなあという印象だしキム・ヨナ以上にスピード感があるし、これからキャリアをさらに重ねれば化ける可能性があるんじゃないかと安藤美姫の今の成長ぶりを見ていると感じる。
そして27日に高校時代のクラスメイトふたりと再会したときも同じようなことを考えながら話をしていた。
しばらく会わないと変わるなーと思いつつ(うち1人は2年半ぶりだった。アドレス交換すらしていなかった)話をしていると変わってないなーと思う部分もたくさんあって、みんな何らかの形で深化しているな、と感じた。
良くも悪くも大人になるということはそういうことかもしれない。大人になっても全く変わってないと色々とたいへんだしね。
ただ、その中でも久し振りにあった相手に変わってない、と思わせることもひとつの能力かもしれない。肯定的な意味で、だけどね。27日は色々びっくりしたし、素直に楽しかった。
さて、と。またしばらく会わないうちに今度は進化しているかもしれないと思うと楽しみでもあり、自分に対しての励みにもなる。俺も頑張ろう、と思える。
逆にそう考えると本当にひとりではたいへんだよな、マジで。リア充になるつもりはないしなれそうにもないが(←
*今日のセレクション
チェンジと聞いて思いついたのはこれ。アニメ「図書館戦争」のEDでもありました。
このアニメは大学1年の春にやっていたので、もう結構前のことのように感じる。いくばくかのチェンジはあったわね、さすがに。
進化と聞いてぱっと最初に思い浮かぶのが浜崎あゆみのこの曲だったりする。もう10年前か。この間に俺は進化しているんだろうか。