Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2011年03月

 3つほど並べて書きます。
 一番言いたかったのは最後のことなので、そちらから読んでいただいても大丈夫です。最後が一番文章としてまとまりがある気もするので。
 「Your heads only」というタイトルにしたのは、思った以上に個々人の思考や行動が現象を左右しているから。そしてこれからも左右する余地が十分にある。当然、良くも悪くも。
 といいつつ本当は円城塔の第二短編集にあったお話のタイトルから拝借したのだけれど。

■メディアの有効性と負の効用 
 2週間と少し経って大きな実感としてあったのは、ツイッターに嫌気がさしたことである。これはもうなんとなく分かっていたことなのだけれど、地震後から一週間くらいはかなり熱心にネットに張り付いて情報を得ていたせいか、主な情報源(正確には経由することのほうが多いが)はツイッターだった。
 だがこれもある意味予見すべきだったんだろうけれど、ネット上も大いに混乱していた。いつもは冷静な人でも不安に押しつぶされそうな文章を書いたり、右往左往する人がいたり、情報を小出しにしすぎて何が言いたいのか分からなかったり、拡散希望が多すぎたり、結果として善意が善意には見えなかったり。
 しばらくして情報源のチャンネルをテレビやラジオ、もしくはブログに切り換えたのだがこういう選択肢を持っていて単純に良かったと思う。ツイッターは特性上、あまりにも流れが速すぎる。しかもこれだけの大事であり最初の週末は地震関連以外の話題は皆無に近かった。このような状況で情報を適切に得られるわけではないので、何人もの人をリムーブしたし、基本的に頼らないようにした。
 もう1つ、頼らない理由は自分の普段のツイッターの使い方ではないから。あくまで「あの人からはああいう情報を得たり会話することができるだろう」と思ってフォローを増やしているので、基本的には自分の思惑というか期待があって初めてフォローしている。つまり期待とは全く違うツイートを積極的に読む気にはならない。追っかけるだけで精一杯なので勘弁してくれ、という感じだった。

 そんな中で今回威力を発揮したメディアは間違いなくNHKと一部のラジオ局だった。前者はテレビだけでもチャンネルを多く持つことから積極的に使いわけをして(とは言っても当初はBS3チャンネル分が全部同じ放送だったりしたんだけどね)いたし、ネット配信のスピードも速かった。手話配信、英語配信も他局の追随を許していない。
 そしてラジオである。災害の時はラジオを持ちだそう、とは小学校のころから教わっていることだが、まずミニコミとしてのコミュニティFMや地方のラジオ局が情報を熱心に届けたらしい。東京にいる限り伝聞でしか知ることができないが、周波数を獲得して自主的に情報を発信するコミュニティFMもあったようで、従来のコミュニティFMの理念を超えてコミュニティや地域に根ざそうとしている様は感銘を受けた。ラジオという古典的ではあるが、シンプルなメディアというのは受信者にとって利便性も良く、また情報の出し手は発信の方法をまだまだ考えることはできるのだということが改めて分かった。
 ツイッターもそうなのだけど、メディアとしての情報発信がDIYでできる時代がもう既にあるのであって、情報の受け手にはそれぞれデジタルディバイドがあることを考えると(特に災害時のディバイドは平常時のそれとは質が異なるだろう)27日放送の文化系トークラジオLife/tbsラジオで津田さんが言っていたように情報の出し手と受け手をつなぐ何らかの取り組みは必要になるだろう(*1)なあ、と感じた。チャンネルが多すぎて発信側もちゃんと届いているのかどうかが分からないし、同じように受け手もどの情報を選択すればいいのか分からない。
 ツイッターにはRTという仕組みが情報のフィルタリングを平常時では果たしてきたのだが、災害時にはRTが連発されたりデマも飛び交うなど、負の効用が目立ったのも事実。ツイッターを使っていてこんなに「疲れた」のも初めてだった。

■「素朴な恐怖心」というやっかいなもの
 これは端的に原発について、である。じゃあ果たしてどこから何故わき出るものなのか、と。
 理由自体ははっきりしていて、「解の不在」と、そのことに対する「飢餓的な渇望」だろう。みんな正しい情報や答えを求めすぎであって、今現在起こっていることは基本的にほとんどグレーもしくは辛うじて白黒ついていることが大半なのだから、一つ一つを精査するか、もしくはそうした行為からトンズラを決め込むくらいしかない。トンズラを決め込んだ人間から迷惑を被るのは嫌なんだけどね。

 また、学部の同期でもある(会ったことはないけど)なおちゃんさんが核心をつくような文章を書いていたので引用します。
 「東京に放射能がくるからこわい」という論調に対してどうしても感情的になってしまうのは、福島のひとのほうがずっとずっと危ない環境にいるのに、東京の私たちが助かることしか考えていないようにみえてしまうからだ


 と同時に、ハチさんの有名な曲「結ンデ開イテ羅刹ト骸」の歌詞の中にある「しょせんはみなさん他人事」という言葉がよぎった。
 遠いと思っていたことが近くにあると感じる一方、所詮は遠いのだという開き直りも同時に垣間見える。
 土曜の夜にある店で酒を飲んでいた。曰く「福島には住みたくないよなあ」とか「茨城や千葉の野菜も食えないね」とか。
 「だから問題なのは量やどれだけ直接影響があるかであって」などど説き伏せたところで「素直な恐怖」を断ち切るのは無理。ただ、何かこう、腫れ物に触るような感覚がしてならないのが嫌だった。買い占めも、農作物の風評被害も、福島という地名の独り歩きも。ああみんな自分が大事なんだなあ、と。でもそれ自体を否定しようとしたら、じゃあお前は自分のことが大事じゃないのか、と言い返されることだろう。んなはずがないが、でもどこかおかしいと思う。
 
 シンプルな感情としては、福島にはネットで知り合った知人が何人もいるし(東北地方の他の地域よりも知り合いに何人もいる、不思議と)南相馬が出身のゼミ生がいたりするし。当事者ではないが、だからこそ想像するという行為は自分にとってすごくナチュラルな行為。全然他人事じゃない。
 あと、俺が中学のころに地元でSARSが流行したことがきっかけで、結構手ひどい風評被害(*2)を受けた。その年の観光業は大打撃だった。観光業で食っている人が大勢いるのでやるせない思いしか残らなかった。そうしたことを身近に経験したのだから、同じように振る舞えるわけがない。
 不謹慎や自粛ムードにしても、こういった恐怖心にしても、それら自体と向き合っても個人の力では無理だ。福島原発の収束を願うしかないのだろう。もしくは、皆が全てを忘れるか、だ。だが後者の選択に大きな価値が見えるとは思わない。それでもまあ、忘却はいずれ訪れるのだろうけどね。
 
■what is changed and what is not changed, and what will be changing

 端的に、自分の持っている肌感覚としての実感はほとんど何も変わってないのが現状なのではないかと思う。
 東京のごたごたはあくまで停電と素朴な恐怖心(主に原発関連)であって、その2つに大きな差し障りを感じない限り(*3)は日常生活を東京で送ることは全然難しいことでもなんでもない。なんだかんだ今のところ電気は足りているので(節電効果は意外とあるものだ)なおさらそう思う。
 こういった状況で26日の土曜日に六本木ヒルズであったイベントにふらっと行ってきたらめちゃくちゃ楽しかった。自分と同じような感慨を持っている人があの会場には大勢いた、気がする。
 六本木アートナイトが中止になったことによる代替イベントだったのだが、前半ちょっと出遅れはしたものも後半のトークショー「災害とアート、そしてウェブを語る」というのは語ること自体が一種のアクティビズムだったようにも思う。誰もが是とすることではないだろうからね、それこそ「こういう時」において。

 最も変わったことは、誰もが考えるチャンスを得ていて、それを実行している人が少なからぬいるということである。
 ネットではツイッターやブログなどで原発にまつわるあれこれ(科学リテラシー、エネルギー政策など)について盛んに議論が行われているし、1つ前のポストがそうであるように全国規模でNPOや団体が被災地に向けて動いた。
 こうした機運が巻き起こるのは災害時には決して珍しくないのかもしれない。災害とは違うがアメリカは911をきっかけにゼロ年代以降の自国のあり方を決定づけた。

 六本木のイベントのトークショーの登壇者であった椿昇という芸術家が言っていた。
ぼくは生きる不謹慎でいい。生きるってそういうことやろ。経済のことは関係ないけど目の前のことに動いていくのはええことやと思う。

 非常時は続いている一方で、日常があるということの重み。
 変わらないでいられる、という幸福感を多くの人が感じていることだろう。病気になって健康のありがたみに気づくとはよく言うが(というか身をもってさんざん経験しているが)少なくとも東京にいる人間は病気にならずに済んでいる一方、すぐ側に危機がある。
 このバランス感覚を自分や自分たちの人生や今後にどう生かしていけばいいのか。誰もがチャンスを得ている今、ある意味今後大きくこの国のかたちが変わる可能性(*4)を秘めている。

 また他方で、今後変わるか否かはさておい、現状(もしくは過去の経過)を再認識するチャンスでもあるということだ。
 具体的には下の記事に羅列されているが、このような形ではあるとは言え焦点が当たることはポジティブに考えて良いだろう。

震災で世の中が変わったのではなく、現実に気がついただけ

 反面「他の大事なこと」にはしばらく焦点が当たりづらくなるかも知れない。
 たとえばニュースは震災に関する話題が豊富だが、4月の統一地方選挙の話がかすんでいる。
 少なくとも震災に関係しない地域にとっては地元の今後を決めかねない大事な選挙なのだが、自分が住んでいる東京ではひっそりと選挙戦が行われているにすぎない印象がある。
 これはこれでひっそりと誰かが当選しそうでこわいよね。投票率どうなるんだろう、とか。
 
 大きなことに関心が向くのは必然だとしても、日常生活を送ることの出来る限りはそれぞれが普段から持っている問題意識や目的を洗練させていったほうが、たぶん本当の意味で「日常」を続けていくことになるんじゃないか。
 そうしていった先に、自分の関心が大きな関心に結びついたら気持ちいいだろうね。はっきりとした形でなくても、繋がりや行為を生み出せるのならば。
 オバマの言っていた「we can change」が象徴的だけれど、個々人の行動の果てに、いずれ私たち自身(we)が変わる可能性を、どこかに。 

 そのためにwarm heart,cool headでいたいよね。頭まで熱くなっている人が、特に震災直後はけっこう多かったので。こういうときこそ、冷静な判断が生きるよ。たぶん。なんてね。
 

*1 津田さんは声かけが大事であると言っていた。あくまで災害時に成すべきこと、という文脈なのかもしれないが、当事者にきちんと届けるという意味ではアナログで人伝いというのも重要な役割かもしれない。

*2 たとえばこの記事→http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/213/

*3 とはいっても西武新宿線は私鉄の中でもかなり電力に関して弱いようで、本数がまだまだ少ないし準急と各停しか走ってない。計画停電開始直後は各停が10分おきに来るという事態だったのでさすがにキツかった。あんな満員電車はもう嫌です。でも数日すれば解消されるあたり、意外と東京はタフなのかもしれない。一応震度5以上の揺れはあったのだけどね。

*4 もちろん「変わらない」という選択肢もあっていい。変わらないのを選ぶのも、一つの勇気だろう。
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震災支援のための食品・物品寄付
http://cultural-typhoon.com/support/

 昨日俺が参加してきたプロジェクトです。早稲田の関係者とちょっとしたつながりがあるので宣伝してみるなど。
 東北大学の坂田邦子先生と、NPO法人ハーベストジャパンなどを通じて物資が東北地方に寄付されるようです。
 東京では早稲田大学早稲田キャンパスの16号館(教育学部の棟)で今日明日、午後2時〜4時まで受け付けています。
21日(月)の受付が中止になり、26日(土)に延期されたようです


大きな地図で見る

 寄付可能な物資は
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最優先食品・物資

・ 米、缶詰、レトルト食品(賞味期限内のもの)
・ カセットガス、電池、ホッカイロ
・ 赤ちゃん用紙おむつ、粉ミルク、離乳食、高齢者用紙おむつ(未開封のもの)
・ 生理用ナプキン、トイレットペーパー、ウエットティッシュ、マスク、簡易トイレ(未開封のもの)
・ 消毒薬、絆創膏などの外用薬(未開封のもの)

——————————————————————————————-

食品、飲料(未開封で賞味期限内のものでお願いします):
非常食、哺乳瓶、カロリーメイト、飲料水用ポリタンク、など常温で保存できる食品すべて


衛生用品、医薬品(未使用、未開封でお願いします):
耳栓、イヤホン、アイマスク、浄水器、ティッシュペーパー、生理用品、応急セット、うがい薬、石鹸、水のいらないシャンプー、など


炊き出し用品(未使用、未開封でお願いします):
紙皿、紙コップ、プラスチックスプーン・フォーク、割り箸、サランラップ


キャンプ用品(未使用、または通常使用可能なものでお願いします):
固形燃料、キャンプ用なべ、ランタン、ブルーシート、レジャーシート、ロープ、懐中電灯、ロウソク、ライター、缶切、栓抜き、小型ナイフ、ビニール袋、電子ジャー


その他:
(未使用)
新品の下着、タオル

(数回使用してのみできれいなもの)
毛布、寝袋、軍手、ヘルメット、スリッパ

(ポリタンクに入れて下さい)
軽油、灯油

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ココマデ:セカンドハーベストジャパンのサイトより引用(http://www.2hj.org/index.php/news_j/disasterrelieffooddonations

 都内で今日明日の2日間お時間のある方はふらっと早稲田まで行ってみてはいかがでしょうか?
 
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 首都圏の電車は猛烈な勢いで復旧しつつあるが、今日からの計画停電で再び
 今日から1ヶ月半近く最寄り駅から電車が出ない可能性が出てきました。リアルに自転車通学を考え中。10キロ行けばあとは電車の定期範囲で通えるので。

 ここからは簡潔に。

・ツイッターの伝播力の功罪
 今回の震災で驚きだったのはツイッターがタフだったことであることを中心に、ネットインフラがほとんど断絶されなかったことである。
 所有しているドコモの携帯電話は帯域制限が今もかかっているようで繋がりにくいときはあるものも、大きな不自由を感じない(さすがに停電が続くようになると不自由にはなるのだろうが)
 ラジオの投稿やネットの投稿を見ていると被災した人がツイッターで情報を得る、ということが豊富にあったようである。一方で即時性は仇にもなりデマの流布(*1)も今までもそうであったように発生した。ただ逆にツイッターだからこそデマが打ち消されるスピードも従来よりは圧倒的に速かったとも思われる。
 
 一方自分がタイムラインを見ていて気になったのは「個々人の発言をどこまで意識すべきか」ということである。
 いわゆるネタツイートというおちゃらけたユーモアねらいのツイートであったり、楽しい日常をつぶやくことに関して敵意を向けることは適切か、ということである。
 俺の意見ははっきりしていて、基本的に自分の発言に責任を持つ限りは自由であると思う。責任、というのはデマを不用意に流さないことであるとか、自分が誤情報を発信しないことである。
 ツイッターは参入退出が自由なメディアである。見たくないのなら見なければいいし、最悪ブロックやアンフォローといった明確な「退出」(ハーシュマンのいうところのexit)を選択できる。
 ただ現実はある人の規範が別のある人に押しつけられるという現象が散見されるのである。これを今後どうやって克服していけばいいのかについて、明確なアイデアを持っていない。 

・「災害ユートピア」の現実性と言説への不安
 少し前からレベッカ・ソルニエットの著作『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』を読み始めた。朝日新聞で柄谷行人が書評を寄せていたことをきっかけに知った著作である。
 まだ全てを読めていないのだが100年以上前に起きたサンフランシスコの大地震における「災害ユートピア」とは何かという記述から始まり、最近では911やハイチ大地震への言及や、社会学や災害学がどのように災害後の人間の行動についてアカデミックな領域で分析してきたか、がつづられている。また、ハリウッド映画が煽る災害の恐怖やヒロイズム(あくまでヒーローは映画では必要だから配置されるにすぎないと指摘する)について批判的に考察している。
 
 「災害ユートピア」についての定義は難しいが、政府機能や日常生活が麻痺したときに生まれる、身近な人間同士の利他的な行為や交流のことである。
 災害や革命はカーニバルにもなる、という記述や最近でエジプトで起きたデモに顕著かもしれない。タハリール広場にいた人々の大半はなんとなくデモに来て、なんとなくみんなでわいわいと楽しんでいた人たちであろう。
 災害と革命が同じではないと思うのだが、災害によって人間関係や身分がいったんフラットになること、まだ資本主義経済が麻痺することでギフト経済のようなものが生まれる。また、数少ない食糧を持ち寄ったり、一緒にごはんを食べたり、見知らぬ人との交流が始まる。

 遺体の収容が津波によって大幅に遅れていたり原発リスクが日に日に高まる中、まだ被災地ではこうした現象は稀であろう。
 ただ、ネット上でのあたたかいムーブメント(*2)やGoogleなどのインターネット企業を中心にした素早い対応は全て利益や自分の時間といったことを無視した利他的な行為だ。
 情報の伝達スピードが速まったことで、空間としてのユートピアの形成はまだ観測できないとしても、ユートピアに近い心象は膨大な量を観測することができる。荻上チキが『ウェブ炎上』で指摘した「つながり」「可視化」がポジティブに働いていると言っていいだろう。

 1つ気になるのはナショナリズムとの関わりである。治安が悪化せず、利他的な行動をとれる日本はすごい、日本人はすごい、という言説(*3)が海外の新聞でも散見されるが、確かに日本人はよくやっていると思うが「日本人」というカテゴライズを意図的に適用しないほうが適切ではなかろうか、と考える。
 これは『災害ユートピア』を実際に読んでいるから、という意味合いが強いのだが、ハイチの人もサンフランシスコの人もみんな利他的に頑張っている。911のテロのときも同様の例があったというし、阪神大震災のときの山口組の復興支援は彼らの存在意義を超えて称賛に値する。
 M9.0でも持ちこたえた建設技術や、これほどの災害でも耐えた原発が存在すること(福島も、過去の原発事故と比較すればまだマシなほうではないかと思う。何より今回は天災が原因なのだから)は称賛に値するとして、日本人の利他的な行為が必ずしも日本に固有のものではない。
 こうしたことを意識、指摘せずに日本人すげえじゃん、という言葉だけが広まるのは誤ったヒロイズムにも繋がりかねないし、適切な判断を下すためにはいったんクールになったほうがいいのではないかな、と思う。あくまで言説レベルで、だけれど。
 一方で日本人らしい行動様式、たとえば帰宅困難者になった人たちが黙々と歩いて帰る姿は「しょうがない」と言えるだろうし、駅構内に泊まり込むのも「ガマン」と表記することはできるだろう。こうした様式や言葉は他国の言葉を多く知っているわけではないが、日本人に染みついた固有なものだと思う。
 
 総じて言えることとしては、日本人だけが立派なわけではないし、必ずしもヒーローが必要なわけではない。
 あくまで淡々と、過去の事例などを参照にしつつ私たちができることを取り組むべきであるし、何より被災者のことを思って行動することが肝要だろう。


*1 数時間後に大きな地震が来る、関西も揺れる、外国人集団が犯罪を犯している、レイプが多発しているなどなど。デマとして定番ではあるのだが拡散スピードが速くてびっくりした。全てが悪意ではない以上、情報リテラシーという問題は深刻である。
*2 たとえばハッシュタグ#prayforjapanにおける海外からのツイートや、それをまとめたhttp://prayforjapan.jpというサイトなど。Google以外ではGREEやmixi、ニコニコ動画といった大手コミュニケーションサイトがポイントなどによる募金を始めたこともまさにインターネット時代における画期的なできごとである。
*3 たとえば、NYTの"Sympathy for Japan, and Admiration" http://nyti.ms/fQEuRh
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最終更新:3月12日午前0時49分
※リンクは時間が経つとアクセスできない可能性もあります。
また、最後の更新後に動きがある場合もありますので、最新の情報でないことも了承下さい。

【情報収集】
[文字]
気象庁 http://www.jma.go.jp/jma/index.html
NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/
日経新聞電子版 http://s.nikkei.com/eAsg2G 
(有料会員でなくても閲覧可能)
Google Crisis Response http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011.html
東北地方太平洋沖地震まとめwiki http://www46.atwiki.jp/earthquakematome/

[映像]
Aljazeera(English) http://english.aljazeera.net/watch_now/
NHK http://www.ustream.tv/channel/nhk-gtv
TBS http://www.ustream.tv/channel/tbstv
フジテレビ http://live.nicovideo.jp/watch/lv43019860
(ニコニコ生放送経由、アカウント不要)
Twitcasting http://twitcasting.tv/lalastream
ニコニコニュース「地震速報」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv43004420
(ニコニコ動画のアカウント不要)

[音声]
ラジコ  http://radiko.jp/ (エリア内のみ)

【避難、帰宅困難者用】
全国避難場所一覧 http://animal-navi.com/navi/map/map.html
→あくまで一覧なので、詳しい避難場所については各自治体のホームページや災害マップなどを確認したほうが確実かもしれません。
宮城県避難場所一覧 http://www.pref.miyagi.jp/kikitaisaku/wagayade/hinan_bashoshin/hinan_top.htm
東京都内避難場所 http://bit.ly/tokyohinan
(有志によるGoogleMapを利用したまとめ。どこまで確認がとれているかは分からないので、あくまで参考として)
横浜市と川崎市、公共施設を開放 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110311/t10014608701000.html

woman excite 帰宅困難者の心得 http://woman.excite.co.jp/lifeplanning/special/rid_20853/pid_2.html
NAVER 地震に遭遇したときの対応マニュアル http://matome.naver.jp/odai/2129850837113580401

※その他宿泊可能施設(首都圏)
株式会社プラスティー 東京都新宿区揚場町2−16 中嶋ビル 3F(TEL:03-6280-7230) http://twitter.com/Akihiro_Shimiz
東京国際フォーラム(一部開放) http://twitter.com/j00504ki
Dommune 渋谷区東4−6−5サンライズビルB1F/03-6427-4533 http://twitter.com/DOMMUNE

【電車等運行情報】
・JR西日本、JR北海道も一部運転できず。
・JR東日本と首都圏JRは日中運行停止 http://s.nikkei.com/ftTuXz
・都営地下鉄、東京メトロは安全確認のため運行停止。復旧には時間がかるみこみ(NHK速報 17時58分)
→東京メトロ銀座線が全線再開、メトロ半蔵門線が九段下〜押上間で再開(NHK速報、20時48分)
→全線運転再開。区間が限定されている場合もあり。終夜運転の見込み(0時50分)
→他の路線や都営地下鉄も随時再開の見込み。
cf.東京メトロ運行情報 http://www.tokyometro.jp/unkou/
・都電荒川線は運行中 http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/toden/diainfo/pc/unkou.html
・東北、上越、秋田、長野新幹線は日中運行停止。明日はまだ不明。東海道新幹線(東京大阪間)は運行停止で復旧の見込みなし。(NHK速報 18時00分)
・首都圏私鉄
→西武線(池袋線は池袋〜飯能間、有楽町線以外で終夜運転)、京王線、多摩都市モノレール(運行時間延長の見込み)が再開(tbsラジオ、22時45分)
→東急が再開(同上、23時05分)
→小田急、京急、東京モノレール、日暮里舎人ライナーは日中停止。(同上、22時45分)
http://s.nikkei.com/e2zBEz

NEXCO東日本 http://www.e-nexco.co.jp/pressroom/press_release/kanto/h23/0311d/

【安否確認】
Google Person Finder
http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja(日本語)
http://japan.person-finder.appspot.com/(English)
日経新聞 安否確認ダイヤル使い方 http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819499E3E3E2E28B8DE3E3E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
→安否確認の電話は「171」から。「1」で録音、「2」で再生、そのあとは音声案内に従う。
→伝言板は携帯電話のトップページから
au http://dengon.ezweb.ne.jp/
docomo http://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi
softbank http://dengon.softbank.ne.jp/
e-mobile http://dengon.emnet.ne.jp/
NTT東日本災害用ブロードバンド伝言板 https://www.web171.jp/top.php

【ツイッター】
[アカウント]
@asahi @asahi_tokyo @nhk_news @NHK_PR @nikkeionline @TOKYOMX @earthquake_jp @FDMA_JAPAN @inosenaoki(東京都副知事)
@AomoriPref @HachinoheCity @fmiwate @kahoku_shimpo @aizuwakamatsuct

[ハッシュタグ]
#nhk #jishin #jisjin #miyagi #tsunami #prayforjapan #hinanjo j_j_helpme #311care

※メディアのソースは比較的信頼していいと思いますが、ツイッターはデマが拡散している場合もあるので、個人アカウントの発信の場合可能な限りソースを確認することをすすめます。
*I think that newssources from mass media are almost right, but information from individuals is not always right.So, I think you should recognize the source of information as possible as.

【その他】
・マグニチュードは8.8〜8.9の模様
・全国的に余震が依然続いています。(17時36分)
・携帯電話は帯域制限がかかっている模様。自宅用電話にも制限が(NHKの速報より)
・東北6県にて公衆電話が無料開放中(都内など関東地方では無料ではないようです)
http://s.nikkei.com/fvKDUE
・太平洋側は全国的に津波のおそれあり。瀬戸内海や東北地方の日本海でも津波注意報が。


*further reading
災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか
災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか
クチコミを見る


災害福祉とは何か―生活支援体制の構築に向けて
災害福祉とは何か―生活支援体制の構築に向けて
クチコミを見る



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 「これからやりたいこと、やるべきことを考えて、今やるべきことを確実に」

 基本的に就活はこのサイクルを回し続けるんだろうなあと思っていました。ただよく考えるとこれってPDSサイクルのことで、別に就活に限らんやんと言うところではある。
 単純に、Planの幅を大きく取っているか否かの違いであるな、と。

 でまあ、PDしつつSも加えていってたらあらぬ方向に辿り着くかもしれない、というのが現状。まだよく分からん。
 ただ、今選ぼうとする選択肢をマジになって考えたことはなかった。頭の片隅にはあったが、まあ俺が選ぶことはないだろうと思いながらのうのうと過ごしてきたし、まわりからは1/3周くらい遅れる形で就職活動とやらをごりごり推し進める日々であった(日々、というほどまだ
 何をするにも遅すぎることはない、と言い聞かせつつ、残り限られた時間を必死こいて生きていこうと思います。

 「納得のいく形で終わらせて、来年以降に繋げていきたいと思っている」と前の記事でしめくくった通りになっているのは、ある意味では皮肉かもしれないし、ある意味では予測された展開なのかもしれない。
 まあ結局自分にとってはこういう人生がふさわしいのかもしれない、後付けのようだけれど今までの分岐点でも同じような選択をしてきたのだから、必要以上にひるむことはないはずだ(そのうち記事にしてもいいかもね)

 あともう一つ変わってきているのはリアルとネットの関係性、まあこれはツールの影響と自分の関心の影響との両方があるとは思うが。
 つまりどちらがより主で、どちらがより補完的か、である。
 高校時代は前者が強かった、なぜならば受験勉強という大命題を抱えていたし、ちょっとしたロマンス(のようなもの)もあったのでネットに時間を割く誘因があまりなかった。ネットにかまけてられない時代。
 大学1年のころは比較的同じような傾向で、2年になるとリアルのほうが補完的になるのはニコ生にはまっていたからかもしれない。発信がいつのまにか多様化していたことを、リアルに浸っていると気づかなかった。
 大学3年になると簡単に表せなくて、場合によってはリアルが主だったし、場合によってはネットが主だった。リアルでは勉強に打ち込む時間が長くなったこと、ネットではネットオンリーの活動(書評とか)以外に積極的にリアルを延伸することも多くなった。
 オフ会にも参加することが増えたが、ネットの住人であるバーニングとしての自分を見せる場合と、リアルを生きる本名の自分を見せる場合、もしくはその両方を見せる場合などなどややこしいことが非常に多かった。たとえばミクノポップ関係は前者だし、大学関係だとたいてい後者である。
 ただそれはあくまで外形的な定義であって、コミュニケーションの中身を見るとネットとリアルを行き来する「俺自身」が素直に出ていたと思う。興味拡散型なのでもちろん全てをさらけ出すわけではなくて、あくまでどの程度の文脈が共有されているのかを認識しつつコミュニケーションの形を模索するか、という行動様式だった。
 
 さあそして今から、これからどうするか、である。
 この1,2年ほどでチャンネルは様々なところに繋がった。最初の1年は何をしていたのかというと、大学と東京に翻弄されただけ、かもしれないね。

 このもやもやしていたタイミングでLilacさんが「人生には選択と集中が大事な瞬間がある」(*1)というタイトルの記事を書いていたのでむさぼるように読んだ。
 この1年間はネットがリアルに対して必ずしも補完にはならないことを教えてくれた、ただ、あくまで自分自身がなすことはリアルの側にある(*2)
 だからこそ 

その期間は集中して、本当に意識して自分の時間とエネルギーを使わなければ、チャンスを失ってしまう、そういう瞬間。

 
 この言葉が突き刺さるし、逆に意欲にもつながる。
 興味拡散型と前述したように、やりたいことや好きなことはいっぱいあるのだが「心底やりたいこと」(もしくは好きなもの)になかなか出会わなかった。
 そしてやっと1つ見つかったかもしれない。「こと」というよりは分野であり、これからその中でどうしたいか、を模索する。遅いかもしれないし、それは分かった上で、でも価値があると思っているから殴り込むよ俺は。
 とか言いつつ、別のほうに浮気するかもしれないけどね。ただ仮に別の選択をとったとしても、自分自身がいつのまにか気づいていた価値を知ることができただけでも大きな収穫である。

 まあ、つまりはあれだ。本気で悩むのも悪くない。あ、まだこの程度じゃ本気じゃないか・・・反省。
 gdgdと過ごすのも悪くないが、はっきりしたものが見えてくると一日の過ごし方も変わるはず、てか変えるべき、つまり変えよう、うん。以上。


*1 Lilac女史はMIT卒の才女である。ついったにも生息している。今回の記事と「自分を変えたいときにまずやること」というエントリーは年度が変わるこの時期に読んでおいていい記事である。この1年はことあるごとにこの記事の内容を意識してきたつもりだが、まだまだもっと、である。

*2 それこそソーシャルネットワークの時代なので「リアルにしかない」とは思わないが、ネットの側から何か大きな価値を生み出せるわけでもなければ現実的にメシを食っていけるわけではないので、大多数の人がそうであるようにリアルを選択する。ただ、リアルの中では大多数が選択しない道を選んでいる、とは思っている。そのほうが俺らしい(キリッ

*今日の一曲
箸休/hashiyasume「新世界へのプロローグ」

期待と不安に胸がざわめいている
寂しく怯えた震える僕だけど 新しい世界に行けるかな


投稿は少し前だけど、新しく何かが始まる少し前という3月という季節にふさわしい。
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