2010年06月

2010年06月19日

ハスキー&メドレー雑感  ――ネット上のムーブメントから見る日常の物語性

 今日のワールドカップは旧ユーゴデーでしたね、セルビアとスロベニアの奮闘は見事でした。ドイツがちょっとなさけないかな。セルビアのディフェンスからなら点をとれると思ってたんだろうか。
 まあそんなこんなで、日常というものをテーマに文章を少し書いてみたい。面白い出来事があったので。

 ニコニコ動画におけるボーカロイドの使い手にDixie Flatlineという人がいる。ジェミニの人、とも呼ばれる彼は文字通り「ジェミニ」という曲でデビューし、昨年の夏に「Just Be Friends」という楽曲で一大ムーブメントを起こした。というか俺も去年この曲についてのテキストを書いてるね。200万再生というこの曲はもうボーロイドを代表する曲になっているとも言える。

 今回は彼の二年前の曲である「Sweetiex2」という楽曲について、ではなくその元ネタについて、でも少しなく、元ネタとなったあるふたりの女子高生のエピソードから受けた感想と、小さな疑問から生まれたタイトルテーマについて書きたい。
 つまり彼女たちのエピソードがネット上で巻き起こしたムーブメントに対する雑感と、そこで日常とは何ぞやというテーマについて。当然非日常とは何かということもふまえて我々の日常とは一体なんなのだろうか、というのをただの大学生の目線でつらつらと書こうと。

■1.Sweetiex2に関するエピソード

 ご存じの方もいるかもしれないが簡単にあらすじを。3行で書きます。ネタバレご容赦。
・ある女子校の女の子(主人公/メドレー)が「クラスの完璧な女の子(相手/ハスキー)の弱点を知りたい」という趣旨のスレをVIP板に立てる
・それに反応した住人たちの催促によってメールをメドレーがハスキーに送り続け、2年前の7月15日に落とすことに成功する
・その後ふたりの関係は発展を続け、あんなことやこんなことをしてその後も幸せな日々を現在も送っているとのこと
 後日談含め。まとまってるのはこちらかな

 あらすじはこんな感じ。「世界一長くて充実した一週間」というタグがついているように、確かに接近から発展までは加速度どれだけだよというくらいにあっという間であるとともに、密度もかなり濃い。いわゆる恋人としてできることを一巡させるんだから、そりゃあ長い。
 まあそれはさておき、ニコニコ動画でコメントと疑似同期しながら振り返るとネットの盛り上がりっぷりがひたひたと感じられて面白いし、まあ盛り上がったからこその現象として今でも俺が追跡できているわけだが。「Sweetiex2」という楽曲も、ハスキー&メドレーのふたりの存在があっただけではなく、ふたりを取り巻くムーブメントがなければ生まれなかった。ここを一つのポイントとしたい。
 彼女たちをとりまくムーブメントはなんだったのか?と。もちろんスレの住人がいなかったらここまでの現象は起きなかったが、それはスレの住人がいなかったらふたりの関係はなかった、ということと必ずしもイコールではない。メドレーを後押ししたことなどの相関性はあるが、別に因果性はあるわけではないからだ。まあこれは邪推にもなるんだけど、厳密に言えば因果性はない。

■2.「電車男」との違いに見る日常性

 ここに電車男との決定的な違いを感じる。電車男の話をたどるかぎり、スレ住人がいなかったらまず電車男は行動を起こせなかっただろう。まあたらればの話になるので厳密には確かめようがないが、電車男とエルメスの関係とハスキーとメドレーの関係を整理してみると、前者は非日常な関係で後者は日常的な関係と呼べるのではないだろうか?
 電車男はたまたま電車の中でエルメスを助けたに過ぎない。会うはずの無かったふたりが会い、恋に落ちてゆく。ドラマや映画や小説でもあきれるほど繰り返されたシチュエーションに、ネットという無数の善意の第三者が絡むことにより、電車男という物語が構成されていく。一連の現象とドラマ化は電車男という神話を高める行為だろう。ドラマは神話素とも言える。まあ2000年代で成功したドラマは数えるほどだが。
 神話性を持ったのは電車で出会うという非日常性が重要な神話素になっているからであり、ハスキー&メドレーの物語はあくまで女子校のクラスという日常的な場所で、同性ではあるが恋愛という日常的な行為が行われているにすぎない。もちろん恋愛というのもドラマ映画小説で数多く扱われてきた事象ではあるし、女子校内なら同性で、という話もまあ珍しくはないと思う。電車男の話は出会いの場からドラマ性を持っているがハスキー&メドレーにはそもそもドラマ性があるわけではない。

 だからつまらないというわけではもちろんない。むしろ、だから面白いと言ってもいい。非日常性が神話性を持つのはそれ自体何ら珍しいことじゃない。だが、日常そのものがある種の神話になるというのはなんなんだ、と。ここにネットの面白さとか、ネットにしかできない何かを感じとることができた。
 根本は「ハスキーの弱みを知りたい」という願望であり、相談事だ。ネットのない時代ならメドレーが仲の良い友人の誰かに頼るか、信頼できる誰かに相談するしかないだろう。だが今はネットがあり、2ちゃんねるがある時代である。ネットに初めて書き込むまでにどれだけの躊躇や抵抗があったのかは知らないが、メドレーは2ちゃんねるに書き込むことを選んだ。
 そうして住人たちは盛り上がり、メドレーも自身の恋に向けてまっすぐに進み出す。この構図はスポーツ選手と応援する人との関係ととらえてもいい。スポーツ選手の結果に観客は直接的に関与する(因果性を持つ)わけではないが、応援する観客の存在がどれだけ心強くするだろう。そして良い結果が出たときに選手は揃って言う。応援が助けになった、感謝している、と。

■3.物語性を求めて

 ではなぜ、ハスキー&メドレーの関係がネット上で一大ムーブメントになったのだろう。スレの中に映画化かドラマ化希望、というのがあって感じたのが、物語性への憧憬である。もちろんこれがすべてだとは思わない。ただ楽しかったから盛り上がっただけ、とも言える。でもその楽しんでいた時点の先に、世界で一番充実した一週間、という物語性を見た人は多かったはずだ、と。
 物語と言ってもSFやファンタジーとは違って今回の場合は学園物や恋愛というジャンルにおさまる現実に依拠した物語だ。スレの住人たちは物語に積極的に、しかもリアルタイムに関与したことになる。絶対的な影響を及ぼす支配被支配的な関係ではなく、声援を送る支援被支援的な、非常にフラットな関係として。
 であると同時に、それを願ったはずである。「単位は落とす」(大学のテスト期間である7月中旬のお話なので大学生閲覧者にとっては切実な事情である)「明日仕事だが見る」などはふたりの関係を見守りたいという好奇心を持ち、後で振り返ったときに「イイハナシだなあ」という感想を抱くはずである。その言葉もいくつもの動画コメントやスレ内のレスポンス、ネット上のブログなどで見ることができた。おきまりの「いつまでもお幸せに」という一言も忘れない。

 ドラマも映画も小説もSFやファンタジーではない限り、現実に即した何らかの日常の物語を書くことを目的とする。でもこのスレを見て思ったのは、日常が物語化するという、創作とは真逆の現象である。まあ当然と言えば当然で、創作というものはつまるところはなんらかの再構築にしかすぎない。小さな日常を大量に再構築することで新しい物語を生み出すのだから。
 ただ、日常が物語化すると言っても出版されたり映像化されるわけではないのだから、誰かによって認識されねばならない。その誰かが物語に外側から関与したネットの住人であったわけである。ハスキーやメドレーの友人たちに、ここまでの物語性は描けないだろう。「すごいねー」「おめでとー」などという言葉は交わしても、外部の人間でしかない。彼女たちにも彼女たちの物語はあるかもしれないが、それは小さな物語であり、そこで改めてネットという大きさを実感することにもなる。

 そして日常性を持った物語が与える一番のインパクトは「共感」であろう。何よりリアルさが生み出すものである。このへんはスレ住人のヒートぶりを動画なりまとめサイトなどで数え切れないほど観察できる現象である。
 このへんはひねくれているとしか思えないが、現実的にはふたりの先に「Just Be Friends」が待っているだろう。いつかは分からないし、もうすぐ2年になる今現在でも続いていることは本当に素晴らしいなと思うけれど。

 というわけで最後にふたつの動画を並べてみることにする。今回も長くなってしまったし、他のテーマで書きたいこともあったんだけどねと。つーかそれ以上に他にもっとやるべきことあるだろ俺、と言われるとどうしようもなくてごめんなさい。俺も現実逃避したかったんだな、と受け止める。

「Sweetiex2」


「Just Be Friends」


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2010年06月18日

oval

 書く度に間隔が空いて感覚が・・・ということになりつつあるが、まあどう考えたってワールドカップのせいですね。昨日で一次リーグ16試合が一巡しましたが、そのうち11試合はライブでフルに見ました。残りの3試合(韓国戦など)はテレビをつけながら、2試合(ブラジル戦など)はハイライトで、と。どう考えたってサッカー見過ぎだろというくらい見過ぎて、まあ睡眠も満足にはとれずさすがに疲れた。来週はもっとゆっくり見ていこう。
 今までで一番面白かったのは開幕戦の南アフリカ×メキシコ。南アフリカの速攻と、メキシコのパスワークがガチンコでぶつかるいい試合だった。両国の力量差が少ないせいもあったかもしれない。退屈だったのは次のフランス×ウルグアイで、アネルカの孤立とフォルランの奮闘しか覚えてない。そのフォルランは今朝の南アフリカ戦で気をはきましたね。南アフリカにはアンラッキーな退場もあり(ネット観戦を見ていたときも、リプレイを見てもメキシコの選手が転ぶタイミングがおかしかったりとか)クーンを欠いてフランス戦に臨まないといけないのはかなり厳しい。列強ではフランスが一番弱いということだけが救いか。

 昨日のスペイン×スイスはまさかではあったが、スイスの守備力をあなどるべきではないということは思っていた。まあ、それでもスペインならチリとホンジュラスはさほど敵ではないから、あっさり勝ち上がるのかもしれない。分からないけどね。スイスはブロックの作り方がめちゃくちゃうまくて、スペースというスペースがない。スペインは途中から入った右サイドのナヴァスからなんとか展開を作ろうとしたが何も出来なかった。
 似たような光景は月曜日の日本×カメルーンでもあったわけだけど、日本の守備はなんとかはねかえしているだけで、70分以降はかなりばててた。よく虎の子の1点を守りきったと思う。イングランド戦じゃないが2点くらいとられててもおかしくなかった、ラッキーだったと思う。まあそれがサッカーのこわいところであり、面白いところ。1点がとにかく大事なスポーツ。当たり前だけど。
 日本としてはオランダ戦がどうなろうがデンマーク戦まではもつれるだろうし、そのデンマークもけが人続出でどうなるか分からないし。カメルーンの不出来を考えると事実上この3カ国での上位争いだろうね。
 まあこんな感じで、今更ですが優勝予想はブラジルでした。応援しているのはスロベニアとスロバキア。さてどうなるか。2点しかとってないが北朝鮮戦の安定感がすごかった。 失点シーンは明らかに守備する気なかった気はするがw

 サッカー以外は何があったかな。先週は月イチのゼミ飲み会がありましたね。先生は忙しいようで来れず。結論としては、俺のキャラ付けがどんどんイミフになっていくことだ。俺にも分からん。昔から思うんだけど、俺ってそんなにつっこみどころがいいっぱいあるかね?とw
 まあそんな感じ。昔から俺のことを知ってる人はコメントくd(ry
 あとなにかな、ネットでもリアルでも就活という言葉が出てきそうで出てこない感じ、まだ意識的に考えたくない、って人も多いけど、着々とインターン関連のイベントが盛況に行われている(らしい)
 諸事情でインターンはしないんだけど、長期でやってる人の話聞いてたら面白そうだとは思う。単純だけど。景気動向が上向く割にはなかなか雇用が追いつかない現状はもどかしくありますが、まあうまくやりくりできるかな、と。そのへんはちょっと試されている気もして、悪い気分じゃない。
 もうモラトリアムはおしまいさ、ってね。いずれ終わるのだからgdgd言ってもしょうがなく、海外みたく労働時間が少なくないのも今すぐには変えられず、着々と前を向くしかないよなーと思う今日この頃。そのためにやるべきことに関してはなるべく後悔の少ないようにしたいし、結果がどうあれとにかくまず一回は社会に出てみたい、という欲はある。どれだけのことができるかはわかんないけど、閉じこもってても俺にはなにもできないから。外に出て見えてくるもの、失うもの、いっぱいあるだろうけどね。

 さあどうなるやら。
 書きたいことがいくつかあるんだけど疲れているのでまた別の機会に。
 あーけど最近は勉強するのが楽しいんだよな。専門分野以外にも西洋哲学は改めてすげーなと感じるし。情報通信に関することはやっぱ興味あるし。こういう状況の中就活が始まることへの不平を色んなところで見かけてきたけど、今になって実感したわ。だが今じゃないと実感できないから、これ自体はどうしようもない。両方こなすしかね。

読了
37:『フィッシュストーリー』
→ちょっと物足りないかな・・・。黒沢はいい味でてるんだが。
38:『神話が考える』福島亮大
→面白い。冗長性の議論なんか面白かった。そういう解釈なら納得できる部分がいっぱいある。
39:『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』
→制度論を考えることはよくあるがより内実な組織論を考えたことはあんまりなくて、それくらい当たり前だろうということからふむふむ、と思うことまで多彩で面白かった。人は資産、という言葉は重たい。それでいて結果は出さねばならない、むずかしいな。
40:『ボトルネック』米澤穂信
→あらすじを読んでハッピーエンドは期待してなかったとは言え、コレは重たい。ただのパラレルワールド、カウンターパートの話に終わらない、もっと深い部分をえぐられたような気がした。人間がいちばんのミステリー。

 『私の男』『ボトルネック』はそのうちレビューを書くと思います。ワールドカップの合間にでも。書きたいことはいっぱいあるからね。


*タイトルはそらいろくらぶの新曲より。
CDにも入ってて大好きな曲。やわらかくてあたたかい、初夏の曲


 

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2010年06月06日

Higher than the Sun

 こんばんは、日曜の夜ですね。週末をいかがお過ごしでしたでしょうか、と。
 土曜に新宿で用事をすませて回る寿司を食って、家に帰ってサッカーのスロバキア×コスタリカとセルビア×カメルーンを見てなぜかそのままスカイプの会議通話になり昼過ぎまで起きることになり、死んだように眠ってから陸上の日本選手権を見ていたら俺の週末は終わりました、おしまい。
 まあなんか短時間に色々あったなwという感じではあって楽しかったんですが。でも昨日中に読み終えたかった本は読み終わらず、けどそれ以上に面白い話が聞けたので良しとするかな。ツイッターとニコ生はまだ初めて1年も経ってないのに、面白いところに関わってるなあ、とは思ってる。ただ自分がこなせる範囲は限界があるので、どれも同じように関わることは当然できないから、強弱をつけながらになるんだろうけどね。
 何が起こるか分かりませんが今月は本を読みつつTOEICの勉強をしつつサッカーを見ていたらあっという間に過ぎていくことでしょう。かぎられた時間をたいせつにね。

 サッカーはスロバキアがけっこう面白いサッカーをしてたような気がします。コンフェデのときの南アフリカに近いかも知れない。ただ南アフリカのように守備から入るのではなくて、スロバキアは前と後ろの役割がはっきりしているから攻撃も守備も機能してるんだな、という印象。攻撃は人数をかけないのに緩急を使って攻め上がるので守る側はなかなかこわいんじゃないか、と。3点とっても失点0で終えたのはそのあたりが要因で、守備陣を崩すのは簡単じゃない。まあ前と後ろで分かれるので真ん中にスペースが生まれるから、中盤を支配できるかどうかだろうね。
 で、4-3という大荒れなゲームになったセルビア×カメルーンなんですが、お前らどれだけ攻撃好きなんだよwというくらい前半は両国とも攻めまくり。セルビアはCSKAモスクワのサッカーかよ、と思うくらいで日本と戦ったときとは予想してたけど全然スピード感がちゃいますね。まあ前のめりすぎて結局3点とられてるわけですが、スピードではカメルーンを上回ってた。中盤の安定感はむしろカメルーンのほうがあったかもしれない。ただあまりに守備がカスカスで、セルビアは何度もサイドを突破され失点にもつながり、カメルーンも同様のミスをおかし続ける。攻め上がりが早いからかもしれないが守備の時にボールウォッチャーになる傾向が両国ともにあって、4点とった後半はセルビアはやや引きがちだったけど、本大会が非常に不安になるゲームだった。攻撃はすごく驚異だけどね。カメルーンよりもよほど。

 前の記事でも色々書いたけど、まあ思った通り菅さんが何回目かの民主党代表になり、非自民としては何年ぶりかというくらいの首相に就任、と。自民党系の鳩山、小沢体制が終わり、ここでようやく55年体制が終わったのかも知れない。
 真新しさはないけど小沢色を消したことは素直に評価。官房長官が仙石さん、幹事長が枝野さんというあたりは如実に表れてるし。
 これからどうなりますかね、なんだけどどの分野に関してもだがある程度のビジョンを示して欲しい。鳩山政権時は個別の政策やイシュー(高校無償化や派遣法改正など)に焦点を当ててたけど、それは結局小手先のものでしかないし、小手先だけいじっても逆行するような気もするので(派遣法改正についてはこう思っている。セーフティネットをほとんどいじらず、規制をかけてさらに働きにくくしてどうする?)政策フレームごとにビジョンを示して欲しい。まあ、近いうちに経済の中期成長フレームか何かが示されるらしいのだけど。
 あと、就任会見のときだったかに社会保障と雇用、景気を一体となって考えたいと言ってたので、これを具体化してくれたら面白いよな、と思う。どうなるかは分からないけど、政策フレームの問題にもつながるんだがどれも相互関連性のあるテーマなので一体にやらないほうがむしろおかしい。とは言っても役所は縦割りだから連携は難しいし(経産省ビジョンと厚労省の指針はケンカしそうな気もするし)これこそ政治家がやるしかないことだと思っている。鳩山政権もやろうとしてないことはなかったんだろうけど、見えづらかったし閣僚もバラバラに動いてる感じがあった。閣僚が目立つのはむしろいいことだと思っていて、単純に鳩山さんの指揮力不足だったと思っているので、菅さんはどうコントロールするのだろうか、というところですね。

 まあこのあたりは政権が発足してあれこれ分かってこないと何とも言えません。
 郵政法案通すために会期延長とか言われているわけだがこれもどうなるやら。ネット選挙もギリギリ通過するくらいなら、また秋にでもしっかり練ってもらいたいと思ってる。「選挙中にツイッターできないとか、ちょww」というのが心境なので。
 最近の日常ですが今週はちょい忙しかったかな。レポートもあったし。テーマは「吉田茂は何故1950年春に米軍に日本駐留を提案したのか?」にしました。まあ今までずーっと繋がってる問題の根本ですね。講義受けたり本読んでたらアメリカも今までずっと占領が続くとは思っていなかったとかどうだか、というお話もあったし。自分で調べるほどにマスコミの言説のうさんくささが明らかになってくるのでまあ面白かったですね。安全保障は全然専門でもないけど、わりとさくさくレポートも書けました。アメリカだって一筋縄じゃねーよ、と。

 さてさて、週末に閣僚がおおかた出そろったみたいで、菅さんのビジョンがカンノミクスだとか言われてるようですが、今やらないとあまりにも遅すぎることは確かだろう。財政については知らないことが多すぎるのでなんとも言えないけど、数字を見ていたらどれだけリスクをはらんでいるかはよく分かる。
 ありきたりかもしれないがちゃんと説明責任を果たせば増税しても選挙に負けるということはない。危機感を煽る戦法は好きじゃないが、事実がそれに近いものだとするならばどうしようもない。ちゃんと向き合おうとする政権に投票しないほうが痛手である。そういう意味で自民党はもう終わってるな、とあらためて感じるわけだけど。

読了
31:『マルドゥック・ヴェロシティ 2』冲方丁
32:『マルドゥック・ヴェロシティ 3』冲方丁
33:『私の男』桜庭一樹
34:『占領と講和 戦後日本の出発』北岡伸一など
35:『まちの病院がなくなる!?』伊関友伸
36:『地域の社会学』森岡清志 編
 近いうちに『私の男』のレビューを上げるのが目標。ヴェロシティは書けたら書くが、どう書いていいか分からない。スクランブルとはまた全然別もので、圧倒されたけどね。

*タイトルはCymbalsの楽曲から、最近すごくいい天気が続くので

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2010年06月02日

6月2日のメルクマール

 これで1000記事目になります。2004年の5月からたらたらと方向性もなく書き続けて、一つの区切りになる数字かなーと思いつつ。ケタ上がりするのは嬉しいよね、という単純な気持ち。区切りではあるけど、これからもたらたらと書いていくことでしょう。しばらく書くのを控えると、また書きたくなるし。これの繰り返し。景気の循環のようである。
 区切り、としてテーマを考えていたのだがこういうタイミングで大きな区切りがつくとは思わなかった。知ったのはツイッターでした。

今日という一日について
 鳩山首相の辞任(+小沢幹事長のダブル辞任)である。
 ここ数日水面下でごたごたしていたというのは今日の朝刊を見ても書いているように、昨日鳩山+小沢+平野官房長官での政権運営や国会運営についての協議が行われて、これは今日以降も続く、というのが手元にある朝日新聞の6/2付け一面に書いてあることだ。朝日の一面には首相が親指を立てている写真も載せられてある。
 さっき報道ステーションを見ていたら今日の夕方(辞任演説後)のぶら下がり会見で「自分の思いがかなった」から指を立てたと言っていた。
 思いとはどちらを差したのだろう。それと、この事態は誰の意志なのか。まずこれについて軽く考えてみたいと思う。
 批評じみたことをやろうと思ったけど、若干疲れているので朝から今まで考えてきたことを文章に起こす、という程度にとどめておく。それこそ今日一日もやもやしてきたことをはき出すように。

 マスコミは道連れ、と報じているが初めダブル辞任を知ったときは、これは小沢一郎のシナリオなんじゃないかと思っていた。俺が生まれる前のころや、自民党で豪腕をふるっていたころの小沢一郎についてはよく知らないのであくまでゼロ年代以降、自分が実感としてある小沢一郎という人間のイメージについて言うとするならば、古い政治の代表格のような人で(ニコニコ動画にならえば、昭和85年というタグがつくんじゃないか)政治の流れの読みについてはプロであり、おおかた今日の事態もシナリオのうちなんじゃないか。というのがテレビで演説をながめながら考えていた憶測だった。
 ただ、夜になってどうやらこれは違うんじゃないかということが”親指”の示すものについて、また今日の演説における限りないくらいのすがすがしさ(施政方針演説と見まがうほどで、辞任報道はマスコミの飛ばしミスだったんじゃないかと思ったほど)について改めて考えれば鳩山首相の意思がなかった、と考えるのはどう考えても無理がある。
 小沢のシナリオの中で鳩山が辞めたのなら、小沢の影響力がここでも発揮された、と単純にとらえることができた。ただ、本当にマスコミが書いているように鳩山が小沢を巻き込んだ形であれば、小沢にとってはここまでの裏切りはないかもしれない。ただ、去年の自身のときがそうだったように、引き際に関しては誤らないのが小沢だと思っていて、結果として自分に好転するようになれば(選挙であれ、次の内閣での影響力であれ)それこそ表紙が変わるだけで小沢にとってはあまり影響はない、ということにもなる。これからの経緯を以てでしか考えることができないけれど。
 
一年持たないのではなく、一年持たせない

 ある程度予想はしていたけど、興味深いと思うのは辞任演説直後のNHKの街頭インタビューでの街の声、である。少し前の各社世論調査で内閣支持率は20%前後、朝日の5/17付けには「総理は辞任するべき」が43%であると記事にある。にもかかわらず、街の声では「残念だった」「もう少し続けて欲しかった」という声の多さに驚いた。世論調査を考えれば2人に1人くらいは辞めて当然、という意見になるはずなんだけど、良くて3,4人に1人くらいだったように思う。
 まあ、街頭インタビューと世論調査の母集団が違いすぎるし、割合を出すために街頭インタビューの有意性は数学的にないようなものなのだけど。それでも、世論調査は生の声を元に作られているのだから街頭インタビューでの街の声との乖離はほとんどないはずなのに、差を感じずにはいられなかった。ツイッターでもころころ変わる街の声についての批判がいくつもあった。
 数字と実感の乖離というのは、データが信用性に欠けるものだったか、もしくは心境の変化があったということになる。これは街頭インタビューを聞いての感想なんだけど、政治に期待する人がいる一方、期待する人もしない人も結果を急くような状況なんじゃないか。ここ数年、政権が一年持たないのではなくて、一年持たせない状況をこちら側の人間が作り出しているんじゃないだろうか、ということである。
 ここでマスコミ批判をするのはおきまりすぎるのでほどほどにしておくが、大きな失態をおかせば辞めろと言い、いざ辞めると辞めるなという、この流れはおそらく安倍首相辞任のころからなんら変わっちゃいない。
 
 福田、麻生、鳩山政権に共通して言えるのは政権交代時期が秋だったことである。秋と言うことは新しく政策を打ち出し、予算を作る暇も限られているし(年内にはシーリングや省庁とのすりあわせをある程度すませておくのが通例)かと言って予算執行までは半年以上の開きがある。新政権がもてはやされるのは最初の一ヶ月ほどであり、麻生で言えば漢字の読み違いや、鳩山で言えばダム建設についてもめ始めると、じょじょに周りの目線が変わり始める。だからどうしようもないくらいに、政権支持率は発足直後がピークになる。
 言ってしまえば、目先のことに多くの関心が集まりすぎて、木を見て森を見ない状況が政権発足してしばらくすればできあがってしまう。麻生太郎が漢字の読み違いをすることと、政治家の資質とは全く相関性がないし、政治家として本質的に致命的というわけではありえない。にもかかわらず多くのマスコミがこれについてとりあげ、まるで居酒屋談義をするようにマスコミの論調に乗せられた街の声が多かったのも覚えている。
 目先、ということで言えば鳩山政権時においては普天間の問題に顕著に表れていて、終始沖縄か外か、それ以上の議論の広がりがどれほどあっただろうか、と考える。数年前の岩国のときも似たようなことを感じたが、基地そのものに関わるイシュー、つまり当事者(今回は沖縄)の問題と、安全保障や国際政治という枠組みの中で基地や米軍という(さらに言えば集団安全保障)イシューをとらえること、この両輪が必要になってくるのは別に政治をかじった人間だからというわけではないにせよ中学や高校の社会の授業でさも当然のように教わる日米同盟とその矛盾という事実、その存続である。
 
 木を見て森を見ない、この状況がマスコミも有権者も変わらない限り、政治はよくならない。かと言って、忙しい日常で政治や経済のニュースに敏感になれ、というのも強者の論理だと思ってる。だから克服するのは簡単ではないし、克服なんてそもそも不可能だろうという気持ちも強い。でも、それでも言うとするならば、個人個人がどれだけ目の前の、それこそ目先の問題意識に対してどれだけ批判的なまなざしを向けられるか。自分の頭で考えることができるか。
 ゼーガペインの言うところの、ミテイルモノヲシンジルナ、ということである。
 元々代議制民主主義や選挙制度のなかった国にそれらが持ち込まれ、色々なごたごたがあったことを考えて戦後というくくりにすればまだ65年である。還暦でしかない。この国がひとりの人格であるならば、還暦を迎えたからと言って本質的に成熟したことにはならない。むしろ歳をとることで未熟さを思い知るのではないだろうか。それが64年目の歴史的な政権交代であり、今日はその夢の終わりの日である。

夢の終わりから、夢の続きへ

 別に民主党を擁護したいわけではないが、突き放すにしては彼らはまだあまりにも何もなしとげていないに等しい。予算執行から2ヶ月しか立っておらず、経済政策に関しては先日経産省から経産省ビジョンなるものが出てきて、政権としても今月にある程度の方向性をまとめる。
 こういう段階での多くの批判を浴びたことによる辞任であるのだが、まだまだ政権が経済政策のビジョンすら示していない段階にすぎない。過去3年間の一番の反省は政権が途切れることによる、政策の一貫性のなさであると思う。

 ただ、おそらく野党の望むような衆参両院選挙にはならないだろう。総理が代わっても閣僚の多くが代わることも民主党の人材を考えるとあまり考えられず、このことである程度政策の一貫性(空白が生まれるのは残念だが。ネット選挙はどうなるんだ?)が保たれるのではないかと思っている。
 それも、次の内閣がどれだけ前政権の、特に小沢一郎という古い政治の代表であるような人の色を消すことが出来るか。そこで初めてチェンジを実行できる基盤が整うだろうし、鳩山が言う「クリーンな政治」も演出できるだろう。
 逆に言えば菅直人が何回目かの民主党代表に返り咲き、政務三役にも大きな変化がないようでは、さらに小沢一郎の影響力が残るようであれば失望以外の何ものでもないと、ぼんやりと考えている。



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