Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2010年04月

 昨日がゼミの初飲み会でした。先生は今回は諸事情で参加できず、あくまで学生だけの非公式コンパだけどGWで来週はゼミもないし、その前に一回くらい飲もうぜという空気に男女ともなったので、わいわいがやがや飲んでました。まあいちばんがやがやしてたのは間違いなく近くのテニサーw 
 正直男女ともまだ手探りで、まあお互いのことをまだよく分かってないからそれはしょうがないし、逆にその初々しさっていいよねという話にもなったりした。猫をかぶってるわけじゃなくても、最初から自分をガンガン出す人ってなかなかいないよね、と。場を探りながら空気を、というのは日本人らしいんだろうか。
 今日一番面白かったのはみんなの名前の由来のお話。あやうくDQNネームになりそうな人が数人いたとかねw いつの時代にもあるもんだ。
 あと俺がゼミの中で一番酒が弱いということを確認できた。うん、予想通り。今日はゼミ終わってそのあと直接コンパで、空きっ腹に酒を流し込んだので久しぶりにキツかったとも言う。いやまあ、二次会でジンライムを頼んだからかもしれないがw 今度からは自重しよう。さすがにジンライムは一杯目だけでいい、おいしかったけど。

 ひとり飲みが基本なので、こういうふうにわいわい飲むのは久しぶりで、しかもメンバーが固定的でこれから仲良くなっていける、っていうのは単純に楽しみ。サークルじゃないから変なコールもないしね。合宿はまた別かも知れないが。
 このメンバーで2年間一緒っていうのはなかなか悪くないかなあと思います。ガチすぎず、ゆるすぎないいい度合いを保てそう。
 ひとりが言ってたんだけど、うちのゼミは今年から始まった新しいところで先輩もいないし、先生はそれでも放任主義だから「先輩がいないのをいいことになんかするしかないよなー」というお話に。ゼミをどうやって進行していくかが目の前にある関心事でもあるし。
 昨日は先週よりも議論する時間が長くて、後半の流れは楽しかった。少子化についての話をしていて、それがベーシックインカムの話にまでなっていったので。そこに先生が食いついてきたので、また今度この話にもなるんじゃないかな、と。新しい概念だからなかなか口に出すのをはばかられたんだけど、あっさりと言ってしまう幹事長GJということにしておこう。
 なんというか、うちの幹事はできそうな気配を醸し出しつつも面白いのでそれだけでかなり期待してる。

 あと、昨日ではなく先週末にひとり飲みしていたときに同席した人から面白い話を聞いたのでいくつか。
 曰く、「自分の意見を言うのは簡単、人の話を聞くのは難しくて骨が折れる」というお話。人の話を、特に興味はなくても業務的もしくはそれ以外の理由で聞かねばならないときの苦痛はひどいものであると、そういう話だった。
 俺の倍くらい生きている人だからまだここの領域までには達してなくて、ただ単純に同意せざるをえないことでもあった。ある意味言うは易なのかもしれない、とか。
 人の話を聞くということも、まだまだ条件的に俺の場合は少なくて興味のある人の話を追っかけて聞く事が多いから楽しいと思うことが多い。ただ、働き出して、しかもそれなりの立場になった人間にとってはそう簡単なものじゃあない。話を聞くことが仕事、しかもその大半が悩みや愚痴であるカウンセラーという職業は割り切りがないと絶対に無理だろうし、バーテンダーという職業も酒を作る以外の役割がすごく多いからたいへんだろうなあと思う。その中で何か面白いことがあるから仕事をやっていけるんだろうけど、それは例外的なものだよね、とも思うし。

 働いている人が多いから、不景気だからかどうかは分からないけど仕事の愚痴を言う人は多い。愚痴というか悩みというか。まあそれは働き出したら目の前の事情が仕事だから、学生が学校や勉強について不満を吐き出すように、仕事や会社についての不満を吐き出すのだろうと思う。その行為そのものは自然なことで、そういう風に歳をとっていくんだなあ、とは感じた。
 でもまあ、この日のようにたまに「ほえー」と思える話を聞けるから楽しいんだけどね。あとたまたま同席した女の人(年上)と軽く飲んだりね。この日は元駅伝部という人とあれこれ話をしたり。このへんはただの俺得です。相手としては、どういう気持ちで10コくらい年下のガキと話してるんだろう、というのは気になるが。
 その中でも何人かとはメールのやりとりもします。といってもゆるいつながりで、ツイッターに近いなあとも思う。男女年齢問わず、名前を知らなくても「そういえばこの前お会いしましたね、こんばんは」と言えるあたりなんてのはね。東京は基本的に多様性の街だから、どこかに偏ることもないし。ましてや新宿は、日本中から人が集まってくる。だから楽しーんだ。

 そして今日もキャリアセンターのイベントで本田直之の講演を聞いてきた。先週と同じで刺激は受けたし十分面白かった(先週よりはテクニックが多かった気はするがまあ予想通りではある)し、ここから何を自分が編み出せるか、どうこれからの日々を送っていくか。考えないとね。
 あとTBSラジオのこの番組が面白いことも最近知った。切り口が楽しい。


読了
24:『少子社会日本』山田昌弘
25:『街道をゆく 8』司馬遼太郎
26:『Self-Reference Engine』円城塔
 自問自答エンジンはめちゃくちゃ面白かった。こりゃすげえ。新しい形の理系SFミステリーと言ってもいいのかも。そういう意味では瀬名秀明の『BRAIN VALLEY』を読んだときの衝撃に近い。ハイテクでありハイセンスであり、正直ほとんど訳わかんないし、でもなんて楽しいんだろうと。不思議ね。レビュー書きたいけど俺の理解度でどこまで書けるかな・・・。


*楽曲は坂本真綾の楽曲より
揺れる電車の中で聞いてた。「強くない 強さじゃない」と歌う当時弱冠16歳の彼女。だからこそ自分自身と、誰かを感じていたいと思う素直な気持ち。この純粋さ、初々しさって、馬鹿にできるものじゃあないはず。
言いたいことはまあ、坂本真綾を好きすぎることである。生きててよかった、と思う。彼女はそういうシンガー。周りのクリエイターも素晴らしいしね。
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著者:有川浩
読了した版元:角川文庫(2010年)


 今をときめく作家のひとりになった有川浩のデビュー作が、本作『塩の街』である。電撃小説大賞を受賞したこともあり、当時はライトノベル界でにぎわっていたのを覚えている。何故か当時は買わなかったため、時間が経って入手困難になり、一度加筆されて単行本さえ、さらに角川から再文庫化されてようやく6年越しに読むことになった。加筆修正版とは言え、当時読まなかったことを激しく後悔した。
 有川浩の作家としてというより、ストーリーテラーとしての魅力が十分につまっている。謎めいているが青くさくかっこいい大人、非現実的な事件を経て成長していく主人公、絶対的に加わる恋愛の要素もしっかり本作に表れている。『図書館戦争』シリーズで一気に有名になったが、本作から始まる自衛隊三部作ももっと読まれて欲しい、と改めて思わせられる。

 日本のある平日、突如として飛来した隕石のばらまいた塩化ナトリウムにより、関東圏の人口が1/3に減ってしまった。その後日本各地、また世界で同様の現象が観測され、”塩害”と呼ばれる事態が世界を襲っていた。日本では首都圏を直撃したこともあり一般市民をはじめ政府高官や国会議員も被害に遭い、政府機能が壊滅状態に。たまたま熱を出して寝込んでいた真奈は被害を免れたが両親は帰って来ず、悪化する治安の中、真奈は自宅を脱出、たまたま遭遇した元自衛隊員の秋庭の家に転がり込むことになった。ふたりで素朴ながらも平穏な生活を始めたが、ある日入江と名乗る秋庭の知り合いが現れてから、事態が動き出す。

 『空の中』『海の底』を先に読んで思う本作の特徴は、起承転結がはっきりしていて、そのバランスがいい。おそらく公募を狙ったために限られた枚数の中で何ができるか、を考えた上での構成なのだと思う。逆に言えば、物足りないと感じる部分はあるものも、『空の中』や『海の底』に比べれば登場人物を限定的にしていることで補っている。
 秋庭と入江のキャラクターがかなり立っているので(このあたりはいかにもライトノベル的なノリであるし)2人がストーリーを勝手に引っ張ってくれているという印象もあって、後半の展開は細かいところ以外は作家も非常に書きやすかったのではないかと思ってしまうほどだ。

 本作の核心は、一見セカイ系ととられてもおかしくないのかもしれないが、セカイ系ほどエモーショナルで深い(かつ脆い)二者の繋がりがあるわけではなく、ストーリー構成は映画のアルマゲドンのイメージに近い。男が女の前で、命を賭して世界を救ってみせる、そういう映画の予告編でいかにも誇大広告を打たれそうなテーマを持ってきてはいるが、そこが重点かと言えばそうではない。本作のストーリーはあくまで本作の要素の一つでしかない。
 自衛隊三部作に共通する特徴でもあるが、非現実な事態はあくまで設定で、その中で人間のどろどろした部分(本作では序盤部分で顕著)や逆に追い込まれたときの人間の底力や優しさというものを書こう、という意志が伝わってくる。

 本作では主人公である高校生の真奈が思わぬことで大人の事情に遭遇し、もがき苦しみながらもまっすぐな気持ちで様々な事情に抵抗していく。純真さだけではだめ、だからと言って自分を偽りたくない、それでも絶対にどうにかしないと世界は救えないかも知れない。
 複雑に揺れ動く気持ち、そこで芽生えるもの、気づくもの、世界の危機はひとりの女子高生から何を奪い、何を与えるのか。失って、絶望して、安心して、また失って。速い展開で進む事態に対して、真奈というひとりの少女の心の動き、その過程は等身大で、丁寧に書かれている。
 ストーリーそのもののリアルさや切実さは詳しく語られないものも、一少女の目線は限りなくリアルだ。

 ひとりの人間が観測できる世界は当然ながら実際の世界に比べればはるかに小さく、だけど日常というものは誰にとってもかけがえのないものである。秋庭にしても、入江にしてもそれは同じ。
 大人は大人の立場で動かなければならないが、志が空っぽなわけでもない。誰だって、悩みもがきながら生きている。それは現実でもそうたいして変わらなくて、事態が事態だからこそ表面化しているだけのことなのだろう。読んでいて手触りで得られる感覚が身近なものであり、だけど平穏な日常で生きる限りでは気づかないことでもあったりする。
 小説だけでなく音楽でも絵でも何にでも共通することのようにも思うが、創作によって非日常性を表現することは、それだけで受け手に何かをもたらしている。それが薄っぺらいかそうじゃないかは、表現者の技量によるだろうけどね。

 2007年にハードカバー版で追加された四つの掌編も味わい深い。
 ここ最近ライトノベル原作のアニメが増え、一方でライトノベルレーベル以外でも出版するライトノベル作家も増えてきた。有川浩はその両方に当たる存在である。彼女がこれから表現の手段でどういう方向を目指すのか、また中身を、有川浩らしさというものをどう位置づけていくのか、その原点がここにあるのは間違いない。
 ここ最近は驚異的なペースで小説を発表していて、それらを読むのが楽しみである。
 が、個人的な事情として大体は財布と相談して文庫化されるまで待つことになるわけだが。
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 体調がだいぶよくなってきた今日この頃ですこんばんは。まだ少し頭痛があるんだけど、水曜日はだいぶんよかった。4月なのでさすがに学校をサボるわけにもいかず、大学行く→帰って飯風呂して寝る、という生活が一週間ほど続いてました。
 去年末のとは違って、頭痛がひどくてそれのせいで体が重たかったので、花粉症のせいかな、とも思ってみる。体調のよかった昨日は鼻の調子もよかったので。まだ今月いっぱいは油断しないほうがいいんでしょうね。今日ももうそろそろしたら寝ることにします。CLも気になるけど。

 さてまあ、そんな状況ながら火曜日の5限の時間帯に、早稲田大学国際会議場井深大ホールという、若干分かりづらい場所にあるホールで行われたキャリアセミナーのイベントに行ってきました。
 テーマは「インターネットの未来」で、司会が『就活廃止論』の佐藤孝治、ゲストが最近はツイッターで有名な津田大介に、αブロガーでもある起業家の橋本大也でした。一言、単純だけどめちゃくちゃ楽しかった。津田さんのパツキンがすごくまぶしいw

 話の流れとして
・学生はどうやってインターネットを活用すべきか
・ゲストの二人はどういう学生生活を送って今に至るのか

 でした。
 さすがだと思ったのは、場所の分かりづらさと雨というせいか参加者が150,60人くらいだったんだけど8,9割がツイッター使いであったこと。水曜日のセミナーでもツイッター利用者の割合が多かったようで、あと年齢が1〜4年、またそれ以上と区切ってもバランスよくて、それだけでセミナーに出て行こうという人たちの気概を感じた。既に内定もらった、って人も15人くらいいたし。
 インターネットの活用法については、津田さんがツイッターに関してはまだまだ出始めのメディアであり、誰も正解を知らないから好きなように使えばいい、と言ってたのが印象的。年上の人と話すときも、礼儀正しく生意気に、と。
 単純にツールを使うのではなく、自分なりの使い方を見つけてそこから何か新しいものにつなげていく、広げていく、っていうことが当たり前のように重要で、そのことの貴重さも感じる。いろいろな偶然さを目の当たりにしても、そこでアクションを起こすか起こさないかは人によりけり、だしね。
 津田さんも橋本さんも自己紹介から始まったんだけど、ふたりとも90年代前半に早稲田に入学し、そこで早稲田の情報処理環境の先進性に驚いたらしい。橋本さんは当時チャットにはまって、非常時接続だから家でやればうん万円かかるけど、大学ならタダで使い放題だからずっとこもってたとかね。
 なつかしい時代の話であるが、今から考えたらそんな時代がはるか昔のことのようにも思える。自分の体験で言っても10年前にようやくISDNが、中学のときにADSLが、高校に入ってFTTHが、という風に段階を経ていることを再確認した。今のような状況がうらやましい、とお二人が語ってたのも印象的で、それは本当にここ何年か俺がネットを通じて実感していることでもある。当たり前のように、いろいろなことができすぎている、という環境に麻痺しないようでいたい。そこからまた新しい可能性や繋がりが生まれてくるかも知れないしね。

 ゲストの二人の人生ですが、なかなかに壮絶であったw 津田さんは大学時代今でいうところの廃人のような生活を送っていて、それでも様々な要因を経て自分の生きる術を信じ続けたから今があるのだろうと思う。
 ツイッター上の有名人のような位置づけの存在なので、それ自体に対するやっかみが今でもいっぱいあるんだけど(5万人もフォロワーがいるんだから仕方ない)やっかんでも意味がないというか、むしろたくましさを見習いたいと思う。
 橋本さんは8年通い、しかも最後は中退したという壮絶さ。「とりあえず大学卒業しろ」と口酸っぱく言ってました。前半4年間はAISACで実務を学び、後半4年間はバンドをやったりネット上で今につながるクチコミマーケティングのような仕事を始め、結局卒業できなかったようです。経歴だけなら今年の本屋大賞をとった冲方丁と全く同じであるw 大物は早稲田を中退してナンボだなと改めて。
 橋本さんがネットについて言ってたのは「ブログを書け。書いていればいつかほめられる、ほめられたことが才能」だということ。自分をさらけだすことで、他人からの評価を得ることだから、ということなんだろう。俺の場合はあれやこれや書きすぎていて脈絡がなさすぎるので、何かもっと特化してもいいのかな(たまに)と考えてみるなど。
 俺の場合はブックレビューがブログ代わりのコンテンツとして成立しているので、なんとも言えないし、ブックレビューはなかなか評価が目に見えないからまた難しい。あれをブログでも同時うpしようかしらん、と思ってみたりもする。「Daily Feeling」単体のアクセスよりもブログのアクセスのほうが多いので、そのほうが露出も増える、つまり何より俺がメインにやっていることを多くの人に発信できるということなので。

 最後の佐藤さんのまとめも印象的で「津田さんはネットだけじゃなくて、ネットと音楽を組み合わせたことで周りと差別化をはかったから成功した」ということ。色んなビジネスにも言えることだけど、ちょっとした付加価値があるだけで全然違うものになるというのはよくあること。ものだけでなく、仕事それ自体にも同じことが言えるということである。

 最後の津田さんのまとめも面白かったw 覚えている限り列挙
・好きなものを徹底的に使ってみる
・ダメなところを極める(そのうち飽きてくるから
・3年ごとにモードを変える(柔軟性を持たないと生き残れない
・新しいメディアは使ってみる
・ゼネラリストとスペシャリスト→複数のスペシャリストを目指す
・上の世代に「礼儀正しく、生意気に」
・心が折れそうなときは根拠のない自信と、いつでも考えを変えられる柔軟性を(なんとかなる精神も大事



※質疑応答/Twitterについて
津田「ルールを決めないで使っていこう」
橋本「カオス。定まってないから、面白い」
佐藤「新しくはなくて、再帰的なメディア。昔のネットに似ている」

※早大生に向けたメッセージ
津田「早稲田は群れないけど、お祭り好きなところはツイッターに似てる」
「ツイッター大学生=慶応SFCのイメージだから、早稲田にツイッターを取り戻せ!」
橋本「あなたはどうか分からないけど、早稲田は友達の半分くらいが偉くなるので、打算的な意味でも友達は大切に」

 自分の中でもやもやしていたものの、解決の糸口のヒントが見えた気がした、そんな一日でした。
 本当は金曜日の「地域活性化」にも行きたいけど必修の授業である。。


*タイトルは植村花菜の1stアルバムのタイトルでもあり、そこに収録されている楽曲のタイトルから。大事なこと、よね。いつか、思いっきり笑ってみせる。そういう日々を目指す。 
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 4月というのに昨日はマフラーが恋しいほどの寒さ、ふつうに凍えてましたよ、と。しばらく書いてないものあれなので生存報告をば。今週はITパスポート試験ですね、とかプレッシャーかけてみる。どうなることやら。
 寒暖の差かどうかは知らないが体調の波があってよろしくない。大学には行ってるけど、帰ってきたらへたりこんでしまう。去年の11月ほどではないが、なんとも言えない感じでござい。まあ、これくらいなら乗り切らねばとも思いつつ。新学期始まったばかりなので体調と応相談やな。出席とらないのは休むかも。今日はしっかり行くけどね。

 今期はマイナー授業も多めにとったのであまり人との絡みはなく、大学で人と会うのは月火金の3日ぐらいで、水木は趣味でとった意味合いが強い。単位をぽつぽつ落としていたり民法をとったせいで未だに教養もとってたりするので。いやまあ今回も民法債権総論をとったわけですが。物権の知識が必要かもと言われてはわわわ、ですがw
 今日の「日本外交論」「都市問題」は面白そう。前者は密約のことも扱うと言ってたし、今のことを考えるために戦後からふりかえるのは大事だしね。「都市問題」は国内外からめての街作りという観点からの授業と言った印象。後半でコンパクトシティも扱うらしいが、とりあえずヨーロッパ中心の印象も受けた。先週は還暦をすぎたであろう先生が楽しそうに授業を進行してたけど眠かったw

 そして、昨日からゼミがスタート。今年からのゼミで初顔合わせも昨日だったのでgkbrして行ったんだけど、わりとあっさりした感じの人が多くてしかも知り合いが一人二人いて、初回にしては予想以上になじめた印象。まあ、それが目当てでもあるしね。思ったより周りのテンションが高くてついていけなかったとかごにょごにょ。
 まあいいや、まったりやろ。半分の人とは絡めたけど残り半分とは絡めなかったし。GW前に飲み会やるらしいのでwktkしつつ、体調を早く治せねばね、とも思う。
 先生はかっちりやる感じの人のようだけど、おちゃらけた感じもありそうなので楽しみ。ダメだしを厭わないそうなので、まあいくらでも叩いてくださいと。叩かれないように努力はしつつ。

 今は日曜日に向けてやれるだけのことを。結果はどうあれ、今から何ができるかが大事。ほんとうはもっと早めに気づいてやるべきだったとは当然思ってるし、それでも残された時間分はあがくべきだよね、と。

読了
20-22:『菜の花の沖 1〜3』司馬遼太郎
23:『マスコミは、もはや政治を語れない』佐々木俊尚

※タイトルは坂本真綾の楽曲から
力強いメッセージ、ライヴで聴いて大好きになった。こういうときには特に、はげみになる。アニソンや声優のイメージが強い彼女だけど、大半の楽曲は全然違う風なので、もっと一般の人にも聴かれて欲しいと強く思う。
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Maaya at Budokan on 0331


 2010年度最後の日、3月31日に半年待った坂本真綾の武道館ライヴに参戦。彼女の30回目の誕生日記念、また歌手活動15周年を期しての、一回きりのライヴに武道館は超満員でした。人大杉わらたとはこのことでしょう。
 千鳥ヶ淵はちょうど桜も見頃で、桜目当ての人とまあや目当ての人で九段下からの道のりが見事に混雑。熱心なファンではないので会場30分前に到着してなんとかぶあついパンフをげっと。このパンフだけでおなかがいっぱいになってしまうくらい、ぜいたくなパンフ。かぜよみツアーのようにネット通販で売り出されるならぜひぜひ、と言いたいくらい。Tシャツもかっこよかったので欲しかったけど30分前ならまあ売り切れてますよね、ということで。会場はTシャツ来ている人とバッグを持っている人でいっぱいでした。どっちも買えなかったんだぜ・・・。まあ財布にはやさしいけど。
 この一日をふりかえり、あと熱心なファンではないけれどこの日彼女に対して感じたことをつづってみたい。ライヴレポ半分、エッセイ半分のようなものである。
 彼女は2010年を20代の終わりと30代の始まりで迎えた。俺は丁度10年違いで、10代の終わりと20代の始まりで迎えた。度合いは違えど、一つ区切りを経て得る心境の変化というものは、共感できるところがたくさんあったので。

 というのはありつつ、18時30分すぎに予定通りスタート。かろやかに登場してツアータイトルでもある「Gift」を熱唱。「プラチナ」まで歌い終わってから一回目のMC。
 「こんばんは、坂本真綾30歳です♪」がかわいくて、あなたもう今日からオーバーサーティーズなんだけど、と心の中で言い返してみる。ここまではすべて彼女が10代のころの曲で、「プラチナ」は初々しくて明るくて、はずむような明るさを持つ曲でそれこそ、かわいい、と言う言葉がぴったりだった。CCさくらの3期オープニングで、当時9歳の俺が彼女を知るきっかけになった曲でもあるので、個人的にここで一気に盛り上がりました。でもそういう人は多かったはず。
 うろ覚えなんだけど、MCで「財産」という言葉が印象に残ったのを覚えている。30年生きてきて、その半分を歌手としても生きてきて、今までの出会いに感謝という形で「財産」という言葉を使っていたように思う。「ここにいるみなさんの存在が、その最たるものです」とも。かわいさとかっこよさを兼ね備えるシンガーは、真摯に自分と向き合っている姿を感じられた。このあたりのことはライヴのパンフでもいろいろと語っているので面白い。CLAMPとの対談で「わたしモテないんです・・・」とか。
 そのあたりを少し考えてみたんだけど、幼い頃から子役での仕事はあった彼女が、高校生になってさらに歌手や声優という風に幅を広げ、それでも大学も卒業しているというすごくキッチリした経歴を持つ人でもある。ひとえに自立心というものが早い時期から大人の世界に混じる中で形成されて、彼女の人格形成にも寄与したのかも知れない。残念ながらモテない今のまあやが一人のシンガーとして非常に魅力的なので、モテる彼女はちょっと想像できなくもあったり。 

 4曲目、「blind summer fish」から7曲目「30minutes night flight」はちょっとしんみり。8曲目「Remedy」と「紅茶」でまたテンポを落ち着けながら、10曲目の「SONIC BOOM」で一気に盛り返す。「紅茶」の中に”地下鉄の入り口にある桜は今年も咲くかな”というフレーズがあるので歌ったのかな?なんて。
 このゾーンは新旧織り交ぜて歌ってるが、この後の曲も含めて「かぜよみ」から4曲歌ってるんですよね。彼女が一つの区切りになったという思い入れのあるアルバムなので、区切りの日であるこの日にもたくさん歌ったんだろうか。「Remedy」もアルバム曲の一つなんだけど、去年ラジオでお気に入り、と何度も言っていたので選曲に入ったんだろうな。昔からのファンはともかく、わりと新しいファンには嬉しかった。長い目で見た彼女も見たかったし、今等身大の彼女も見たかったから。逆に言えば、30歳になって10代のころの曲を歌う心境てどういうもんだろー、とか思いながら古い曲は聴いてた。すごく、楽しそうだったけどね。若い頃の曲(今も十分若いけど)という初々しさもあってか。

 11曲目「奇跡の海」「gravity」「カザミドリ」と有名曲が続いたあと、ニコパチ収録の「ダニエル」を歌いあげ、ここで。真打ち登場。坂本真綾を語るには欠かせない存在の一人、菅野ようこがいつの間にかピアノのそばに。スクリーンに映し出された瞬間に会場が発狂してるんじゃないかというヒートぶり。まあやの登場シーンよりも、意外性という意味ではすごかったかもしれない。去年のツアーは会場には確かいなかったので(DVDで見た限りだけど)
 その菅野ようこのピアノを添えて、メドレー。しっとりと「指輪」や「tune the rainbow」を歌いつつ、「しっぽのうた」のような曲ではしゃいでみたり。「トライアングラー」から「約束はいらない」へのつなぎはおお、っと思ったり。このメドレー全体的にだけど、菅野さんのDJのようなつなぎの技術に感動。ふたりの表情が非常に晴れやかで楽しそうだった。音楽の原点だね。

 菅野さんが去ってからの16曲目に着ていたドレスを脱ぎ捨て、「Get No Satisfaction」を熱唱。大好きなのここできた!再び一気に盛り上がる。かぜよみツアーでは冒頭だったけど、この曲はバンドアレンジでやると本当に盛り上がる。しかもちゃっかりギターを弾くという。弾くというか、ほとんどさげてただけだけどw
 続く「マメシバ」と、「Private Sky」でムードを持続させつつ、「光あれ」を歌い、次が最後の曲です、とMC。本編最後、20曲目は「DIVE」収録の「I.D.」。これは彼女のホームページのタイトルでもあるし、ファンクラブの名称にも関係しているので、最後に持ってきた意味が分かった気がした。

 このあとMCがあってこれもまたすごかった。本編2時間で、アンコールだけで1時間。3時間の充実しまくりのライヴでした。
 音響はライヴハウスじゃないので限界はあったけどそれほど気にならなかったし、ライトのコントロールがめちゃくちゃうまかった。バラード→バンドサウンドの切り換え時の一体感をうまく演出していたと思う。最近行った渋谷AXはなんかむやみやたらにライトをいじっていた気がしたんだけど、今回はめちゃくちゃ丁寧に練られてたんだなあと思う。
 VJのようなものはなかったけどバンドメンバーの個別パフォーマンスあり、それこそゲストが2人もおり、十分すぎるくらい楽しかった。

 30歳の誕生日を迎えても意外にも彼女には区切りという実感がなかったらしい。30日はライヴ前日のために早寝をしたら誕生日おめでとうメールが0時すぎにいっぱい入ってうっとうしかった、とかw
 誕生日に執着してないわけではないだろうけれど、TBSラジオの番組でも言ってたしライヴでも言ってたけど4年ぶりのアルバムである「カザミドリ」をリリースしたことが大きな区切りだったらしい。菅野ようことも一定の距離を置き、多様なコンポーサーに楽曲提供してもらい、結果的に20代最後のアルバムとなった。このあとに旅に出て新曲に、というエピソードがあるようなんだけど。

 話がちょっと変わるけど、坂本真綾のかっこよさを大きく実感したのは「空の境界」で両儀式を演じていたとき。式というキャラクターの複雑な内面を、坂本真綾という個人がどういう風に演じるのかは原作を読んでいたときから興味があったけど、式が男前すぎた。映画見た人は分かると思うけど、たまにデレるシーンはあれども戦闘シーンにせよたたずまいにせよ、あまりにもかっこいい。
 武道館のステージに立っていた坂本真綾もそうだった。小さい体をふんだんに使って、360度オープンのステージをかけまわる姿からはかわいさを感じられるが、「カザミドリ」を静かに歌い上げる風だとか、「光あれ」を堂々と歌い上げる風だとか、男前としか言えないのが不思議。本人もあれ?という表情をして着ていたドレスは、正直ミスマッチだったと思う。そのミスマッチさが面白かったんだけど。ドレスを脱ぎ捨て、身軽にステージを駆け回る彼女のほうが、演技者ではない自然体の坂本真綾のように思えた。
 声優にしろ舞台にしろ演技の仕事もしている彼女が、本当の素になれるのがライヴなんだろうと思った瞬間かな。そうじゃないと、あんな表情できないよね、っていうくらい終始楽しそうだった。20代が終わったことの切なさはみじんも感じさせず、ライヴパンフにも書いてたが、30代のスタートを心から楽しみにしているような表情が素敵だった。

 そんな一日。彼女が生まれた30年前のこの日は桜が満開だったそうだ。この日の千鳥ヶ淵も、水面に映りこんだ桜とあでやかな月が非常に綺麗だった。彼女を祝福するように。
 この次の日の4月1日、東京都心で2010年の桜は満開を迎える。続きを読む
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