Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2010年03月

監督:神山健治
脚本:神山健治
主演:滝沢朗(CV:木村良平)、森見咲(CV:早見沙織)

劇場:テアトル新宿

 楽しみにしていた東のエデン第二部をようやく見てきた。第一部がいかにも二部のための伏線としてでしかなかったので、劇場版で言うところの本編である本作を楽しみにしていた。そして思うところが色々あったので書いてみたい。
 よって、この文章は映画の感想というよりは映画”考”の部分が大きいと思われる。ネタバレあり。

セレソンについて

 アニメとして、ストーリーとして終わらせるということは今までに貼った伏線や謎を考えると明らかに無理だろうと分かっていたので、その上で映画の着地点をどのあたりにするのだろう、ということが本作を見る前の心づもりで、それを鑑みてもひととおりの満足はしている。
 めちゃくちゃいい、というわけでもないが小さな伏線を少しずつ消化しながらの展開は痛快で、主人公滝沢のキャラクターを生かし切ったストーリーである。彼を中心に世界が回っているという意味ではある意味リアルな一人セカイ系なのかもしれないが、それはまあしょうがない。そうしないと、たぶん時間内に映画が終わらないから。
 セレソンにもそれぞれ役割があって11人全員が平等に登場してきたわけではない。それはセレソンという某国サッカーチームの相性に由来するように、チームスポーツでは誰もがヒーローになることは不可能だし、そんなことに意味はない。早い段階からNo.1の物部と9の滝沢のツートップという展開は分かっていたし、このふたりにパスを出すことでアシストしたり、独走して脚をひっぱったりということも、いかにも統率のとれていない(最近はそうでもないが)セレソンというチームを思い浮かべる。彼らをアズーリと命名したことよりも、セレソンと命名したことの妙味を改めて感じた(ここまで意識している人はサッカーファン以外にいないかもしれないが

現実政治志向とユートピア志向

 物部と滝沢の考え方の違いについて考えてみたい。滝沢は「あんたとは考えが似ている」というが、物部は「わたしたちは合わないね」と言う。この違いは何か。
 滝沢は物部と何回か話をするたび、結局目指す方向は同じじゃん、と思ったのだろう。物部の言う国家転覆論のはすなわち既存権益の破壊にあるわけだから、滝沢が若者がもっとものを言えたり仕事をしたり、というような社会にしていこう、というのと遠い考えではない。ただ、物部はあくまでも現実政治を元に考えている(そのへんが元官僚、という設定らしい
 やるべきことの下地を作ったら自力でなんとかしていける。それだけのパワー(権力的な)と人脈を物部は持ってるんだろうと推測されるしテレビアニメ、映画通じてこの人がやっていたことを考えると無理もないと思う。スタンドプレーが好きで、それでいて何かを変革したいと思っている。自分が中心だ。もしくは自分と能力のある人たちが。そういう発言も映画の中で見られたのでね。
 映画の中での物部の「国家のダイエット」という言葉は、システム論的に国家を考えているのがよく分かる。その上で現実政治を利用できるだけ利用するし、変革もそうやってトップダウンでやっていこうと思っているのだろう。こうやって振り返ると小泉純一郎元首相のやり方に近からず遠からず、かな。小泉さんがノブレス携帯を持っていたらこの世界は良いか悪いかは分からないがもっと激変していただろうし。
 ひるがえって、滝沢はニート二万人誘拐事件に代表されるように、政治とは全然関係ないやり方、滝沢にとって身近なやり方で行動を起こす。身近な、と言うのがおそらくポイントで、物部にとっては政財界の関係者が職業上身近であるが、一人の若者でしかない滝沢にとっては同じ世代のニート連中が身近だった、というだけの話だと思う。
  滝沢はユートピア志向と書いたが、世代間でよけいないさかいやけんかのない、みんな仲良くな世界を目指したいのであろう。心理的社会主義というか機会均等主義というか、大人の事情で若者にハンデがある現状を打破したい。大人がいつまで世界を牛耳っていても、新しいものは生まれない。そういうことを、身近な東のエデンの面々や京大生ニートの板津を見て思ったんじゃないだろうか。若者が若者らしく楽しく生きて何が悪い、と。
 結果的に物部はトップダウン、滝沢はボトムアップでやろうとした、おそらくは年齢や社会的立場がそうさせた部分もあるというだけのお話。物部が主人公にしても二次元アニメはつまらないが、滝沢が主人公なら政治的な概念がからんできても、全体として話が面白くまとまる。
 これが神山のねらいの上手いところである。どこまでねらったかどうかは分からないが、普通アニメーションで政治を扱うということはなかなか少ないと思っていて、ある意味それすら話のネタにしてしまったのが東のエデンシリーズの妙味である。


現実的悲観主義と、CLANNADの風子に通じる一途さと

 もう一段階滝沢と物部について考えてみる。
 現実的悲観主義というのは物部の中にあるものだと思っていて、彼の原点は現実への絶望だろう。何も変わらない、変わるとしても時間がかかりすぎる。どうやったらもっと事をスムーズに、思ったように運べるのだろうかというところが原点なのではないか。
 そのためにはマキャベリズムとも言わんばかりに手段を問わない。使えるものを使う。悪者官僚に代表されるような狡猾さをさらっと発揮していくのがこわいこわい。また、悲観主義は特別物部だけにあるものではなく、広く一般的にあるものだろう。特に政治に対するそれは政権が変わろうが変わるまいが、政治家という職の特別性によって悲観主義からはぬけだせない。
 たとえば新しい内閣が成立したときは前内閣の支持率をはるかに上回るのが通例だが、ここ最近では小泉さん以外は内閣成立後に順調に支持率を落としている。このことからも、期待が失望に変わるシークエンスをわたしたちは何年かの周期で見ていることになる。政治が力を持っていて何かを変えられると思う一方、所詮政治家だからあてにできない、というやるせなさであると思う。
 滝沢は、人脈やコネを使い周りを利用しまくる物部とは違い、記憶もないわアニメで最初に登場したときは服もないわ、たまたま会っただけの森見咲と一緒に帰国し・・・という破天荒な人生である。
 たまたまうまくいったという展開もあったが、その中で滝沢は自分なりにあがき、しかも基本的には一人で行動する。ヒロインである森見咲を常に心配させるくらい置き去りにし、自分自身は孤高な存在として、よく言えばフリーランスという身軽さで(というかただの無職だが)ストーリーを、ゲームを駆け抜ける。
 滝沢を支えるものは何なのかということについてずっと考えていた。アニメの主人公である彼が何かをやらかすのは分かるが、その上でモチベーションというものを感じられないとリアルさを感じえなくなってしまう。
 一つはゲームに乗せられてしまったことに対する怒りと、楽しんでやろうとは思いつつもいつか「Mr.Outsideをぶん殴りたい」と思っている気持ち。それが出発点ではあるだろうけれど、それだけではモチベーションには乏しいとも言える。一人で動き回るのは性分なのかもしれないが、何か足りないなあと思っていた。
 その疑問が氷解したというか、ああそうか、そりゃそうか、と思うようになったのがアニメのストーリー後半からであるし、劇場版の二編を見て強く思ったのが、ヒロイン森見咲の存在である。記憶をなくした滝沢が初めて会った人、雛鳥が親だと認識した、その感情があるかどうかは分からないが、一緒に旅をする中で惹かれていったもの、そして離れている自分のことを常に気に掛けてくれている存在、それが森見咲だろう。
 彼女は板津やみっちょんのようにITに精通しているとか、平沢のようにマネージメント能力があるとか、特別な能力を持っているわけでもないわりと平凡な女子大生(アニメ放映時)で、就活の面接であっけなく落とされる(アニメ3話だったかな?)ような女の子である。ある種の献身とも言える滝沢の奮闘は、CLANNADでの風子の存在を思い出した。風子が姉のために、最初はたったひとりでひとでを彫り、それを配り続ける。風子に興味を持った朋也や渚が助けるようになるが、それも滝沢をエデンチームがサポートし始めたことと同じような動機だろう。
 風子と滝沢、それぞれ孤高で、ちょっと頭のネジがずれてるんじゃないかというような破天荒な行動パターンを持ち、それでいて人として魅力的な存在。単純に一緒に何かをやっていて、面白いことが起きるんじゃないだろうかという好奇心。風子が目指したかったのは姉の幸せだけであり、滝沢の目指したかったものは大きすぎるかもしれないが、滝沢の頭の中には常に森見咲の存在が欠かせないから、結果的には彼女の幸せを願うことになるのではないか。
 そこで初めて、このストーリーは脚本力もなかなかだが、何より滝沢というキャラクターに生かされて面白い展開になっていることを実感した。彼のようなキャラでなければここまでエキサイティングな展開にはならなかっただろう、と。

終わりの始まりと始まりの終わり

 映画第二部や映画のパンフレットでいくつかのネタバレはなされているものも、ストーリー全体の謎が解明されたわけではない。JUIZは結局何者だったのか、彼女の技術はどうなっているのか。セレソンも11人すべてがまともに登場したわけではないし、などなど。
 ただ、ストーリー通じて展開されてきたゲームは一つの落下点を得て着地した。そのことに不満はない。ゲームそのものに関する小さい伏線の消化は見事だったし、劇場版第二部は滝沢以外のエデンメンバーがそれぞれ役割を与えられ活躍している。ある種の群像劇としても成り立っているので、見所は第一部よりもはるかに多かった。
 そして、ラスト。終わりの始まりに近づく中で、感じさせてくれた始まりの終わり。そう簡単に、滝沢の人生に結論が出るものか、と。まあ、うん、個人的には悪くないと思っている。いかにも彼らしいからね。

終わりにかえて
 大分長くなってしまった。ここまでで4200字も書いてしまったらしい。どれだけ暇なんだと。いや、やることもちゃんとやってます。時間がある春休みだからこんなことができたとしか言えない。たぶん。
 東のエデンというタイトルを聞いて、エデンの東というジェームズ・ディーン主演の50年以上前の映画を思い出した。まあ、極東にあるエデンだからそれだけで通じるし、あくまで俺が思い出しただけでしかもこの映画は概要くらいしか知らないのだが、ジェームズ・ディーンの役柄もなかなか若者的で破天荒な感じだったと聞く。
 このことを同世代に言ってもそんな映画しらねーよ、と返されてしまったので何とも言えないけどw ディーンの映画も暇だったら見てみようかなあ、と思ったり。
 というあとがきでした。俺のブログではよくあることだけど、長々と読んでくれた方は本当にありがとう。 
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 先週末に所用で帰省し、火曜日にソッコー期待し、ひきこもって勉強、のつもりが高校野球やらなんやらでうまくいかず、さすがに勉強しないとやばいだろうというアレです。ロースターターなんだから、直前に勉強再開する時点でアホだと思うんですがまあそれでもやるしかない、と。ITパスポートまであと三週間でございます。来週から過去問は無理フラグ。ていうか過去問演習用の本買ってなかったりするんだが。
 それとは別に数学ガールゲーデル編も再開して5,6章を終えたり。ちょっとずつ難しく、というか複雑になりつつあるけどイプシロンデルタ論法はちゃんと理解できた。記号論理学は一年ときにやったというのもあるが、理解しやすいなあと思う。数式ではなく文字、という意識が全面にでてるからかもしれないが。そしてテトラ萌え。珍しく年下萌え。
 頭の体操としてバランス良く数学をはさんでいこうと思ってるが、この本はそういう目的にかなってるなあと思う。よくできてる。どこでつまづくか、どこに視点を向けるべきか。主人公がモテモテなのはまあアニメではよくあることだしあまりつっこまないでおこう。理系には数学的な意味では物足りないだろうけど話として全然面白いし、文系には数学的に完全に理解できなくてもやりとりは楽しめる、と。一番楽しめるのは数学を多用する文系である経済系の人だろうな。分からんがw
 そんなこんなで科目登録もすませました。結果待ち、と。先攻登録というのがあって必修科目が第1〜3希望まで全部選外だったとかいう涙目なできごとを乗り越えて。なんとか穴埋めはしたものの。前期頑張ってその科目と経済科目と教養科目の残りを終わらせます。後期は絶対的に忙しくなるので、前期もそれなりにやることはあるけど前期のほうがまだ余裕あるだろう、と。四月病とかじゃなくてマストとしてやらなあかんと思っとります。

 萌えの話が出たので少し。少し前に大学の友達とも話をしたし、ネットをしていてもわりと良くぶつかるお話なのが、方言萌えというジャンル。2月に会って話をした人曰く、女友達の中に九州弁はたくましさがあるからいい、って言う人がいたらしい。方言が内在する人間像、文化的な何か、というものはあるんだろうね。讃岐弁が内在するのはなんやろ、イントネーションは西日本なので関西弁や岡山弁と変わらないままも、関西弁ほど主張が強くないし岡山弁ほどにごりはないですね。岡山弁や広島弁のにごり(濁点による)がどこから来るのだろう、と気になる。西日本では九州まで行けばにごりは消えるからなあ。山口や山陰の言葉はよく知らないんだけど。
 岡山弁は香川にいた頃の主治医が岡山の病院だったので、通院したり検査入院するたびに岡山弁に囲まれていたのを思い出す。瀬戸大橋隔てただけでここまでちゃうんかい、と最初思ったなあ。よく知らない人はPerfumeが素で喋ってるような動画などを探していただければ、あんな感じだと思います。岡山弁と広島弁の違いがあんまりよく分からないので似たようなものだと思ってる。この違いも興味あるね。ネイティヴの人には差異を感じるんだろうな。まあ、そう考えれば香川は愛媛と似てるから、どうしても隣接地域で交流があると似るものなのね、と。
 友達との話に戻ると、関西弁の感染力は強い、と。これはネットなどでもよく言われてるしはげしく同感するのだが、強いよね。独特なやわらかさというのもあるだろうけど、関西弁の持つ押しの強さ、漫才でいうツッコミに顕著なソレはなかなかに強力で、標準語にはない。標準語はすごくかっちりしてるから、日常的に使っていても感染力はみじんも感じない。いわゆる関西弁とは少し違うと思われる京都弁は、個人的に女の子が使ったら至高な言葉だと思っております。京都に行ったときにその話をしたら、「そう思う人は多いけど、京都弁がいいからって簡単にだまされるなよ」とさとされましたw というわけで京都旅行楽しかったです。

 木曜日は二ヶ月ぶりに三軒茶屋グレープフルーツムーンに行ってきてライヴ見てきました。楽しかったね、さすが慣れてる。
 色々あって遅刻したのが残念なくらい、一組目の「BLASH」というユニットはなかなかに素敵でした。ボーカルは電子ピアノでやさしいメロディを奏でつつ伸びのある声を出し、アコギを弾く彼は彼であたたかみのあるメロディでした。アコギとピアノの親和性の高さを再確認、というかやさしいピアノメロ+女性ボーカルというだけで好みなのに、ボーカルには思った以上にひきつけられました。3曲しか聴けなかったけど一目惚れです。結婚式の曲と、その前の曲がほんとすげー好みだった。物販でCD買うのを悩んでやめたのを後悔するくらい。今度アマゾンかどこかで買おうと思います、ほんと素敵だった。
 二組目の「ぶぅりん with 上野誠」はそれほど魅力感じなかったかなあ。一組目が衝撃だったからかも知れないが。対バン形式の場合、どういう人たちが出てくるのか分からないおもしろさがあって、それがいいなあと再確認はできた。二ヶ月前のmicchele143もそうだったか。
 三組目で阿部芙蓉美が登場。ネタにもしてたけどちょっと花粉症で鼻がむずむず気味の阿部さんである。「開け放つ窓」のピアノバージョンで一気に会場を引き込むあたりはさすがである。前回も思ったけど、ピアノのgomesさんがいいなあ。うん。洋楽カバーのセッションは楽しいし、音源化されてない曲を2曲も聴けるのはライヴの特権ですね。「空に舞う」は早く音源として聞きたい!と思う明るいナンバー。タイトル通り、良い意味での浮遊感を感じられる。「Birthday」のセッションも大好きだ。MCではいつものように浅田真央を話題に出すなど。世界選手権楽しみだね。高橋君に続けるか。
 ライヴ後に阿部さんに「おつかれさまです、いつもツイッター見てます」と言ったら「ねえねえ、始めたばかりでまだ勝手がよく分かってないんだけどどういう風にフォローしてる?フォローされたらみんな返してるのかな?」と返されて少しお話。まさかの展開で楽しかった。言ってみるものだね。ボーマスでPさんたちと喋るのとはまたちょっと違う感動でした。間近で見るとかわいいなあ、と改めて思ったり。ちょっとだけおいしい展開でした、と。小さなライヴハウスだから、演奏者と聞く人の距離結構近いんですよね。阿部さん他の人とも話してたし、他の出演者もファンの人と話をしてたから。

 set list 20100325 at grapefruit moon
 ←セットリスト、こういう細かいのがいいなあ。




※ブログタイトルは阿部芙蓉美の未発表曲より








読了
18:『デジタルネイティブが世界を変える』ドン・タプスコット
19:『トーキョークロスロード』
 18は良書。ポジティヴすぎる面もあるが、この世代に注意を促す部分もあるのでトータルとして悪くはない。上の世代が押しつけじゃない、データに基づいた論理的な世代論となってます。そしてただの世代論に終わらないのが面白いところだ。
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 意外と忙しい春休みですどうもこんばんは。いや、忙しいっていうのはこういうものじゃないことは分かってるんだけど、色々やることがあるのっていいなあ、と。まとまった時間と体力がないとできないことはいっぱいあるわけで、ちまちまとでも片付けていけばスッキリするんじゃない?というお話。
 何かが終わったあとにまた別の何かに手を伸ばしてしまったら意味がないとも言えるんだけど。まあそれでも今はちょっとたまっていたことをちまちま片付けつつ、東京散歩もしたり、と。そんな感じでござい。

 先週の話だけど、8日に1月の単発バイトで会った人たちと飲んでました。俺含めて4人いて、その後の成り行きで俺が幹事をすることになり、全員の日程がうまくあわなかったので3人だけでここで飲みました。3回くらい使ってるけど肉派の人も魚派の人も満足ないいお店。ほとんどの人にとってお値段以上のクオリティだと思います。魚は旬のものがでてくるのがいい、そのあたりはさすがによくあるチェーンの居酒屋とはちがう。
 とまあそこでサヨリをつまみながら飲んでいたわけですが、歳が一個違うんですね。あと大学も全然違う、それだけで色々とカルチャーショックを感じてしまったが、逆に言えば今の環境はそれがダイブないんだなあと。東京の生活にだいぶん慣れてしまったのかもしれない。サヨリをつまむときに、魚を食べる習慣がふだんどれだけないのかということに気づいた、っていうのもあるし。瀬戸内海ではありえないことだから。
 話をして分かったのは、自分はまあ人とは変わった趣向を持ってるんですねということの再確認と、まだ壁はあるということ。大学って、特にうちの大学は数えきれんほど色んな人たちがいるから多少変わった存在でも普通に許容されるんだけど、少し外に出てみるとそうじゃない。井の中のなんとか、にならないようにとは常に思ってるし意識してるんだけど、でも油断していたんだろうなあと思う。会うのが2回目でそれはさすがに拙速だったと反省反省。
 自分をさらけだすのって、よく会う人の前でもあんまり得意じゃない。人と関わるのは好きだけど、基本的には自分の好きなことのために生きてるからなかなか人と関連性を見いだしていけなくて、自分を前に出せないことがある。出せる相手の場合はすごくリラックスしているけど、いつもがいつもそうじゃあない。それがよく分かった。痛いほど、は言い過ぎかも知れないが壁を感じた瞬間は少しやっぱり痛かった。
 そんな一日でした。全般的にはそれなりに楽しかったけどね、うん。

 次の日に核の密約に関わる岡田外相の記者会見をニコ生で見たときに時代が変わったと改めて思ったそんな一週間でした。あとは色々作業やってました。途中だるいけど、けど面白いところは面白い。作業と名のつくものはそういうものなんだろうねきっと。つーかこの日3月なのに大雪でびびったわw
 「ハルヒの消失」先週ようやく見ましたよ。あれはすげーわ、うん。トリックはずっと見てたらわかりやすい単純なものだけど、演出が面白すぎる。トリックのシンプルさを演出で盛り上げることで、心情を深く掘り下げることにも成功してるし、京アニすげーだけじゃなくて関わった人みんなすげーわ。
 春休みも残り3割くらいだけど、悔いがなるべく残らないよう時間をうまくつかっれいければと、そんなことを思いつつ。またどこかで旅行の話は書くよ!(たぶん

読了
11:『ゼロ年代SF傑作選』
12:『亡国の中学受験』
13:『若者はなぜ3年で辞めるのか?』
14:『塩の街』有川浩
15:『夜想』貫井徳郎
16:『どきどきフェノメノン』森博嗣
17:『街道をゆく 10 羽州・佐渡』司馬遼太郎

タイトルはmillstonesさんの楽曲から。なんてオサレ。ぐみ可愛いよぐみ。
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 遅ればせつつ。3/1から3/4までふらっと近畿北陸紀伊地方を主に18きっぷを使って旅行してきました。宣言通り。いい意味でも悪い意味でも想定外の事態も含みつつ、十分満足できる旅だったと思います。ふだん行けないところに行って、見られないものを見るというのは楽しいことだな、と。日本は広いんだか狭いんだかよく分からなくなったりもしつつ。
 ふりかえりましょう。2/28がpreviousなのは、この日は18きっぷの対象外の日で、旅行と言うよりはよく行く大阪京都でただ遊んでただけなのでwまあ最初からクライマックスだったわけだけど。

 前日新宿でバスに乗り、朝難波に到着。とりあえずトイレに行きたくてファミマにとびこんだら、「自由に書いてください」というノートがあったので書き込む。ただのコンビニにあんなのあるんだね。難波中一丁目店だったと思うので、
通りかかったら寄ってみると面白いかも。落書きにはミクさんがいくつか描かれてましたw
 VELOCHEでサントリーミュージアム天保山が開館するまでのんびりしてから、地下鉄で大阪港駅へ。小学校の修学旅行で海遊館へ行った以来の天保山なので、9年ぶりか。もうほとんど覚えてないけど海沿いの複合施設、って感じでしたね。駅を降りたら雨もやんですっかり晴れていたので、風が気持ちよかった。

 少し歩いて到着。
Suntory Musuem in Tempozan


 見上げると武蔵が、でしたね。すごく、おおきかった。
 なぜか開館前なのに入れたので予定より早く見て回る。てか開館前なのに人多い多い、カップル多い多い。一人で来るなということですかそうですか。めちゃうくちゃ脚長い美人さんもいたしなあ、大阪すごいよ大阪。
 感想としては、館内には館内だけのストーリーがあった、ってとこかな。ちょっとでも書くとネタバレになるのでほとんど感想は書けないに等しいんだけど、見せ方にはかなりこだわってる。2日目に行った21世紀美術館も見せ方にかなりこだわった美術館だったけど、井上雄彦のこだわりもあなどるなかれ、と。
 連載を常に抱えながらこれをやりきるということは、それだけで両立できるのかどうかと疑いたくなるけど、見終わっていっそうそう思った。それでもやりとげるのが漫画家井上なのだろうね。すごかった。陳腐だけど、それしか言えない。今週末までやっているようなので、まだの方はぜひ。朝でもそれなりに混んでるけど、朝の方がたぶん無難に入れますね。
 
 予定より早かったので昼からは中学の陸上部で同じで、今は大阪体育大学でこりずに陸上をやってるやつを急遽呼びつけてみるなど。本当は早めに京都に行くつもりだったけど、まあ会えるときに会える人と会うのは大事なことかなあと思い。
 梅田で会ってラーメンを食い、ふらふらとさまよって結局カラオケに落ち着く。昔から人当たりのいいやつだったけど、歳とるたびにそういうところを感じさせるね。まあ成人式で会ったばっかなんだけど、またどっかで会いましょう。

 夜は京都の四条河原町で今度は立命館に行ってる高校時代の女友達と待ち合わせ。三条あたりで彼女と、彼女の友達3人の合わせて5人で飲んでました。3人の友達のうち1人しか待ち合わせに来ていないというゆるゆるクオリティw まあ年度末だからね、うんしょうがないよ。
 30分すぎて京大の院に行きつつ傍らでソフトウェア開発をしているという人が到着し、基本的には他のメンバー置き去りに彼と盛り上がってました。ツイッターいいよね、とかデジタルネイティヴがどうのこうの、iPhoneごにょごにょ、とか。まあそのへんの話を色々とオフレコもけっこうあったのでブログになぞ書けませんが。あと当然のようにこのあとツイッターでフォローしてもらうなど。
 最初の店には夜7時過ぎに着いたんだけど、そこで3時間飲んでから別の小さなバーでまた3時間ほど、結局寝たのが4時だったかな。初日からクライマックスすぎます、めちゃくちゃ楽しかった。勉強の話や仕事の話をたくさん聞けたので、はげみにもなったというか。これからの時間の過ごし方について、旅行前よりは見通しが明るくなった気がします。みんなありがとう。



おまけ。
Sengoku Nadeko at Kyoto University
 
「お兄ちゃんは優秀だから、京大に落ちたりしないんだよね」
これが入試当日に門の前に、さも当然のように置かれるのが京大クオリティだそうです。
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