Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2009年02月

 民主党参議院に議員の蓮舫のブログより抜粋
麻生総理の発言のぶれ、内閣支持率の低下、自民党若手議員からの麻生総理批判、元総理による麻生総理への公然とした批判、そして、財務大臣の辞任。麻生総理と自民党内に山積した様々な問題が次々表面化したために、予算案そのものに対して、あるいは天下り問題などの行財政改革、道路特定財源の名ばかりの一般財源化問題、かんぽの宿に代表される郵政民営化の是非、2年後に行いたいとする消費税増税の是非など、党の先輩や仲間が真摯に取り上げた政治課題は、残念ながら大きく報道されませんでした。

 まったく同感。最近の政治に関する報道は一見した面白さはあれと深みがなくてつまらなかった。政策の議論も何も、郵政発言から始まり麻生がいつ辞めるのか、中川はどうするのか、でもめた2月だったなあと思う。で、結局どうなったの?と思うままに予算が通過。衆院で可決されたら自然成立するので基本的にはこれで終わり、というところも政府側があるのだろう。ある意味深く報道されずに通過してほくそ笑んでいるかも知れない。
 参院ではできるだけ議論に時間を費やしてほしいが、はてさて。民主党以外の野党は民主党に対して欠席しろとか言ってるが、ここで空転しても政局に向かう気がしない。少なくとも予算後じゃないと麻生は解散しないだろうし、なんだかんだ任期満了までひっぱりそうだし。どうなんですかね。

 経済に関しても日銀の打てる手に限りがあるので、大きなことは株の買い取りくらいだろうか。GDPの大幅マイナスが発表されて株が落ち、円が売られ、ドル高ユーロ高が進みつつある中どうなることやら。アメリカではGMが倒産秒読みで、シティは政府管理下ですかそうですか。
 幸福には遠すぎる、と。

 日付変わったので一昨日は植村花菜のライヴでした。表参道FABという小さなライヴハウスで。100人くらいは入ってたかな、というくらいなのでものすごく間近に見ることが出来た。カッコイイ。あのとびっきりの明るさは大好きだ。そして久々に関西弁聞いたよ。学校以外で聞く場所ないからなー。ああ、ミヤネ屋があったか。
 最初のミルクティーのイントロで鳥肌が立つ。長いこと生で聞きたくてたまらなかったこの曲を、3年半越しでようやく聞けるんだという幸福感。そのあとは関西限定シングルから「ありがと。」「BLESS」が続き、4曲目は「Only You」を。最後は「みんなで歌おう!」ということで去年出した「シャララ」で終わり。シャララはライヴ向きだなあと思う。こういう日常系の明るい歌と、植村花菜の明るい声の調和ってCDではちょっと寂しいんだけどライヴではめちゃくちゃ楽しかった。ミルクティーとは逆のベクトルで感動した。ミルクティーは心の奥底が揺さぶられる感じで、シャララは気持ちがどんどんイケイケになる。いやー、いいなあ。「Only You」のあとに持ってこられるのもずるいなあと。
 ラッキーなのは関西限定のシングルを買えたこと。東京で買える唯一の場所じゃないのかと。しかもサイン付きのポスターまでついてきてこれだったら店で買うよりいじゃないかとw関西へ遠征してもいいかなーと思ってたんで旅費が浮いた。さんきゅー。嬉しすぎて昨日5回くらいCD聞いてたよ。

 で、夕べは空の境界第六章、忘却録音。鮮花が活躍しすぎです。あのオープニングはずるいと思います。原作から一番変わった章かな、と。謎解きにしろ、玄霧先生の扱いにしろ(あれは少し扱いが小さすぎるんじゃと思ったが)後半はほとんど違ってた。ただ、分かりやすかったのは鮮花を立てる章であることで、彼女を立てることで幹也と式に対するアングルを作ること、なのだと。今までも第三章とかであるにはあったが微々たるものだったので、最後のほうに来てようやく出番が来ましたね、という感じ。後半のアクションシーンとか製作者遊びすぎだろうとwつくづく空の境界は基本的に一話完結が原則なんだなと思いました。
 でも結局は殺人考察(後)がないと終わらない。矛盾螺旋までならただのセカイ系もどきになっちまうし、式や幹也の存在がまだ物足りない。エンタメならそこでいいんだけど、ミステリとしての深みは最後でようやく、という感じ。これはこれで気持ちいいどんでん返しだし。ただ食人のシーンがあるからあんまり見たくないんだよなあ、そこのところは。予告編で見ちゃったけどあれは第三章のオープニングよりエグいな。

 つか、式と幹也は坂本真綾と鈴村健一なのでルナマリアとシン・アスカなんだ、ガンダムの。そして第七章で出てくる白純里緒は保志総一郎で、ってキラ・ヤマトかよっ。シンとキラが最後に戦うのかよ、と。どうでもいいけど(
 どれくらい時間かけるのかなー。矛盾螺旋ほどにはならんだろうが、ある程度形として欲しいなと。映画として。坂本真綾の演技に期待。

読了
『サウスバウンド』(上下)奥田英朗
今年11,12冊目。これも映画になってたな。
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 東京は初雪でした。というか降りすぎです。朝から昼の3時くらいまで。仕方ないので久しぶりにセンター試験やりました。今日は国語。
 全体的にさくさくと解けて評論だけ見直しに少し時間はかかったがトータルで丁度60分。プラス、マークの時間てとこですかね。漢文と古文合わせて25分くらいで終わってしまった。現役のときでもありえない早さですね。小説も12,3分で残りは評論に。

 内容は評論から42,41,44,42で169/200。綺麗にひとつずつ間違える。評論の「飽きるのに飽きる」っていう問いだけ答え見てもよく分からない。小説は満点とりたかった。古文は和歌で間違え、漢文は問5で単純な読み落とし。東進の解説で「第2問の小説文は、加賀乙彦氏の「雨の庭」の一説を踏まえての出題だったが、内容が受験生にとって把握しづらかった分、出来た人と出来なかった人との間で大きく差が付く問題だったと言える。第3問古文は、擬古物語が出題された。内容は難しくないが、選択肢が微妙で判断に時間がかかる」ってあったんだが加賀乙彦の文章はふつーに読みやすかったし哀愁の父とそれを思う息子っていうのはありがちな構造だったので簡単。古文の選択肢が俺は一番選びやすかったんだが。語彙レベルは去年並に大したことなかったと思う。なんで去年2問も間違えたのかが分からない。漢文も時間かかった去年よりはよほど楽だったと思う。
 新聞で解いたので実感しにくかったが文章量が増えたらしい。これも傾向通り、か。評論の若干の難化のせいで平均が1問分くらい落ちたのかなと思う。
 文系教科はあと英語だけ。ここまでかなりいいペースなので(日本史以外去年よりいいし)センター利用でMARCHのどっかは出せるかな。出したって意味ないが。英語は最近触ってないので去年ほどとれないとおもうけど8割は欲しいなあ。とりあえず文系教科で合計500点は欲しい。

 全体的に言えば易化した教科は易化しすぎで(IAとか政経とか)難化した教科は難化しすぎなんじゃ(2Bとか)と思う。英語も平均10点下がってるし。
 ま、そんなこんなで。忘却録音見て来まっす。
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 今日は国立の二次だったんですね。大阪冬の陣から1年か、あっけないと言ってしまえばあっけないのかもしれないね。先週は先週で早稲田政経の試験監督をしてきたりと(ありえないくらい寒かった)ああもうそういう季節なのかと。悲喜交々、それぞれの春を。
 試験監督してて思ったのは受験者の段階で男子が多すぎる。一人だけ金髪のヤンキー風な人がいて(表裏龍のジャケットとか着てたし)わらた。人は見た目で判断できないが、顔つきが恐かったです。

 角川文庫の新刊で『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』がでたようだ。富士見ミステリー版も持ってるがコレクションとして欲しいなあ。再読もしたいし。
 そういや一年前の今日、入試の帰りの新大阪のキオスクで『赤×ピンク』の角川文庫版を買ったんだっけ。直木賞をとって桜庭一樹フィーバーだったなああの頃は。入試前日の夜は情熱大陸で特集されてたからなあ。
 その頃の記憶としてよく覚えてるのはホテルで聞いてたFM(802だったと思う)で受験生特集やってたような気がする。特集というかまあ、受験生のメッセージが多く読まれてて、あったかかったのを覚えている。
 
 いざ全部が終わってしまうと、よくあれだけのことをやれたと思う。もう一回やれって言われてもなかなかしんどいものがあるので。結果的には指定校で東京に来れたことは恵まれてるんだろうと思ってる。それでも最後の最後まで制服を着て、学校に行き、最後のほうまで会いたい人とあって話をするのは楽しかった。想定はしていたけれど、卒業したら会うっていうことすらなかなかできないんで、残された時間はふんだんに使っていた気がする。

 さて、と。明日から再び「空の境界」見るために新宿通い。矛盾螺旋と忘却録音。式よりもむしろ橙子さんと鮮花大活躍っすかね。
 明日はその前に表参道まで植村花菜のライヴに行って来ます。ことある事にタイミングを逃してきたので初めての生植村花菜ですよー。単独ではないんだけどね。5,6曲くらいは歌ってくれると思う。 
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 フェブラリーのサクセスブロッケンはなんであそこまで人気がなかったのかが分からない。フェラーリピサやエスポワールシチーより下になるとは。使い込んでたのだけが気がかりだった、ってのは分かるが。G1戦線で上位争いしてきた馬なので、内田博幸のエスコートもあって見事戴冠。おめでとう。

 最近パソコンの調子がよろしくない。ネットも繋がったり繋がらなかったり(昨日一昨日はまったくだったのに今日はすっかり回復してる)で、さっきはメモリの消費が半端なくて今日だけで3回落ちた。メモリデフラグメーターなるものを落としてきて使ってなんとかしのいでる。いつまでしのげるかは分からない。
 悪いことは重なるもので、一つ失態をおかしてしまった。とりあえずなんとかなってはいるが本質的に解決できてないのでどうしようかと思う。油断したのかなー。うーん。
 パソコンがこんな状態なので買い換えも真剣に考えてもいい。ただ、夏にはWindows7が出るので今のタイミングは微妙だ。一年後の今くらいが時期としては一番いいのではないかと思ってる。あと一年持つかなあ。 

 ネットが繋がらなかったせいで読書時間だけはとれて『空の境界』読了。第七章でこてんぱんにされた。第六章まででさえも布石でしかなく、第六章までと第七章の式と幹也のイメージはまったく違うじゃないか。どうやったらこんなストーリーライン思いつくんですかね。第六章まででも十分小説としての完成度は高いが。伊坂の『チルドレン』ではないけど全てが繋がって初めて意味を持つ。そんな小説です。
 第七章に文句つけるならモノローグが多すぎた、かな。まあそういうイメージを勝手に式に持ってただけかもしれないが。

 久々に背景変えて見ました。一年中なんか春めいた背景でごめんなさい。
 あと、オスカーは想定内でしたね。おくりびとの皆様おめでとう。広末のドレスに久々に萌えた。元人妻で子持ちとは思えない。

2月の読了
『さよなら妖精』米澤穂信
『移動祝祭日』ヘミングウェイ
『空の境界』(上・下)奈須きのこ
『ベーシック・インカム 基本所得のある社会』ゲッツ・W・ヴェルナー
『なぜ、中国は毒食を作り続けるのか』有本香
 今年5〜10冊目。非小説が半分か。ヘミングウェイも面白かったし、最後の2冊はなかなか当たりだったと思う。中国ガクガクブルブルなんだが。俺の認識が甘すぎた。けど多くの日本人がそうだと思う。筆者に比べれば何も知らないに等しい、と。フィールドワークは大事ですね本当に。 
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4
監督:小船井充

第一章「俯瞰風景」感想

 第三章痛覚残留は前半部のクライマックスと言える。このあとは第四章伽藍の洞でもう少し過去、式が目覚めた時の話というインターバルを挟んで第五章矛盾螺旋から再び式たちの戦いが始まる。その時のためにも今作は意義があると思うし、映像的にも式と痛覚残留の主役である浅上藤乃とのぶつかり合いはたまらなく面白い。何でもありなようで何でもありではないところがより面白さを引き立てていると思うし、個人的には似ているようで違う二人の殺人者の違いがはっきりしている点が垣間見えたことに意味があったと思う。小説では割と普通に流してしまっていたエピソードも上手く消化したなあという印象。今までで一番原作に忠実なのに、だからこそ余計に演出の面白さが光った、のだろうか。

 1998年夏。蒼崎橙子の大きな買い物により(曰く買ったのはビクトリア朝のウィジャボード)幹也は給料を受け取ることができず、友人の学人に金を借りに行くことに。無事金を借りることは出来たがついでにあることを頼まれてしまう。それは行方不明になった高校時代の後輩を探すこと。学人の話ではどうやらタチの悪いことに巻き込まれて姿を消したらしいのだが。
 一方両儀式はカフェアーネンエルベで幹也の妹鮮花とその友人、浅上藤乃と出会う。その少女は数日前に幹也が保護した少女だった。

 一つの映画として見るのも面白いし、空の境界にしては構造が実に分かりやすい。そして、第一章から殺人を続けてきた式が、自分と同類である殺人者と相対する。これほど面白い構造は今まで、そしてこれからの後半部分にはない。アクションシーンも第一章のような広々とした屋上ではなく、周りに障害のある狭くて暗い場所ということで、式のダイナミックさと予測不能な動きが両方味わえる形になっているのは素晴らしいリップサービスではないか。DVDで見返してみたがやはり劇場で見た圧倒感は素晴らしかったと改めて思う。序盤のエグいシーンは劇場ではあんまり見たくなかったかなあとも思うけれど、それが吹き飛ぶほどストレートで爽快なシーンが後半に続くのは気持ちよかった。

 アクションシーンが盛り上がるのは映像としての演出もさることながら、両儀式と浅上藤乃という人物がしっかり立っていることだろう。第一章の巫条霧絵はおぼつかないイメージでしかなく、式が異端者と戦っている、という感覚がせめてだった。今回の浅上藤乃の場合はまず彼女が何故能力者になったのか、また何故殺人を犯すようになったのかが前半部分で丹念に説明される。その中でもいくつかの伏線が貼られることでまたミステリ的な面白さも伴っていることが藤乃という掴みづらい独特の存在を短い時間の中でも上手く構成しているように思う。声優の能登麻美子がまた上手い。普段は割とおとなしいキャラを演じることの多い彼女だが、一見おとなしそうに見えてそうではなかったりもする藤乃を彼女なりに再解釈して上手く声を使い分けているなあと思う。アーネンエルベで式に対して言う「私、あの人嫌いです」などは白眉だろう。

その式に関してなんだが、藤乃との一番の違いを見せつけてくれる。そこが後半部分に向けても大きく響くことになるかもしれないが、この章の中だけでもなるほど、と思わせるもの。それは殺人に対する哲学だ。藤乃が式を嫌ったのは感覚的なものかもしれないが、哲学を持っている式が藤乃を嫌う理由ははっきりしているということを見せつける。藤乃にも、観客にも。殺す価値のある者とない者、殺せる者と殺せない者を明確に区別する式。そうして自分を縛ることで殺人に対して改めて価値を見いだしているのではないか、と思わせる。強くて速くて美人でカッコイイだけの存在では終わらない、むしろ式自身はそんなことなどどうでもいいのだろうが、藤乃とは違った形の存在感は映画でもひしひしと伝わってきた。

 小説ではあまり好きになれなかった浅上藤乃というキャラクターも、映画では過去の話も交えながら能登の声も相まって、悲劇のヒロインという形にすっぽり収まっていることがまたずるい。藤乃の最後のシーンである言葉を小さく連呼するシーンも小説では軽く読み飛ばしていたのだが、過去のエピソードの話よりもここが一番響く。ラストシーンと言えば式のラストシーンもずるいと思うが。小説であれこれ読みながら想像するのも楽しいが、こういうところは映画には適わない。ズレているのならまだしも、はまりすぎているので。

 黒子としての黒桐幹也の存在感も小さくはあるがはなっている。橙子さんは今回は最低限の探偵役以上の干渉はなく、幹也がさりげなくひきたてた舞台を舞う式と叫ぶ藤乃、という構造なのだろう。はっきりストレートに言えば、めちゃくちゃ楽しかった。映画を見て面白いと思うことはいくらでもあれでも、楽しいと思うことはなかなかない。

 ひとつだけ残念なのはアクションシーンの舞台となるブロードブリッジの説明がほとんどなされていなかったこと。藤乃とも密接な関係にあるので、結果ああなることは藤乃の気持ちを考えても多くの意味があることなので。

 
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 ダイワスカーレットの引退が哀しすぎます。こないだ東京競馬場に友達に誘われて行ってきたんだが、そいつがダイヤモンドSで1着モンテクリスエス抜きの三連複を持っていやがった。1着以外の掲示板全て的中。惜しすぎるだろそれ。スノークラッシャーを血統だけで買えるのがすごい。

 江東区のバラバラ殺人の第一審が結審して、無期判決。というのを昼間のミヤネ屋を見て知った。わーわー言うコメンテーターを落ち着かせるような宮根誠二にちょっとだけ好感を持った。
 判決の理由は、死体損壊を過大にとらえられないからだそうだ。まあ、なんだ。両儀式に言わせれば死体はもはや肉片なのだから、殺すも何もないってやつかな。その点に関しては殺人と死体損壊が明確に区別された見解になったことは同感かな。メディアが取り上げるのは殺人後の狂気性だったので。人殺しの気持ちを分かりたいとは思わないが、本当に半狂乱の状態だったのかなと思う。ミヤネ屋曰く子宮を見て唖然としたらしい。脳をかき回しても何とも思わなかった時点で正気は失ってたんだろう。まあ空の境界第三章を見て改めて思ったが殺人を目の当たりにして正気でいられないほうがおかしい。だからかどうかは分からないが半狂乱になった(かもしれない)死体損壊の行為を過大にとらえないのは、勿論だと思う。だからと言って犯人をかばうつもりは毛頭ないがね。

 で、まあ殺しは一人だから死刑は無理だろうと。無期でとりあえず20年以上はムショで頑張って反省してくださいと。出てくる頃はおじいちゃんか。殺しが一人でも、死刑を宣告することは最近の厳罰化の風潮の中では難しくないのかもしれない。という自覚が裁判官にあったか、あるいは単に死刑廃止派の人だったのか、は分からないが。それなりに意味のある判決だったのだろうと。被害者参加、裁判員参加(これから)の中でもみんながどれだけ冷静さを失わないで入れるか。事実認定の点ではそうあるべきだろうし。・・・っても無理だろうなあとは思うがね。
 俺はどっちかと言えば死刑存置派だがやたらめったら死刑を叫ぶ風潮には辟易する。正義感ぶるコメンテーターほど他人行儀だと思う。今回の犯人は明らかにキチガイだと思うけどね。キチガイだからこそ年寄りになるまでむしろ務所に入ってればいいと思うよ。オウムの麻原のような救いようのないキチガイは今すぐ葬ってほしいがね。まあそのあたりもどう判断を下すかは難しいだろうなあとは思う。だからこそ裁判員制度なんかいうデメリットの割合が極端に大きい導入する理由が分からない。今更どうにもならんが。 
 選挙権と当時に裁判員の権利が来るようだから、あと一年か。もし仮に廻ってきたときのために俺ももうちょっとこの際どいところについては勉強しようかなと思う。

 テレビ話をもう一本。夜の「久米宏のテレビってやつは」で扱ってたのが草食系男子について。メンズブラは吹いた。あと分子生物学者の福岡さん最近露出増えたね。NHKだけじゃなくなった。Y染色体が弱ってるっていう話は聞いたことあって、一夫一婦制が原因だろうとも言われているのも聞いたことがあった。で、草食系男子がモテるってのは初めて聞いた。よく分からん時代だ。
 チェック項目があって(一番下に載せます)確かめたんだが、1/8かな。正確には1/6で、3番と5番は答えようがない。5番は大学在学中はうちが寮なのでまずありえない。というか好んで泊まりに来る女の子がいるなんてまずありえない。大学からも離れてるし。
 事例で彼女の友達の女の子と一週間旅行したとか、携帯の待ち受けが母親とのツーショットだとか俺の理解不能な世界が繰り広げられていました。前者は好意があるのなら分かるがそういうわけでもないようだし。つか彼女は嫉妬しないのかよと思う。
 まあなんだ、あれだな。俺に彼女ができる可能性がより小さくなっている時代だというのがよく分かった。

 つーかこの番組森永さんがレギュラーの座を獲得しつつあるな。姜尚中も初期はよく出てたんだが入試の時期だから忙しいのか。森永さんも暇ではないだろうに。
 森永さんつながり(?)なんだが経済の話を。ベーシック・インカム本が光文社新書の今月の新刊で出ているようだ。タイミングは悪くない、いやもう少し早くてもよかったか。読んでないし今読んでるほうでひととおりの理解は出来てるので積極的に読もうとは思わないが、日本で手に取りやすい形でベーシック・インカム(あるいはGrundeinkommen)の議論に触れられるのはいい。今読んでるのはハードカバーなので。でも200頁弱で、構成上割と同じことが繰り返されていてマクロをちょっとでもかじった人なら理解度がより増すと思う。そうでなくても数式があるわけでなく分かりやすくていい。もっとも、マクロやミクロを勉強した人にとっては数式ないしグラフでもあるほうが視覚的な理解が容易ではあるのだが。あともう少し体系的だったらな、と思うのが残念だ。読み飛ばしてもいいページが結構ある。ただ、どの話も今の自分にとっては新鮮で(日本ではなかなか話題に上がらないせいだろう)単純に読んでいて楽しかった。こういう未来なら悪くない、と。腐った自民党の作る未来なんぞ見たくない、と。


<草食系男子チェック項目>(前述の番組より拝借)
×1.格闘技の面白さが分からない(プロレスを見る趣味はないがボクシングとかK1は嫌いじゃない)
×2.飲み会の乾杯はウーロン茶でもいい(一次会ではまずありえない。あと最近ビールも少しならいけるようにようやくなったからもっとありえない)
除3.告白されたらまず相談する(告白されたことがないので除外。そういうことに関しては秘密主義なので多分相談しないと思う。それくらいは自分で決めたいというのもあるし)
×4.少女漫画を読める(過去の経験では妹が持ってたカードキャプターさくらくらいかな。けどあれはCLAMPなのでむしろ中性かと。ガンガンの少女漫画は性に合わないと思う。BLは読む気がしません)
除5.女子とお泊まりしても何もない
×6.コンビニの新商品をチェックする
○7.お菓子を常備している(飴でもいいのなら持ってる)
×8.週一以上親と連絡をとる続きを読む
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監督:あおきえい
劇場:テアトル新宿

 2007年末から七部作として始動した空の境界の第一章、俯瞰風景。時系列では4作目となり、映画を見る前に小説を読むことは必須となっている。それだけきわめて対象が限定的な作品(同人からスタートしたのである意味当然かもしれないが)を商業ベースとして本格的に行うには上映館を少なくするしかなく、テアトル新宿でのみの上映になった。公開当時香川にいた俺は遠くからふーんと眺めていたのだが去年東京に来て、この度第六章の上映にあたって今までの章が日替わりで上映されるという。重い腰を上げて分厚い小説も読み始め、映画も見始めることにした。ゲーム「月姫」時代からの付き合いの人よりは実際俺のように小説から入る人のほうが多いのだろう、と思う。ゆえに小説ではまった人には映画も確実に薦めたい。逆に言えば小説で挫折した人は映画はもっと挫折するだろう。そういう意味でも対象は驚くほど限定的だ。本作の再上映も人の入りはまばらで、男性が圧倒的に多かった。だが、衝撃は強い。これを見逃すのは勿体ない。今まで俺はそうだったわけだけれど。


 廃墟となったビルで女子高生の連続投身自殺が起こっていた。彼女たちに接点はなく、また遺書もなかった。「遺書はないのは未練がない証拠。あるいは、落ちたくて落ちたのではない」と主人公黒桐幹也の上司蒼崎橙子は語った。一方幹也の友人の両儀式はビルの近くを歩いている途中、屋上近くに浮遊する八つの幽霊を見たという。

 何故落ちるのか?から始まる章である。式は殺人という立場、つまり死に追いやる立場から死と向き合うのに対し、殺人という行為が介入しない自殺(英語的(kill -self)にいえば自己による殺人とも言えるが)は死の中でも特別な位置づけがなされる。相次ぐそれは何を意味する、ということを問いながら何故落ちなければならなかったのか、という根本から蒼崎橙子の語りによって解かれていく。この流れは他の章でも見られる形だが、小説のシナリオの立場としては始めにストーリー全体に通じるテーマを持ってきたことは意味があると言えるだろう。映画でも短い中で橙子の語りを確実にはめこむ事で体を保つことになっている。

 連続自殺が生じる複雑な設定はさておき、何故落ちるのかという視点から落ちると言う行為が生じる手前に焦点が当てられる。目的のある無しを浮遊と飛行という行為に分けるというのも面白かったが、タイトルの俯瞰風景とあるように落ちる前に誰もが俯瞰風景を見る。その時に感じる衝動は、今の時代にも繋がってくるものではないか、と改めて思う。パンフレットにも書かれていたが、俯瞰風景が書かれた当時から今と似たような問題意識は始まっていて、それが特別違和感なく作中にこめられたのだろう。ある種キワモノとも思われる空の境界という作に普遍性を見いだすことが出来たのは不思議な感じであった。映像で見せられた分、小説で読むより自殺者の追体験がしやすくなっていてよりそう感じたのかもしれない。


 小説でも表現方法が難しかったと思われる両儀式という存在へのアプローチは映画では非常にはっきりしている。それは表情、特に目つきの変化と声色の変化ではっきりと示されるせいなのだろう。式ほどこの映画で様々な表情を見せる人物は存在しない。パンフレットで坂本真綾が触れていたが、式への言及は本作ではほとんどなされていない。だからこそそういった変化が式のアイデンティティを示唆しているように思う。監督も短い時間での表現に一番力を入れたかったところなのだろうと思う。

 式が一番はっきりとさせているものは幹也への想いだ。幹也との関係も多くは言及されない中で、行為に身を投じる式が唯一心を許せる存在なのだということがさっき書いた表情もそうだが、式が全体的に醸し出す存在感が幹也といるときは極端に弱くなる。ここまでオンとオフがはっきりしている人間も珍しいと思うほどにだ。そのせいもあるのだろうか、映画の始まりと終わりがはっきりしていて、続きものだけども綺麗に(綺麗すぎるくらいに)簡潔しているのは上手い構成だなあと。上手いというか憎い構成。

 まだまだ始まり、あと6本。疲れるだろうが楽しもう。
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5
監督:デイヴィット・シントン
劇場:池袋シネマサンシャイン

 邦題では「ザ・ムーン」だが洋題のほうがカッコイイと思う。長すぎて馴染みにくいので短くしたのだろう。daysのほうにも書いたが祝日の水曜日の昼間、しかも公開終了まであと日数もわずかだったので人の入りがすごいすごい。見終わった後にパンフレットをもらおうと列を作ったら俺で丁度終わってしまって「見本でいいですか」と聞かれた。こんなの初めてですね。

 率直に言えば、やってるところではまだやってるし、ミニシアターでも時間差で公開が始まると思うので、ぜひ劇場で見て欲しいなと思える映画だ。NASA蔵出しの映像が綺麗なことの感動だけでなく、ニール・アームストロングが足を踏み降ろす時の感動や、アポロ13号の乗組員が帰還したシーンなどの感動を周りの観客として味わって欲しい。NASAの映像はありえない角度からとってる映像もてんこ盛りで、素晴らしいとしか言えない。そう思うより何より、見とれてしまうあたり意図にはまってるなあと我ながら思ってしまったが。

 映画の構成は元アポロ飛行士12人の証言とNASAの蔵出し映像を元に進む。元に進むも何もそのつぎはぎでしかない。ただその両方が素晴らしすぎる。40年近く前のことを昨日のことのように飛行士は語るし、その口調は誰もが少年のような純粋さを伴っている(特に12号のアラン・ビーンが面白い)アメリカとソ連という冷戦構造下の政治手法の一つとしてロケットの打ち上げがあっただけと言えばそれまでだが、理由はどうあれまだ誰も見たことも行ったこともないところに自分が立つことができる。一瞬にして世界中のヒーローになれる。少年のあこがれというか男のロマンというか。そういうあどけないとこから始まる物語であるからこそより映画としても盛り上がっている。

 時間が進むにつれ証言が月、地球、宇宙について語るシーンが続くが、ここが監督が一番演出したかったことなのだろう。ある者は月の極限のモノクロの世界に畏れを感じ、ある者は宇宙から見る地球のちっぽけさに絶句する。彼らが語る宇宙論がひいてはある種の生命論にまで及ぶとは思わなかった。地球では得られないものがあるという意味では宇宙こそ悟りの境地と言ってもいいのかもしれない。日本の浄土論は実際にそういう方向性だと思うし(ここではないどこかへ、という意味では)それがなんたるかは映像を見てくれればいい。映画であることのいい点は、映像を映すだけではなくストーリーを伴って演出することができる点であろう。ただ茫漠と宇宙の映像を見せられてもなんじゃこりゃ、と思うが、この映画において飛行士の証言とNASAの映像、そして映画の構成が三位一体となってクライマックスへ向かうシークエンスはたまらない。

 本当の世界一のヒーローとなったニール・アームストロングは残念ながら過去の映像のみで証言の場には立ってない。だが、だからこそ11号の他の乗組員が語る彼の像や若々しいころの映像が巧みに組み合わさることであたかもそこにいるかのような、いわば不在の在を感じさせる。監督がどこまで意識したかは分からないが、結果的にそういったイレギュラーな構成を演出していることが魅力の一つだろう。そういうことによってニール・アームストロングは永遠のヒーローになっているようにも思う。

 今この映画を見ることができるというのは不思議な気分だ。語られた歴史でしかない出来事なのにどうしてこれほどまで感きわまるのだろうと。それはまだまだ宇宙という存在が人間には遠く手の及ばない存在であることが一つだし、アポロ計画以後に月に降り立った人はいないということもある。衛星はどんどん遠くに進み映像や画像は定期的に届けられ、近いうちに地球のような惑星が見つかるだろうともいわれる。ヨーロッパでは加速器を使って素粒子を衝突させて宇宙の起源を知ろうという巨大実験が行われていたりもするし、その素粒子理論で昨年日本人がノーベル賞を受賞するにまでいたった。でも、それでも微々たる一歩でしかなくて、月に降り立ったというインパクトにはどうしても劣ってしまうからなのだろう。(もちろん微々たるところから全てが始まるのでありそういったことの功績は認めるべきだと思う。だが、単純にインパクトの鮮烈さでとらえるとアポロ計画には今の時点では及ばないと思う)今年はガリレオが月を見上げて400年の世界天文年ということらしいから、単純にもう一回月って何?宇宙って何?ということを考えようということなのかな。行き過ぎた軍事的な利用の可能性も否定できない現代だし、証言にもあったが宇宙から地球の姿が汚れている現在でもあるので、そういったことを思いながら見つめて欲しいと思う。あんまり好きな言葉じゃないんだが、宇宙に対して純粋だった古き良き時代を。

 そして隣の人のコメントが面白い。「あのラストはいらないね。あれがなければ完璧だった」というラストは平井堅の日本版主題歌でした。うんあれは逆に余韻をそいでると思うよ、残念。思わず笑ってしまったが。あとは、本物の英語だけで最後まで攻めて欲しかったなあと思う。そういう意味では日本語字幕もあるけど聞き取れる範囲は英語のほうが面白いと思う。証言の部分なんかは本当に言葉に気持ちの高まりが表れるので。音楽が引き立てるシーンも多かったので、最後の最後にあれはないよなあと思うしかなかったのでした。
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 「ザ・ムーン」を見てきた。池袋で。目白駅で朝人身事故があったんだが俺が行った頃には平常だったので時間は全然間に合ったんだけど、人が並ぶ並ぶ。祝日に昼イチの上映にレディースデーと来たらこんなに人が多いんですね!15分並んだだけですんだので上手く前も捌いたなあと思う。
 席も結局ギリギリで前のほうだがなんとか座れた。時間あるときに落ち着いてレビューしようと思うが、これはなかなかにいい。ぜひ劇場に行ってまわりの人たちと興奮する体験をしていただきたい、という風な想定をして作られた映画だと思う。NASAの蔵出し映像証言をもとに作られてるだけなので脚本はないのにある方向性へのシナリオが見えるのは面白い。元宇宙飛行士の面々が語るうちに気持ちが高揚していく様がよく分かる。コミカルな人もいれば冷静に当時を振り返る人もいて、映画には登場しない伝説のニール・アームストロングはいないのにいるような存在感を示すのも不思議。プログラムにも監督のインタビューがあったが、彼がいないことで逆説的に彼の存在を引き立てるようになっていると思う。
 少年のあこがれというか男のロマンというか、こういうのを見せられたらたまったもんじゃあありません。そして隣の人のコメントが面白い。「あのラストはいらないね。あれがなければ完璧だった」というラストは平井堅の日本版主題歌でした。うんあれは逆に余韻をそいでると思うよ、残念。本物の英語だけで最後まで攻めて欲しかったなあ。そういう意味では日本語字幕もあるけど聞き取れる範囲は英語のほうが面白いと思う。証言の部分なんかは本当に言葉に気持ちの高まりが表れるので。

 って軽くレビューしてるな。特別カップルで見る映画ではないかもしれないが、こういうのこそそれこそ体験の共有の一つのありかたとしては素敵なんじゃないかな、と思う。俺の隣の人はちなみにカップルだったし。別のところで「ハイスクールミュージカル」とか「ベンジャミンバトン」をやってるのでそっちに目移りするのは分かるので難しいのだろうけどね。レディースデーがあって高校生友情割がなんだかんだまだ続いてるんだからカップル割とかあっても面白いなあと思うけど。ったら余計に列ができていたかもしれないがw「ベンジャミンバトン」に関してはそのうちフィッツジェラルドの小説を読もうと思います。
 明日は早稲田の入試の試験監督なのです。というわけでさっさと寝ます。7時すぎ起きかなあ。最近はよく眠れる。眠れすぎて困る。

 『空の境界』は第四章「伽藍の洞」まで読んだ。「矛盾螺旋」は長すぎ。一息おいてベーシックインカム本とヘミングウェイが終わったら読もうかなと。映画は来週末から見てきます。
 映画のあと帰ってサッカー見てたが、日本らしい試合だなあと。途中からオーストラリアに攻める気配がほとんど見えなかったんだが。カウンターしか狙ってなかったというか。日本も形は悪くないから一つ一つの攻めの質を上げることなんでしょうね。前に人がいないとか、クロスが中途半端とかいうのを減らさないと、裏をとってもそこで終わってしまうのは勿体ない。その点内田君は若干弱気なんだよなあ。長友は攻める姿勢が強いのでありだと思うが。玉田へのクロスなんかも精度もよかったと思うし。内田君もU-20のときはそれほど弱気だった気はしないんだがどうだろう。

 話全然変わるけど「初音ミクの消失」がイイ。サウンドの巧さと歌詞が絶妙。「ハジメテノオト」とは逆ベクトルの感動だね。今更とか言われそうだがいいものはいい。サビなんとか歌いたい。
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 明日、まあ日付変わって今日だけど俺が住んでいるところの市長選挙があるらしい。現職を民主共産社民・地元の生活者ネットワークなどなどが支援し、「change」とか言いながらよく分からん女性議員を自民が支援する様なので、多分無難に現職が通るでしょう。もう一人対立候補で無所属が一人いるんだがぱっとしない。
 バイト行く前に駅前で地元の衆院議員@民主党が現職の応援演説をしていた。駅前なんでそれなりに人が集まってたかなという印象。現職はマニフェストとして中三まで医療費無料(今は一割減額。未就学児は無料)とか中学での学校給食導入、30人学級制などなど福祉、教育面に力を入れたいらしい。そういうのを考えたら多分通るかなと。当選したら自分の給与をいくらか減らすらしいことを声高に言うのは好きじゃなかったけど。減ろうがどうしようが、退職金はがっぽりでると思うし。それを断るならなかなか、とは思うけど。
 でまあ俺はまだ18なのでこっちに住民票はあるけど選挙には行けない、と。そんなこんなです。どれだけ差をつけて勝つかだけちょっとだけ楽しみにします。肉薄するには自民候補が弱すぎる。

 で、明日は確かグラミー賞だ。っても現地の明日なので結果が分かるのは明後日なんだが。今日はWOWOWの無料放送でグラミー特集とオスカー特集をやってたんで録画してバイトに行ってた。オスカーよりもグラミーは毎年それなりに楽しみにしている。グラミーで盛り上がるのはそれこそWOWOWと一部のラジオ局くらいかなあ。
 バイトから帰ってきてフィギュア四大陸の女子フリー見てたけど、本当にキムヨナにはおそれいる。今季好きだなあと思うのはスピード感のあるジャンプもそうだがステップなんだ。ステップのテンポが音楽に合ってるし、安藤美姫ほどではないにしろ力強さが目立つ。表情もかなり力が入ってる。本気で演技している彼女は恐いくらいの表情でもあるので。でもそれが嫌いじゃない。女性なんだがカッコイイスケーターだなあと思いながら見ている。そういう女性に弱いかもしれないな、俺は。潜在的に。
 というわけで日本人だけど精一杯キムヨナを応援します。昨季はこの時期にケガして四大陸でられず、そのまま臨んだ世界フィギュアも100%の演技はできなかったが、今季は本当にいい。GPファイナルの敗戦は仕方ない。演技自体の質は更に加速する。
 浅田真央はまた本番巻き返してくると思うのでまだまだ分からない。フリーではしっかり巻き返してたし。彼女のベストに比べればそれでもまだ足りない。ショートではキムヨナに負けるとしても、崩れなければフリーでは基礎点でキムヨナを上回る構成なので普通にやれたら浅田真央が勝つだろう。それでも毎回結果が違うのは見ていて本当に面白い。3月に2人がどうなってるかほんとに楽しみだと思う。

 『空の境界』読み始めました。こういうキワモノは嫌いじゃない。人を選ぶ本にこそ、本物がある。気がする。
 「俯瞰風景」は死に関する考察とか台詞が多すぎるな。ネガでもポジでもないのがまたなんとも言えない。冷静すぎるだろ、とも思う。実際に目の前にしたらそう思えるのだろうか、とかとか。

 いくら正しくても立派でも、死を選ぶのは愚かなんだ。僕らは、たぶん、どんなに無様でも間違っていても、その過ちを正すために生き抜かないといけない。生き抜いて、自分の行ないの結末を受け入れなくてはいけない。(講談社ノベルス p50) 

 Seraphic Blueのエンディングでミネルヴァがぼそっと呟くある台詞にもこれに似た主旨が見てとれますね。自分たちが打ち負かしたクルスク一家に対してそれ相応の生き様を見せないと、だったか。
 死を思うことで生きる意味を考える、というありがちなテーマだけではもちろん『空の境界』もSBもないだろう。そのもっと向こう側を目指すものであってほしいなあと思い、読み進めるのです。

 タイトルのブルーショットガンは今日登録を抹消したらしい。俺が中学生のときの夏競馬を盛り上げてくれました。10歳まで短距離でよく走ったと思う。最後の勝利が3年前7歳時の阪急杯。松永幹生の最後の重賞勝利をプレゼントしたんだ、そういえば。そういう意味でも印象的な馬ですね。長い間本当にお疲れ様。

読了
『さよなら妖精』米澤穂信
今年5冊目。4回目かな。守屋は万智を冷たく見積もりすぎだ。万智の気持ちを考えたら切なすぎる守屋の主観が最初から最後まで続きます。それを分かっていた万智も、後半守屋の気持ちがどんどんマーヤの求心力にひかれて変な方向にいくことに対して黙ってられなかったんだろう。だからこそのエピローグの万智の言葉なのだと思う。万智は年齢以上の精神年齢というか、自分に対しても他人に対しても割り切りが良すぎるから、なんだろう。自分に似てなくもないなと思いました。でも守屋の気持ちも分からんでもない。まあ、なんだ。若い内から割り切りが良すぎてもあまり得をしないのだよね。大人になったらそうあらねばいけないけれど、子どもでいる間は過剰に割り切りが良すぎるのは本当に得が少ないと思う。
 そして、いずるに対しては守屋は甘すぎるね。暇があったらブログかどっかに守屋は何を思ったか、について書こうと思います。いや暇はあるか。文章を打つだけの気持ちの余裕があれば。
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