Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2009年01月

 植村花菜の関西限定シングルが欲しい。関西の友人に頼んで買ってもらって送付してもらおうとは思っているんだが。

 つい先週ヤマダ電機でスピーカーを購入した。今まではそこまで不自由しなかったが最近ニコニコとぽっどきゃすとにはまりだしたのでスピーカーがないと不便だということで。
 その寄り道でプリンターをいじったりビスタをいじったりしてたら俺の近くでヤマダの人が女子大生らしい2人連れに話をしていた。曰く、このパソコンにはオフィスが入ってないから1万うん千円で買わなきゃだめで、大学でも就職しても何かと使うだろうから今ならつけておきますよー、とのこと。ああ勿体ないと思いながら聞いてしまった。断片的に聞いていただけなので、この会話のどっかに俺の誤認があるかもしれないけど、これだけパソコン人口が増えたらどれだけ知識と技術を持っているかでどれくらいの差が出てしまうのだろうと。そこにつけこんで商売することも可能なわけで。ただ、何を以て知識とするのかもまた難しく、10年前の知識とか常識はほとんど通用しないだろう。そして今のそれらも10年後にはまた通用しなくなるだろう。俺が彼女たちみたいな状況になって、もしかしたらうんそうだね、って言ってしまいかねないかもしれない。

 そのようなことを朝日新書の今月の新刊『クラウド・コンピューティング』を読みながら考えた。いつの間にか進んでいることは知っていたけど、どういうヴィジョンがあって、どういうビジネスモデルが展開され、またされ続けているのかまでは曖昧にしか知らなかった。iPhoneしかり、ブラックベリーしかりだし、Google Appsやウインドウズ7にいたるまで。
 ものすごい発想の転換が進んでいるのに、いつの間にか俺はのんびりしていたなあと思ってしまった。ヤマダ電機での光景とこの本はそういう意味では象徴的な気がする。
 まだ読み終わってないのでなんとも言えないが、基本的にはガイドブックであると思う。今起こっていること、これから起こりそうなことに関する。だからそんなこと知ってるよという人にはつまらん本だろうが、時代に取り残されてしまっている、もしくは取り残されそうな人が読んだらめちゃくちゃビックリするのではないか。ただ日本人は本の中にも書いてあるけど特に若い人はモバイル志向がはなはだしく、そんなの関係ねーとか言われたらそれはそれでどうしようもないわけだが。

 携帯電話志向の人とパソコン志向の人との価値観の違いとか、ある種の断絶のようなものって結構、切ないんですよね。「ケータイがなかったら生きていけない」とか「女の子にメール送るときには顔文字ないし絵文字は入れるべきだよね」とか。頷く人は大いに頷き、ぶっちゃけありえないと思う人はそれまた多いことだろう、と思う。大学に入ったら余計に携帯電話がなければ生きづらい社会、である気がする。だから持ってないと生きていけないって言うのはあながち誇張でもないのかもしれない。
 それを悪いというわけではなくて(そう思わないではないけどね)、日本独特の携帯電話文化がある以上、その文化にあまり親しくない人が拒絶を感じるのは半ば仕方ない、ということ。物心ついたときからパソコンに親しんできた人が、キーボードではなくテンキーというもので文章を打つこと自体面倒くさくてしょうがないので、その時点で俺はついていけないのでした。ネット定額時代に携帯だとパケット代がかかったりとか、恋人同士でウィルコムを買うなんてのも大学生ではよくあるようだけど、スカイプすればいいじゃないか、などと考えるあたりがもういけない。本当に、価値観というか文化の違いなんだね、と。携帯電話の領域でどうすれば便利かを彼らは考え、俺はパソコンの領域でそれを考える。単純に考えればそうなのかなーと。
 だから俺の場合携帯電話を紛失したとしてもそれほど痛手ではない。大した情報もデータも入ってない、と思う。前の携帯もリサイクルに出そうと思ってるんで。レアメタル勿体ないっすから。逆にHDDが壊れたらえらいこっちゃなんだけどさ。

 ちょっとそれた。で、ヤマダにいた女子大生たちに朗報なのは今年中にはオフィス14というウェブアプリケーションのオフィスがリリースされそうだということ。時期的にウインドウズ7とダブらせるつもりなんだろうか。とにかくもう少し待てば1万いくらも払う必要はないよ、と。少なくとも読み込むだけならオープンオフィスがあるので大丈夫だったりするしね。そうやってクラウド化が進む訳か。
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 世間はもういいよと言うほどオバマ様々。テスト勉強してて気づいたときには演説の中継が終わってた、残念。その甲斐あってかその次の日のテストは出来たと思ってる。オバマとのアメリカと比べて日本はなんであの様、という声も一層聞かれるようになった。そりゃあしょうがないさ、政治システムが違いすぎる。
 まずは議会制と大統領制。これが一番大きいアメリカは典型的な大統領制(大抵の国は半大統領制なんで)をとってるんで、大統領の権限はめちゃくちゃ強い。連邦議会に拒否権を使えるし、まあ逆に子ブッシュのように支持率が低迷しても暴走を許し結果的に8年間の任期を明け渡してしまった。これは日本ではまずあり得ないから、そういうのは大きなマイナスだろう。それがオバマで起きるとも起きないとも今はまだ言えない。ただ彼も独自の哲学はあるだろうし、就任直後からかなり意欲的に政策も発表している。グアンタナモ閉鎖はまあうなずけるが、イラクから撤退してアフガン増派する理由があるとは思えないんだけどね。

 そして、党議拘束の強度の問題。日本は議会制の上に党議拘束は強いから、派閥が固まってえいえいおー、となる。常に選挙で勝つことと自分たちの派閥の利益を考えた法案や制度を作りたがる。やれ国民目線じゃないだの世論無視しているなど、彼らからしたら当たり前なのである。内閣が出来たときも首相が気を遣って各派閥からほどよく議員を集めたり、俗に言うお友達内閣なんかができてしまうのもしょうがない。まあ、お友達内閣は大統領制でも起こりうるけれど。内閣と議会が密接だからこそ日本の場合はそうなる確率が高くなる。議会の与党の延長が直接内閣を構成するのだからね。
 アメリカは党議拘束が基本的に弱いと言われる。議員は連邦の代表なので、自分たちの利益のために行動するのはまあ政治家だから当然として、日本ほどつるむようなことはない。それこそ個人主義を体現するような政治システムだと思う。オバマを例にとってもヒラリーを国務長官にしたり、マケインとの関係もそれほど悪い感じではない、というのは日本ではありえない。与党と野党は年中喧嘩してる。まあ、野党が大抵ふっかけるわけだが。
 連邦議会でもし大統領の党とは違う党が主導権を握ったとしても、議会は議会で動くし、大統領は大統領で動くことが出来る。それはさっき書いたように大統領制であることと、子ブッシュの後半の政権がそうだった。議会は民主が握ってるけど、ブッシュは共和党だったので。

 オバマに対する熱狂ぶりは、すなわち子ブッシュに対する絶望の裏返しと言ってもいい。その子ブッシュも就任当初は相当人気があったし、イラク戦争を起こしながらも再選を果たした。逆にアメリカの国民は最悪の大統領の再選を許してしまったことになる(総投票数では初当選のときはゴアのほうが上だったし、再選の時のケリーも投票数では頑張ってたんだが選挙人の数で負けたので、ブッシュは単純に運の良い大統領と言えるかも知れないが)わけで、そう考えたら滑稽にも見えてくる。俺らは首相を選べないが、彼らは大統領を選べる。それでも失敗は起こる。まあそんなこんなでオバマフィーバーが日本での首相公選制の議論にならないことを祈ってみる。
 大統領制というシステム以上に、支持率の高さはそれこそ暴走とは言わないまでも独断を許すきっかけにもなるだろう。
 
 とまあ穿った見方をしたらこうなるかな。世間だけでなくマスコミが全体的に騒ぎすぎだ。ちっちゃな番組では割と冷静な見方があったりするのでほっとするけど。あと、市場は驚くほど冷静だったね。就任式の日に下げるとは思わない。結局のところ、どれだけ冷静でいられるかが大事なのだと思います、祭りの時ほど。
 バイト明けで少々疲れていてつたない文章だが、まあ言いたいのはそういうところです。過度な期待は禁物。まだ何も始まっていないに等しい。

 ああ、で、演説の文章は上手いなあと思う。今日の朝日に全部載ってた。まあ書いた人が別にいるみたいだけど。平易な英語であることもそうだが、andとorの使い方がめちゃくちゃ上手い。"They are serious and they are many."とかね。喋りが上手いのは事実なので、そのへんが英語の下手さで有名だったブッシュとの大きな目立つ違いなのだろう、とも思ってみる。
 まあ、口だけで終わってしまってはそれこそ困るのだけどね。


*****

 明日は大阪国際女子マラソン。渋井陽子の参戦、赤羽さんの初マラソンに注目がある○分けだが脇田茜の初マラソンというのもめちゃくちゃ楽しみである。ルックスもいいし。21歳、若い。2つしか変わらん。一昨年渋いを抜いた原裕美子も出るし、大南姉も出るし、面白そうだ。小崎まりが出ないのが寂しい。都道府県対抗も微妙だったから危惧はしてたんだが。
 渋井陽子はもう30間近なんだね。ベルリンを勝ったときがはるか昔。まだ俺が中学生だったころ。久しぶりにマラソンであの弾けるような笑顔が見たいです。大阪城で抜かれないことを願っている。
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 日付変わった今日もテスト。昨日はまあ書けたのでオッケー。ある程度のヤマも当たってくれたというべきか。授業で時間費やしたところを出さないわけはないだろう、と踏んでたので。つか最後選択制とかどれだけ先生優しいのでしょう。1問だけ事前発表もあったし。まああれはレポートも書かされたので出して当然。後期もAほしいですね。

 史学をやったいきおいでセンター試験日本史Bをやってみる。91/100。点数以上に難化したという噂を実感。何年か前にめんどうな年があったらしいがそういうところを彷彿とさせるような。地理的な問題もいっぱいあったり当然農民問題もあったり。苦手な苦手な土地制度でしっかり落としたり。あと第5問と6問はセンターにしてはマイナーすぎないか?大阪事件と甘粕事件しかり、人民戦線事件もそんなにでかでかと出てはいないんで。聞いたことなかったら基本○な方針でなんとか解けたけど。甘粕事件も消去法ですね。あと最後のサンフランシスコと日米安保が同じ日っていうのも教科書にちらっと書いてはあるが細かいところではある。政治史的には大きな出来事だが。俺は結構印象に残ってたんだが授業をする先生によるだろうなあ。
 基本消去法じゃないとキツイと思う。時代を並べる問題も割と正確に覚えておかないとできないと思うんで。張作霖爆殺事件で落としたのは痛いなあ。現役のときなら楽だったかもしれないが。総理大臣選ぶ問題が加藤高明くらいだったのはやりやすい。もっとめんどうなのがでたらあやふやだったと思う。戦時中とか。
 文化史苦手な人は助かった年度かもしれないっすね。南蛮貿易のやつくらいで、しかも写真なんでたいていの人はできてるでしょう。
 3科目終わって265/300で85%というありえない調子の良さ。まあでも2Bで撃沈されるだろう。50点とれれば万々歳だね。数列とベクトルがえぐいらしいのでそれすら無理かもしれんが。古文とか覚えているのか不明。英語は頑張りたいです。リスニングも東進ではできるらしいね。どこでそれを仕入れたんだと聞きたくなる。

 明日は論理学です。ようやく二進数の計算をマスターしたので多分大丈夫(今更
 関係論理の反射関係がちょっとあやふやだ。対称関係は分かるんだが、反射ってことは鏡写しだと思ってたけど、ウィキペディアさんによれば違うのか。
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私体が弱いですけど、いつまでも弱い自分ではいたくないです

 最近のエネルギーの活力はクラナドとしか言えない。あれほどまでに一途だった思いを、自分も持っていたから。不器用でも一歩ずつでも前に進もうとするところも、どこか似ている気がして。それに俺のことよく知っている人は分かるだろうけど、俺も体がそこまで強い訳じゃない。昔よりは大分マシにはなったが。今感じる思いは渚の↑の台詞とまったく同じだ。
 描かれている舞台、多分どこかの地方都市だと思うので、同じようなところで高校時代を過ごしたせいか余計懐かしいんだろうな、と思う。あと多分時代設定が今より10年ほど前なのかな?と。詳しく知らないのであれだが、誰も携帯電話を使わなければパソコンも出てこない。

 中原麻衣って舞-Himeの鴇羽舞のイメージが強かったんだが、古河渚のほうがはまってる。はまりすぎ。めちゃくちゃいいよ。岡崎朋也役の中村悠一は香川出身らしい。マクロスFのアルトとガンダム00のグラハム・エーカーも同じだったことに今更初めて気づいた。男の声優はまだよく分からん。
 あとはまあ音楽。Liaのオープニング、エンディングだけでなく若干シリアスなシーンで流れるピアノのスローテンポな音楽が抜群にいい。日常を描きつつもそれぞれのキャラクターにある陰の部分や切ない過去を丁寧に描く感じがツボにはまりすぎているのだろう。ベタではあるかも知れないが、それでも惹かれるのはベタなことを真剣にやって、音楽などそれ以外の部分も力を緩めないから。映像美は言うまでもなし。アフター4話のノートがアップになるシーンなんかすげーと思いつつ見ていた。映画のようなカメラの回し方(カメラはないけど)も上手い。

 朝になったら期末テスト開始です。どうなることやら。今週は来週より多いので、頑張ろう。今週乗り切れば来週はそんなに心配していないんだが。

※携帯電話に関してはコメント欄参照。俺の見逃しだった様子
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 昨日今日とセンターでしたね。試しに政経をやってみたら、94点でした。2問ミス。政経学部生の意地ということで。ただまあ東進がやや易化って書いてたように選択肢がめちゃくちゃ絞りやすい。5問が若干いやだったが。それでいて2/3の再可決の話とか弾劾裁判所、なんていう選択肢をしのばせたり割とタイムリーな話ですね。4問はもろ景気と労働の話だったりしたし。
 そのうち生物以外は全教科やってみようと思います。大学のテストが終わってからだと思うけど。それかテスト休みの間の息抜きにでも。全教科合計で去年より良かったら俺はどうしたらいいものか。まあ、日本史はまず無理だろうが。去年より難しいらしいし。歴検もボロボロだったし。英国数は去年よりよくても別に驚きやしないかなー。英語は今のほうができていてほしいしね。数学は去年ひどすぎる。東進曰く難化らしいが。
 センターが終わった今頃はやれやれだった気がするね。センターの勉強をしなくていいという開放感は素晴らしかったね。やっと二次の国語や数学ができるっていうのも。河合のバンザイシステムとか懐かしいなあ。今年受験の人はまだまだこれからが本番なので気を抜かずに駆け抜けてください、と。後悔無きように。終わったことは忘れましょう。今日くらいは開放感を味わってくださいw

 で、↑の文章を書いたあとに1Aをやってみたら67点でした。集合論理間違えたし。あと二次関数で計算ミス、なんでやろ。図形忘れた。確率は満点。去年それが出て欲しかった。去年よりやや難化と書いてたが二次関数はオーソドックスすぎるのであれは大丈夫だろう。一昨年の問題と似すぎだし。確率も普通に考えて計算すればできるので。最初のマークは全部ヒトケタだし。2Bはちらっと見たけどめんどうくさそうですね!数列が易化する気配がここ数年感じられない。三角関数はフツーだったが。去年がヒドス。
 こんなところですかね。さあ史学の勉強をしよう。もう明後日かあ。前期Aだったが後期はどうだか。史学よりも論理学やりたいよ。

※数1Aを通してやったときに20分余ったので図形をときなおしたら普通に解けて第3問は結局23/30でした。内訳は16/20,17/25,23/20,25/25の合計81/100でした。普通にいいスコア。図形は、二等分線で長さ求めろと来たらあれしかないですよね。結果的に去年より30点近くアップ( 去年に比べて今年はフツーに簡単だったと思う。理系は相当とらないと厳しいシーズンかもしれなかったですね。その分2Bがエグいのかもしれないが。
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この仕事に失敗は許されない。だから慎重にやるんだ。丁寧に、ひたすら丁寧に
できないことは補い合う。仕事とはそういうものだ

 いずれもクラナドアフター、10話と11話より

 今の心境はここまで切実なものではないが、朋也の気持ちとシンクロするものはあるね。まだ新人だというのもあって丁寧に、っていうのは大事。それでもファストフードなのでスピードも当然求められる。今日はそれでちょっとだけ失敗したので。ただ十分次以降に生かせる失敗なので、それはそれでいいことだと思ってる。先輩方には迷惑かけたが。
 まだ覚えなければならないことは多くて、当然疲れもあって。来週はあんまり入れてないので全然勉強できるはず。まあ、入れてても勉強する時間は十分あるのでやるやらないはあくまでも俺次第。
 先輩方も気さくな方が多くて、今は全然いい感じ。続けていくことが大事。俺が誰かを補えるようになるまでに早くなれればいい。まあ、まだまだだろうけどね。

 土曜朝日の青beのアンケートが、英語教育の強化についてなんだが、44%が賛成なんですか、そうなんでか。高校での英語による英語の授業は半数以上が賛成て、ちょ。前も書いたけど、そんなん無理やん。あくまでも文科省の”方針”だし従わないのが大半なのでしょうけど。やりたいところはもうすでにやってんじゃないかな、とも思う。
 あくまでもアンケートで大したことはないとも思う。ただ、英語を話せる=国際人、と考えている人は多いのかなあとも勘ぐりたくなる。それだけで国際人ならアメリカやイギリスの小学生でも立派な国際人だ、素晴らしい。そのアメリカがOECDのテストで相当下位なのをどれだけの人が知っているだろう。日本は下がった下がったといわれてもヒトケタ順位かそれ相当にはまだ位置している。上位国はフィンランド、デンマークの北欧とか香港とか、まあいわば小国だ。1億を超す人口の日本がヒトケタ順位にいるのは半ば奇跡だろう。多分受験産業が賑やかで、そのあたりがつりあげているのだろうとも思うが。ヒトケタだから日本の学生はすごい!と言うつもりはありません。
 言いたいことははっきりしていて、文科省の小手先の手入れはやめてほしい。もっとはっきりとヴィジョンを示して欲しい。そのためには今の学力低下(と呼ばれているもの)は何故起こっているのか、グローバル化する時代の中でどういう教育をやっていくべきか、という議論や研究がもっとなされるはずだ、当然。それなのに英語の授業を増やす、という小手先の対応だけでなんとかなるのか。それで何が変わるのか。官僚はアホじゃないんだから、いくら世論がわーわー言おうと、そこは図太く時間をかけてやっていいんじゃないかと思うが。あなたたちは十分図太いはずなので。
 
 こないだある人と話してたんだが英語よりはもっと数学を教育で愛して欲しいと思う。文系人間は高校で数学を切り離しがち(その気持ちも分かるけれど)で、そのある人曰く主観は育つが客観は弱い、と。数学の持つのは徹底的な論理性だけではなく絶対的な客観性でもある。結局はそのためには十分な論理が必要で、それは文系の学問でも同じことだ。思想や自己中心に走っちゃ意味がない。そっちに走るにしてもそれなりの論理を提示しなければならない。文系人間が数学にも理解があれば、普通の文系人間の持たない幅広さ、寛容さを手に入れることになるかも知れない。それが結局は国際人に必要な要素ではないか、と。
 まあでも俺も中学で一回数学を嫌いになりかけて、高三のあの教師に出会わなければ二次試験で数学を使うだなんていうことはまさかなかっただろうと思う。結局和田秀樹なんかが「数学は暗記だ」なんて言うからいけない。でもセンターではそれで乗り切れないこともないからまた切ないし、経済学部でも数学受験を課さないところもあったりする。早稲田は確か今年から課すんだったかな、忘れたが。
 高校数学までって解けるのか解けないのかに焦点が当てられて、どう解くかっていうのが若干おろそかになってはいないか。数学の面白さはそこだと思う。そこしかない、とは俺には言えないが。高三のあの教師はセンターの問題でさえも幅広い解法を示してくれて、面白かった。二次試験の演習に至っては毎回が驚きの連続だった。そういう実感を高校時代に味わえて本当に良かったと思う。今も論理学や線形代数をやっていて楽しいと思うのはそのおかげでもあるだろう。行列式は関孝和先生のおかげらしい。ライプニッツもだけどね。だからこそ頑張って単位をとらねばならないのだが。
 数学も今のシステムの中ではなかなか難しい位置づけなんだよなあ。けど社会に出てから英語を使う人より数学を使う人のほうが日本人には多い気がするんだよなあ。数学を直接使わなくても学んだことから援用できることっていっぱいあると思うので。


読了
『デカルトの密室』瀬名秀明
今年2冊目。これは数学というより哲学だよ。まあ昔は哲学者も数学者も科学者も全部一人でやってたりするけどね。ライプニッツ然り、ラッセル然り。作中に出たデカルトとヴィトゲンシュタインの本が大学の近所で帯付きで棚積みされててびっくりした。なんたる偶然。今度買います。
デカルトの第三の道徳律は面白いと思う。二個目も好きかな。
1.自分の国の法律と習慣に従うこと
2.一度決心したことは断固かつ毅然として行うこと
3.つねに運命よりも自分に克つことにつとめ、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように努力すること

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 明日は直木賞の発表。候補作見てたら、ミステリ勢は弱いと思う、あれは。道尾は評判いいけどまだ早すぎだということで多分与えない。天童も恩田もあれでとってほしくはないという思いが個人的にある。両方とも小説としてかなり実験作、の印象なんで。天童にいたっては『永遠の仔』でとれなかったんでもう無理かなーと。もう少し歳をとったらもっとすごいものを書けるかも知れない、とは思うけど。
 残る文春ば葉室麟、誰だろう?残り山本兼一とか北にしても渋い3人がそろったなあという印象。たまにはそういうのもありだろう。最近何故か女性続きだが今回は久々に男性だと思う。それか受賞作なし、か。

 ドイツ語のテスト、前回よりはできたと思います。前回より簡単だったので、どれだけ先生優しいんだと。期末が面倒なので嬉しい限りではある。
 文法をひととおりやったあとは単語ですね、単語。単語力がかなり乏しいのでこれからテストまでと、春休みの間にも覚えられるだけ覚えてしまいたい。独検4級くらいは最低。4級受けてもいいな、そのうち。

 明日までの英語の課題をやりつつ。
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 なんでもない日記だがこれがカテゴリ「days」の700本目。700本全部読んでる人とかいたら感動しますね。ただ700書いただけじゃなくて、700がそれぞれ原稿用紙数枚の分量は保っていると思うので、書きためたなあっていう感覚。
 最初のほうは中三のころの文章なので、今読んだら反吐が出そうなんだがwまあそれはしょうがない。文章の書き方の変遷がよく分かると思う。扱う内容とか。読書と競馬を扱うことは変わっちゃいないんだけどね。

 3限に遅刻気味に電車に乗ったら高橋源一郎に似ている人が乗っていた。途中で降りたので詳しく確かめられなかったがかなり似ていた。文藝春秋の最新刊を読む似ている人なので当人だったのではないかと今更ながら思うがさすがに車内で確かめるわけにもいくまい。そのまま見送った。明学大の先生らしいので、まるっきり違う人というわけでもないだろう。ただ公式サイトにあった身長173センチはなかったような気がする。背が低い、という印象だったので。でもそれ以外が似すぎていたのでへーっと思いました。こっちに来て初めて見る「テレビに出ていた人」ですね。その番組はもちろんドリーム競馬@西日本放送 今はもう降板しているので、かなり久しぶりに見たのだなと思う。
 あと学校の近くのマクドでオグシオの小椋さんに似ている人がいた。しかもスウィングだったし。目と鼻と、雰囲気。じーっと見たら違いが目立つけど遠目なら似ている人だった。なにげに潮田さんより小椋さん好きなのです。ロンドンで頑張って欲しいところです。

 期末テストの足音が聞こえてきた今日この頃。明日はドイツ語の小テストがあったりするんだが。接続法2式って何!分かんないよ。受け身は意外と簡単なことが分かったけど。関係代名詞も性別さえ間違えなければ大丈夫。というかドイツ語の一番の的は性別だと思う。前期のテストも性別にどれだけ苦労したことか。
 それはそれで、初バイトでした。体より頭が疲れました。厨房の作業を一通りはやった気がする。まだバーガーの作り方は初歩の初歩だが。なんとかなりそうでいい感じ。
 試食なりなんなりで一日にバーガーを4コもためておなかが悲鳴を上げましたw晩飯食えませんでしたもん。
 
 そして帰宅してクラナド4巻。3巻の最後は不覚にも感動した。フーコ!って思ったら4巻でも、なのかとか。シリアスとルーティンが入り交じるのは嫌いじゃない。シリアスシーンは非常に綺麗だと思う。一ノ瀬ことみ篇にしてもね。
 こうしてバイト代がクラナドに還元されていくのでした。
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 順番おかしいけど、書き差しだったので。年賀状ネタがあまりにも書きやすすぎた。いyた、ただ”彼女”からくるとは思わなくて(出したくせに)それはそれはもちろん嬉い反面、むずがゆさもあったり。今でもまだ名前を意識するっていうのは、情けないよなあとも思い、思う。でもこっちにきてからそういう気持ちにならないのはどうしてなんでしょうね。そこそこにおもしろくて、そこそこに惹かれることはあっても、それ以上を望んでいる。うん。贅沢。
 サプライズはそれだけじゃなかったんだけどね。一年に一回しが交信しなければ、そりゃあ驚くよ、ということなのかな。 

 今更でも何様でも明けました、ということで本年も「Days」および「Daily Feeling」をよろしく。前回の更新が有馬記念予想ですかwダイワスカーレットの楽勝ぶりはなんとなく予感はしていて、ただあそこまで競り合える相手がいないとなると牡馬戦線は寂しいな、とも思ったりはする。まあいやはやおめでとう、あなたは強すぎる。十分に余裕のあるローテが見せる技でもあるだろうので、来年もその調子で継続していってくれるといいな。年度代表馬はG12勝のウオッカに譲っちゃったけど。
 有馬記念は観戦予定だったんですが、いけませんでした。前日の飲み会の疲れなどもあって、うん。飲み会のあと全日本フィギュアの録画見て寝たし、帰省の準備も万全じゃなかったということもあって。今年は行こう、必ず。去年はもう秋天見ることが出来ただけで満足はしている。全日本は、村主さん久々と、安藤美姫の3位死守には感動した。安藤美姫は苦しまないでスケートをやってられないのだろう、これからも。常時満身創痍。どこまで行けるのか、その時まで見守っていきたい。

 で、帰省して大晦日は予定通りNHKFMのアニソン三昧ファイナルで年越し。途中寝ちゃって聞きのがしたところもいくつかあるけどまあゲストもわんさか出て一日ずっとアニソンが流れ続けるなんてのは分かる人にしか分からない贅沢な時間。meg rockって歌手だったのか、とか。誰かが言ってたけどアニソン版紅白ですね。
 そんなこんなで年を久しぶりに自宅で越して、ほぼ同時に中学のときの友達から電話がかかってきたのでいつも行く神社に。日本中にある”八幡さん”というやつなんですが。毎年いる陸上部の後輩軍団に会ったりとか、中学の同級生にも3人ほど会えて懐かしかった。卒業以来会ってない子とかにも会えたので。なんで女の子ってあんなに色っぽくなるんでしょうね。変わってないところもあるけど確実に歳を重ねているのが分かる。
 昔は俺は変化を嫌うタイプの人間だったんだが今はちょっと違う気がするなあと思う。東京になじんだとはいわないが、高松に出た一年目よりは遙かに気楽に生きている。ある種殺伐とした日常かもしれないけど、まあそれはそれで。

 今の自分は何なのでしょう、今年俺は何をするのでしょう。思えば2008年は2007年よりも速かった気がして、何もしなくても恐ろしいほどの勢いで時間は流れる。少し休んだから、動き始めなければ、と思うのだけどね。まあ、ちょっとずつなのかな。続けないと、何にしても。
 
 とりあえず誰かさんがやってたように今後の予定をざっと。春休みも含めて。

・期末テストとその勉強
→当たり前。がんばりましょう
・2月から教習所通い再開
→大変だろうけどこっちもがんばりましょう
・アルバイト
→早く慣れてしまいたい
・新しいサークルに
→いくかもしれないいかないかもしれない。今のところをやめるわけではない
・サイトの更新
→Poemsがひどい。さわらなすぎている
・ゼノギアス
→クロノトリガーは後回し
・CLANNAD
→アフターストーリーを楽しむためにファーストを復習。今日は3巻をみました。京アニをなめてた、失礼
・九州旅行
→あくまでもできればの話。帰省するかもしれないのでそのまま九州に行ってしまえば。電車で九州一周、まではいかなくてもしばらくはいたいものですね。バイトもするわけで。大学在学中に日本を制覇する予定、というかできたらいいなあ。残り32県、九州は福岡だけ行ったことある。夏に北陸か東北を予定。避暑地だし( まあもしかしたら九州じゃなく滋賀の可能性もあるが
・世界史の勉強
→まずは近現代から。政経にいて時々わからないことがあるので。歴検3級をもしかしたら受ける方向性かも。やってみないとわからない
・漢検準一級の勉強
→これもできるかどうかわからないが、2級では物足りない気もしてきた。某番組の宇治原メソッドを試そうかと思うが果たして

 思い当たるのはこんなものか。いろいろやることありますね。バイトと車があるので引きこもりにはならずにすみそう。

読了
『悼む人』天童荒太
今年1冊目。うーん、うーん。あくまでも実験作だよね、これは。
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ブログネタ
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【テーマ】年賀状、何枚もらった?

 今日になって3枚も入っててびっくりしたのも含めて13枚。メールは大学の友達から1通。今までで一番少ないけど事情はよく分かるような気はする。同年代は香川を出て一人暮らしが多いだろうから今までと違って年賀状を親から買って来てもらうのではなく自分で買わなきゃいけない、その出費は自分が出さなくちゃいけない。そんな余裕はない、とか。必然的に受け取る枚数が少なくなります。
 送られてきたのが男5女8というのを考えると男が面倒くさがって出さないのがよく分かる(失礼 小さい頃から友達間の手紙や日記文化がある(ような気がする)のが女性陣の多い理由、かな。彼女いない癖にこんなにもらっていいのかどうかが分かりません。ありがとう。まあ、いないからこそもらっても全然オッケーなのかもしれないが。
 男女通じて友達の幅が広いのは俺らしいかもしれませんね。だからこそいよいよ彼女ができないのです。今年は作ろう、とも今のところは考えてません。作る、っていう言葉が好きじゃないかな、うん。できたらいいな、とは思うけどさ。まあもう少し時間にゆとりができたら考えよう。

 今年は少ない中でももらって嬉しいものが多かった。っつーのは去年会った人と会ってない人の枚数はそれぞれ3:10ということでほとんどが会ってない人からのもの。中学のときの陸上部の後輩から進路が決まった、っていうものとか中一のころネットで知り合ってメッセにも登録しているのに去年は結局一度も話す機会がなかった人とか。女性陣は長い手書きの文章なども添えてくれて、すごくありがたい気がした。ただでさえ疎遠になっているとは言えしっかり覚えていてもらえているので、こっちも頑張なあかんなと思えてもくるしね。励みになります。不思議なものです。
 もう一つ面白いのは小中高時代の先生からもらったものが5/13枚で、全て子どもの写った家族写真というお話。本当に子どもっていう子どもなので、殺人的なかわいさにこれまた癒やされる( 
 年賀状は贈り物、が今年のキャッチフレーズだったわけだけどそういうのを一番実感したかもしれない。普段会えない人からの一年に一度の贈り物ですよ(というのは場合によってはロマンチックにすぎる気がします

 こういう時代に年賀状を送るという野暮な習慣がどこまで続くのかが分からない。出しても返ってこない人もいっぱいいるし、俺も今年は出す人を少なくしたんだけど、それでも続けられたらいいな、とは思う。返事を期待して出すってのも変だし、俺が確実に出したい人に出せばいいや、と。出さない人が自分にとってどうでもいいとかそういうのでは決してないけど、俺から受け取った人はまあこれからもよろしく、ということで。
 今年は年賀メールを結局作らずじまいだったからこんなのをネットで書いてもどうしようもないんだが、まあいいや。切手シート当たってるといいなあ。  
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