2008年09月

2008年09月29日

End of the Summer Holidays of '08

 というわけで今日から大学。っても後期は月曜日が4限と5限だけなので、朝のうちに買い物をできるってのがいい。月曜日は牛乳の日なので(あそう
 夏休みのうち8月はすごく満喫したんじゃないかなと思う。バイト、帰省、合宿。9月はちょっと後半にリズムを崩したりあまり思うようにいかなかったのが残念。Seraphic Blueが異様に進んだのは9月の休みのおかげなんだが。あと、9月は映画を見まくった。本はあんまり読んでない。ここまで読まないのは珍しい。多分また近いうちに以前のように読みたくなるだろう。

 ここ最近のことを。25日は追試を受ける。その日の朝に勉強したことがもろ出てくれて助かった。後半はあやふやなまま書いたのでなんとも言えないんだが、追試終わらせたあとは池袋に行ってグレンラガン見てきました。
 舞台挨拶が行われた場所でもあったのか、ポスターにサインびっしり。平日なので人入りは少なかったがスーツを着たサラリーマンや女子が意外と多かったな。追加された新カットの部分はヨーコがカッコよすぎる。冒頭のロージェノムがかすむくらい、そりゃもう。総集編なのでただでさえジェットコースターなストーリーがさらに加速して、それはそれは楽しい2時間だった。全部見終えたあとに聞く中川翔子の「続く世界」が最高にいい。

 そして、28日。急遽高校の同級生2人に新宿で会えるという運びになって、カフェvelocheで3時間くらい話してきた。2人とも女子っていうね。1人は8月にも会った大阪の大学に通ってる人で、もう1人は某有名私大を目指している代ゼミ生。実家が関東なので本校の代ゼミに春から通ってるらしいんだけど、それがめちゃくちゃ楽しいと。浪人して良かったっていう言葉通り、表情を見ても生き生きしてるなーと思った。
 あゆんこさんも同じようなことは言ってたけど、浪人の仕方も人それぞれで、彼女の場合は理想的な生活になってるんだろうと思う。いい刺激をもらった。勉強は単位のためにあらずだよね。再確認。そして俺よりも彼女のほうが断然に新宿駅周辺に詳しい。確認。サザンテラスなんて初めて行ったよ!
 大阪の彼女は、喋り方が面白かった。面白い、っていうのは失礼かもしれんけど。讃岐弁と関西弁が混じった感じで。あとはまあより一層明るくなった感じがしたね。そもそも彼女が東京に遊びに来るっていうので会える運びになったので、感謝感謝。アキバのメイドカフェに行ったり吉祥寺の井の頭公園に行ったり、あっという間の旅行だったようで。

 まずは第一に、夏休み最後の日にデート(のようなもの)できるなんて思いもしなかったので、ありがとう。身近な人からここまで影響をもらうんだ、と痛感してしまった。東京にいるのは俺しかいないのに、東京のど真ん中でこのメンバーで会えるのは不思議な気がして面白かった。
 東京に来て、どこかこう何かしらうまくいかないような、変な感じを背負って、くよくよしたりしていた。それがすごく馬鹿馬鹿しく感じた。東京に来て小さくなったなーと思う。そこまで萎縮したり卑屈になる必要もないのに、どうも嫌なことから逃げようと思っていた自分がいて、それが改めてつまらんと気づいた。まあ、たまに逃げに入るのは仕方ないと思うしその限りにおいてはいいと思う方なんだけど、それを言い訳にしてはいけない、しね。
 もっと思うように生きようと思った。そうしないと、損もしないが得もしない生活になっちまう気がする。苦しみながらももがきながらも前に進みたい。まだそうですらない状態からだとしても。

 と、口先(文先?)だけにならないように。まあ、前述したことが理想だとしても、そこに近づくだけの努力を。前に進め、ってことで。歩いてきた道を、振り返らないように(っていうコピーをなんかの本の帯で見たような

 というわけで、年度後半戦も頑張ろう!ということで。

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2008年09月21日

into the wild 【2007年 アメリカ】

監督・脚本:ショーン・ペン
原作:ジョン・カラカウア『荒野へ』
主演:エミール・ハーシュ(クリス)

劇場:テアトルタイムズスクエア

 「そして僕は歩いていく。まだ見ぬ自分に出会うために」のキャッチコピーそのままの自分探しの物語である。悪く言えば現実からの逃避行、だが。実際映画もそれほど逃避行の旅を賛美しているわけでもなく、かなり皮肉なストーリーだと思う。これが作り物ではなく実話に基づいているというのもあるからだろうし、だからこそあのアラスカの大地の大きさが心に残るのかと思う。

 主人公のクリスはアメリカの裕福な家庭で育つ。大学も抜群の成績で卒業するが、家に帰ったその足で、誰にも告げずアメリカ横断の旅を始めてしまう。自分と同じような放浪者、ヒッピー、自分を気にかけてくれる老人。様々な人に出会い気持ちが揺さぶられながらも、最終目的のアラスカは諦めきれないでいた。

 前半で彼の生い立ちが紹介されるが、それ自体は彼の旅の目的とはそれほど関係もないだろう。この演出は、結局はこの映画が”人のぬくもり”と言ったところに帰結していくとき、ずるいと思った。オスカーで助演男優賞にノミネートされたハル・ホルブルック演じるトレイシー翁の存在がまたひきたてる。独りでいることをクリスは望み続けるが、その過程で出会う人たちは独りではないことを求めている。大切な人と生きていくことこそが、人生なのだと言わんばかりに。もうこのあたりで、クリスの行く末を見守るのが辛くなるから、やはりずるいなあと思う。

 そうした主題とは別の見所はなんといっても圧倒的な映像美。アラスカだけが予告編などでは強調されるが、それ以外のシーンもさすがアメリカと言わんばかりのスケールの大きさを見せつける。どれほどクリスがちっぽけな存在であるか、も同時にだ。それを分かった上でのクリスを演じるエミール・ハーシュが上手いと思うのは、表情の変化なのである。旅の過程で様々な表情を見せることになるが、特にアラスカでの生活における彼の表情はクリスの生き様そのものである。自然と動物への畏敬、自分に対するやみきれない思い。そういうことを考えながら、最後に彼が笑ったか否かを見守って欲しい。

 生きる意味、まだ見ぬ自分。そうしたものを求め続けるのは自然なことなのだと思う。敷かれたレールからとび出して、社会という枠から抜け出して、文字通り自分の道を歩くのはカッコイイとは思う。ただ、あまりにも理想を追い求めすぎるときに、人は大事なものを見失うのだろう。そして人は思う。時すでに遅し、と。

 まあ、だからと言ってクリスの生き様を否定する気はまんざらない。アラスカまでに掴んだもの、そしてアラスカでしかできない経験を得たこと。それは紛れもなくクリスを人間的に成長させた、という事実は否定できない。良くも悪くもだが、人生とはそういうものなのかなとも思わされる。旅をしてもしなくても、冒険(比喩的な意味もこめて)や後悔なくして人生ではない。ただ彼の場合は、その両方のスケールが常人のそれらを逸していただけで。

 楽しく見ることもできる映画だし、見終わったあとの感情はなかなか複雑なもので、実際劇場で見終わったときもしばらく席を立たない人が少なくなかった。個人的には、クリスと近い年齢のうちにこの映画を見ることが出来て良かった、かな。単純だけど。

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2008年09月14日

君の涙、ドナウに流れ ハンガリー1956 【2006年 ハンガリー】

監督:クリスティナ・ゴダ
脚本:ジョー・エスターハスほか
主演:イヴァン・フェニエー(ガルチ)、カタ・ドボー(ヴィキ)


 1956年秋に首都ブダペストで実際に起きた学生と市民のデモとその顛末、いわゆるハンガリー動乱と、メルボルンオリンピックの水球での金メダルという栄光と悲劇の史実を元に作られた映画。水球の選手としてメルボルンオリンピックの金メダルを目指すサボー・ガルチと、ブダペスト工業大学の学生として学生デモを率いる女子大生ヴィキの、それぞれのソ連に対する、そしてその先にある自由に対する闘いの物語。

 序盤にガルチがヴィキに向かって放つ言葉が印象的。「デモで何かが変わるのか?」と。自分の生活を譲りたくないガルチと、憎しみに突き動かされるヴィキとの間にある距離。ヴィキら学生やブダペスト市民たちの続ける行動によってこの距離がどこまで縮まっていくのか、もしくは広がるのか。2人の関係というよりは2人をとりまく集団の関係性に着目させることで単なる恋愛映画ではない映画に仕上げているのがいい。逆に言えば、集団を描写しながら2人の関係に踏み入っている点は評価していい。そのどちらもが、映画の中で表現として崩れていない。

 学生が主体になって行われるデモ。オリンピックでソ連に勝ち金メダルを持ち帰ることだけを考えてガルチたちの取り組む水球。どれも主役は若者であり、その言動にはまっすぐな故の脆さがひそむ。だからだろう、水球の監督(太っちょで、いかにも親父と言ったような)やガルチの母親や祖父の存在や言葉は大きい。ある時はたしなめ、制止し、かつ最後は信頼する。戦うのは若者だが、大人の存在があってこそなのだとさりげないシーンで映画は伝えようとするのがなかなかに面白い。表面では分からない大人たちの思いも、若者に乗っているのだと気づかされるからだ。

 強く生きることが最善の結果を招くわけでもない。それでも、そう生きようとしなければ何も変えられない。この時代のハンガリーの人々のそうした思いは、ヴィキという少女に集約されている。そもそも一学生でしかない彼女には荷が重すぎたのだとあとで気づいたのだが。走り始めた以上、事態がソ連の圧倒的な状態になったとしても彼女は引き返せるわけでもない。

 ただ、ヴィキがこの映画の最後で見せる表情にあれ?と思わされる。あの表情がどういう意図を持って作られたかは確かめようもないが、若干の後悔が滲んでいるように感じたのは気のせいだろうか。学生と市民のデモにしろソ連との戦闘にしろ、全体的に淡々としていて突き放したような映像に思える。

 他方でガルチ。彼はヴィキとは違い最後まで迷い続ける。ヴィキがいるからこそ、彼は悩み続けるのだが。悩まなかったヴィキが最後に見せた表情とは違い、悩み抜いて選んだ自分の生き様を見せつけたガルチの最後の表情はこれも印象的だ。本当に、最初から最後まで対照的な2人の物語だが、2人が出会うことで彼らの人生は加速する。それが皮肉なのかどうかは別として、生き抜くことはどれほどに困難の連続であり苦悩の連続なのだろう。

 そうした中、最後に見せつけられるオリンピックの決勝戦、屈辱のソ連戦は圧巻。これはもはやスポーツではない。ただ、確固としたルールがあるから戦争でもない。このときの彼らほど国を背負うということを意識した瞬間があろうか。過剰なまでの政治的演出が逆に彼らの闘志を奮い立たせる。本気を超えた本気の水球シーンは見物。

 あとはまあ、日本語版タイトルはちょっと大げさすぎるかな?それに引きつけられてこの映画を見ることになるなら面白いかもしれないけれど。

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2008年09月08日

politics,media and movie

 11月上旬に解散総選挙がほぼ確定した模様。次の自民党総裁は完全に中継ぎ首相、ということで。小沢と争えるのは人気なら麻生、政策なら与謝野あたりだろうので、麻生有利の中でどれだけ与謝野が総裁選で票を伸ばすかなーと思いながら。石破や小池は前々からあまりにもテレビの露出が多すぎるし、総裁になれるほど視野が広くない。好きにしろ、とは前にも書いたけど。
 まあこれだけ乱立して見える一番のシナリオは、建前は政策論争で本音は完全に民主党から気を逸らすこと。国民と、メディアの。ニュースや新聞を見てても民主の話題はあまりにも寂しい。総選挙でも政策的に不利ではなく、表面上の露出であまりに不利になるだろう。
 法学の水島センセが今日の直言の最後で「一つの政党の複数の候補者に焦点をあて、政策の「選択」を云々することはできない。有権者は自民党員しかいないのだから。それを公的な出来事のように、メディアが扱うからおかしくなる。国民はもちろん、野党が完全に蚊帳の外に置かれている。これは放送法の公平原則からいっても問題ではないか」と書くのも言い得て妙。そもそもメディアが公平なんか狙うわけないという切なさがにじみ出る。そして”有権者が自民党員”のみの選挙をここまでとりあげることで、逆に見ている側は辟易するけどね。俺らは結局投票できないし(俺は未成年だから総選挙でも蚊帳の外なんだが)総裁選が終わってもこのままだとすぐ総裁選なのだから。

 マスメディア、というところでとりあげると押井守がベネチアで受けたインタビューが面白かった(昨日livedoorで読んだのだがリンクが見つからない・・・)
 曰く、ベネチアで聞かれることは映画の本質やテーマに関わること。たとえばクサナギスイトの「人間は戦争を必要とする」という台詞に結構反響があったらしい、とか。映画を一旦自分の中で消化してから質問に望む姿勢がある、とか言ってたと思う。
 ひるがえって日本ではいきなり監督などに尋ねることが多く、すぐ「みどころは?」と聞かれるらしい。
 日本では、のくくりが全てに当てはまることにはならないだろうが、映画を商品として扱のかと、映画を文化的・芸術的な作品ととらえるかの違いなのだろう。商品ととらえるからには売り込むための文句が必要だし、監督の言葉は捨てがたい。そこで主題や本質の議論をしたところで飽き飽きする消費者(とでも書けばいいのか)が大半だろう。
 ただ、俺もまあそうなんだけど、映画を一つの作品として本質的にとらえようとする場合は一通り見終わったあとに「面白かった」以上に監督に直に聞きたいことがあるのは当然で、それが日本では映画専門誌やその類の番組以外ではなかなか難しいよなあ、と思う。
 「スカイ・クロラ」が国内では雑誌、テレビ、ラジオその他あらゆる面での露出が異様なほど目立っていただけに、ベネチアで本音をつぶやきたかったのだろうね。日本ではなく。

 雑感終わり。いつも以上にまとまり悪いけど。
 今見たい映画は、と聞かれるとグレンラガンの紅蓮編と「イントゥ・ザ・ワイルド」かな。ユーロスペースでやってる「この自由な世界で」なんかも俺好みだが、into〜がなかなか面白そうだしアラスカの映像がめちゃくちゃ綺麗なので、それにふられて見に行きたくなった。グレンラガンは池袋で、into〜は新宿で、「It's a Free World」は渋谷で。メモメモ。

 それはそうと明日は西武ドームで野球観戦の日。ダルビッシュ見てくるよダルビッシュ。西武の予告先発は石井一久だそうで、こっちも楽しみだね。
 あと最近になってマクロスFを見始める。1クールは図書館戦争で意識が飛んでた。今は頑張ってVeohで最初のほうから探して見てる。まだ4話くらいだけど。
 というわけで今頃シェリル・ノームの「ダイヤモンド・クレパス」がヘビーローテーション。

 政治から始まりマクロスで終わらせる日記でした。今日は教習所が定休日なので書くことがないので。

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2008年09月05日

マイネルキッツ

 15時すぎに教習に行ってきます。その空き時間ということで。
 水曜日から行き始めて今日で3日目。まだ車には乗れてないけど、模擬運転なるものを昨日やってギアとかクラッチとかハンドブレーキの使い方を確認。画面の指示に従っただけなのでこれからちゃんと身につけていかないと、ですね。
 
 思えば夏休みに入って日記を書かなさすぎである。忙しいときの合間に綴るくらいが割合好きだったのかな、とも思えるね。去年もそうだったし。
 8月は結構色々あったのです。色んな人と再会して、色んな土地に行って。時間があったら書いてもいいけど、今は今で書きたいことがあるのでとりあえずは書かない。
 最近はもう福田が辞めてさあ総裁選、とかね。もう好きにしろよと言いたい。自民側としては政策アピール、候補者乱立でいかにも劇場型選挙を狙ってる気がする。石原伸晃はともかく山本一太はねえだろと。与謝野馨は完全に黒子だと思ってたのでこの人まで出てくるとは思わない。もう完全に好きにしてくれとしか言えない。

 8月は色々やってきた。色々。さあ9月は何をしよう、ということになる。教習ともう1つ2つの暫定的な予定はあるものも、教習も一日ガチガチではないので空き時間がどうしてもできる。さあ何をしよう、ということで考えた。

1.ゼミの個人プレゼンの準備
 テーマは大体決まってるので下調べと、プレゼンの手法なる本を漁るのもいいかも。時間がそんなに長くないのでいかにコンパクトに、かつ正確に意志を持って、というね。まあ、これは面白そうなので頑張ろう。グループワークのほうのテーマも考えなきゃいけないが。

2.日本語検定2級の勉強
 受験日が個人プレゼンの前日という悲劇。まあ、それまでには間に合ってると思うけど。
 今回は分野別対策もしなきゃいけないと思う。語彙、言葉の使い方とかとか。敬語、文法ももう一回ちゃんと整理して演習を前以上に重ねていく。しかねいかな。
 検定料5000円は痛いなー。

3.Seraphic Blueの攻略
 ここからは遊び。ある程度まとまった時間がないと進まないゲームなのでこの機会に。っても何年俺はこのゲームをやってんだろう(
 昨日久方ぶりにベネディクタ・ティアーズを本気で挑んでなんとかランゲルじいさんは倒した。ここまで来るのに1年はかかってるぞ・・・。去年は受験でほとんどプレイできてないしね。もう、自分のゲームセンスのなさ(というか経験不足)を憎みながらも相変わらず面白いゲームなんでなんとか最後までたどりつきたい。
 「幸せは金で買えないが、安心は金で買えるのだよ」(by ランゲル)
 ここまで切ない人生は送りたかないですがね。

4.『空の境界』or『罪と罰』読破
 これもまとまった時間が必要。電車の中でちまちま読む本ではないと思うので、時間があるときにどっぷり浸れるように。

 こんな感じかなっ。

8月の読了本
『七月七日』古処誠二
『日はまた昇る』ヘミングウェイ
『空の中』有川浩
『街道をゆく 夜話』司馬遼太郎
『犯人に告ぐ(上・下)』雫井脩介
 今年24〜29冊目

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2008年09月01日

スカイ・クロラ【2008年 日本】

監督:押井守
原作:森博嗣『スカイ・クロラ』
脚本:伊藤ちひろ
主演:函南優一(CV:加瀬亮)、草薙水素(CV:菊池凛子)


 見に行く見に行くと言いつつなかなか行けず、今更になって見てきた。平日の昼間に新宿で、その割にはなかなか人の入りもよかったように思う。どれだけの人がこのストーリーを堪能できたかは分からないが、浅かれ深かれ何かしら残るものはあると思う。
 予告編で単純に面白そうと思っただけの人には薦めない。なんというか、少なくともライトな気持ちで見るべきではない。頭をフル回転させながら見ないと勿体ない。逆にそうすれば原作未読者既読者問わず楽しめる映画だ。

 前半は背景を書くことに費やされ、ストーリーの軸がなかなか見えないのは多少しょうがないかなと思われたが、ただその部分が後半にかなり生きてくるとも思う。草薙水素のシャウトや、レストランの描写。世界は豊かになっているが、人心は豊かになっているのか。そもそも何故戦争をすることをやめないのか。そういう背景を丁寧に書き込んだことで後半のカンナミやクサナギの台詞は仕草に重みを持たせる。

 森博嗣の小説はあくまでもファンタジーだった。悲壮感は感じさせない。その新鮮さが受けて、後にシリーズ化されることにもなった。その点を鑑みても押井守の映画は正直別物だ、と思う。この映画は初めにメッセージありきだ。そして、2時間という短い時間の中で伝えられる精一杯のことを表現しようとしている。

 だからこの映画には続編はいらないと思う(強いて作るならクサナギをメインに据えた『ナ・バ・テア』くらいか)。原作に比べればフーコの扱いが寂しいとかはあるんだけど、映画そのものを見たところではフーコの存在は助演女優賞ものに値する。大人だから見せられる気遣い、存在感。登場シーンは少なくとも確実にそれらを示してくれる。フーコの相方の存在がフーコを際だたせているという感じでもあった。他にもオープニングから登場する犬や、クサナギの娘の純真さなどさりげない演出が終盤に向かうにつれキルドレたちが持たざるものを持つ存在、すなわち生に対する実感の保持者として際だっていると思う。一貫しているのは生と死の間の葛藤だから、こういう細かさが憎いなあと思いながら見ていた。そう考えると2時間の中で本当にソツがないのかもしれない。もっともっと気づかなかったことがあるようで。

 テーマについて。生きること、死ぬこと。その双方が現実味を持たないことにキルドレは苦悩する。クサナギがその筆頭格だが、ミツヤ・ミドリを後半に配置したことで原作未読者の人には訴えるものが分かりやすかったかなと思う。感情を表に出すことを厭わないクサナギと、終始平静を保ち続けるカンナミの絡みは対極に存在するがゆえに引き合う力強さを改めて感じた。

 声優について。加瀬亮はカンナミの無機質感そのまま、といった感じで予想以上にはまってた。栗山千明も上手いと思ったが加瀬にカンナミをやらせたのは大収穫だろう。菊池凜子のクサナギはうーん、うーん。感情の抑揚の割には声の抑揚は小さかった気がする。清水愛なんかがやったら面白いかなあと個人的には思った。『ナ・バ・テア』までの原作を読んでるからちょっと納得できなかったのかもしれないけどね。

 今年のベネチアにもノミネートされたようだが、前作「イノセンス」がそうであったように万人受けする映画ではないから多分授賞は難しいだろう。ただ、それを踏まえたらノミネートされてベネチアで上映されること自体に意味があるとも思う。そうして世界(この場合はイタリアだけど)でこの映画が流れるというのことは、それだけ伝えようとするものが広がっていくということだし。

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