2021年11月30日

2021年10月〜11月に言及した情報まとめ #深夜の図書室

 10月は橋迫瑞穂『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』の読書会をした。第2波フェミニズムが間接的にアシストした側面と、現代のフェミニズムが取りこぼしている側面とがあり、歴史的かつ客観的にこの現象を捉えた良書といったところ。




 これは現在進行形だが、11月は濱口桂一郎『働く女子の運命』の読書会をしている。雇用慣行における男女差がいかにして生まれ、どのように歴史的に形成されてきたのかを学ぶことで、現代の日本的なメンバーシップ型雇用(とその限界)を理解する、という切り口。

働く女子の運命 (文春新書)
濱口桂一郎
文藝春秋
2016-01-15



 この濱口本に関しては、このウェブサイトで掲載されてあるスライドに要点がよくまとまっている。



 その他、議論の中で扱った文献がこちら。

ケアの向こう側―看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾
ダニエル・F. チャンブリス
日本看護協会出版会
2002-04-01



自殺のない社会へ
松林 哲也
有斐閣
2013-06-15



ライファーズ 罪に向きあう
坂上 香
みすず書房
2012-08-21






 12月から、今の濱口本が終わり次第ではあるが以下の本の読書会を実施予定。濱口本でも4章でガッツリ以下の本の議論が援用されている。




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2021年11月26日

制度としての恋愛と結婚、マミートラックと雇用慣行を考える ――「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想する(2)



 前回の続き。前回は恋愛結婚の歴史の話を最後にしたわけだが、これはネガティブでもポジティブでもなく、単に近代化によって時代が進むにつれて恋愛結婚が増えてきた、ということを振り返っただけだ。こういうタイトルでものを書くと恋愛や結婚を否定しているとも解釈されるかもしれないが、そういうわけではない。

 あくまで自分が考えたいのは、既存の恋愛や結婚の形は否定しないが、その上でもっと自由で多様だったほうがよいのでは、という問いである。しかしながら自由や多様と言ったところで、抽象的である。したがって、自由や多様が意味するところの具体的な形を構想していく必要があるのではなかろうか、というのが先ほどの問いから生まれる、もうひとつの問いである。基本的には最初から最後までこの二つの問いについて考えていきたい、ということを第2回の冒頭に記しておく。(順番が遅い、というツッコミはとても正しい)

 今回は、前回少しだけ触れたマミートラック問題について改めて考えてみたい。これはつまり、日本の雇用慣行と保育の社会化の限界が婚活に大きな影響を与えているのではないかと解釈している。とりあえず最近読んでいる濱口桂一郎のこちらの本を参照したい。

働く女子の運命 (文春新書)
濱口桂一郎
文藝春秋
2016-01-15





 この本の第4章「均等世代から育休世代へ」でマミートラック問題や育休世代のジレンマ問題(中野円花)が議論されている。濱口の説明によると、マミートラックとは「出産後の女性社員の配属される職域が限定されたり、昇進・昇格にはあまり縁のないキャリアコースに固定されたりすること」(前傾書、p.220)とされている。

 濱口が提案するのは以下のようなことだ。日本には労働時間の柔軟性を導入する第二次ワークライフバランスが活況だが(育休や時短勤務。最近だと在宅ワークの導入もこの流れにあるかもしれない)第一次ワークライフバランスが存在しない。この第一次ワークライフバランスとは、労働時間の硬直性である。pp.231-232でEUの労働時間指令が紹介されているが、具体的には毎日の休息時間、毎週の休息時間、最長労働時間といった休息や労働についての規定のことだ。

 濱口によるとEUの28か国の法律にはこのような規定が入っているが、もちろん日本には存在しない。むしろ36協定などで無限に働き続けてきたのが日本である。この本の出版以降、超過勤務は月45時間などといった規定が導入されてきたが、これでも残業を含めて週48時間労働が規定されている先ほどの労働時間指令に比べると、はるかに長い。勤務間インターバルの議論もこの本の出版以降は時々耳にするが、法制化にはほど遠いだろう。

 さらに提案しているのは、男女ともに無限定ではない働き方を導入することだ。そもそも、「女性活躍」という言葉をやめようと濱口は語っている。なぜならばすでにマミートラックは定員オーバーであり(都市部の保活地獄を見ると確かにその通りだろう)、従来の男性中心的な総合職トラックにマミートラックを付加するような仕組みにそもそも限界があるという指摘をしている。そして、それは女性の労働スタイルを変えるというよりは、男女ともが利用できる無限定ではない労働スタイルを構想したほうがよいのでは、という提案だ。ワークライフバランスの観点を踏まえても男性は男性で総合職トラックで限界を迎えているのは様々指摘されているし、このあとに紹介する筒井のいう「共働き社会」と総合職トラックは相性が良いとは言いづらい。

 とはいえ、以下のような指摘もまた事実だろう。結婚や出産と日本の雇用慣行は相性が悪いまま魔改造されていくことがよくわかる(とてもつらい)。

 残念ながら、今日まで限定正社員、ジョブ型正社員に関する議論は結構盛んに行われているにも関わらず、それはほとんどもっぱら職務限定正社員や勤務地限定正社員であり、それゆえにまた解雇規制との関係でその是非が熱っぽく議論されているのですが、ワークライフバランスを確保するという観点からの時間限定正社員という議論は、あまり関心の対象になっていません。そのこと自体が、この問題へのバイアスを示しているように思われます。(p.239)


 また、筒井淳也『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みづらいのか』第3章「女性の社会進出と『日本的な働き方』」の中で、以下のように書いている。
 日本の置かれた現状からすれば、とりうる道は限られる。日本の直面する大きな課題は、長期的な労働力不足、社会保障の担い手不足である。この問題を緩和するためには、出生率を上昇させる、女性の労働力参加率を上げる、外国人労働者を受け入れるといったことが必要になる。第2章で指摘したように、女性が長期的に働き続けられる見込みが得られる「共働き社会」を実現することができれば、出生力と女性の労働力参加率をともに高めることができる。そして共働き社会の条件として、これまでの男性的な働き方、つまり無限定な働き方を制限すること、外部労働市場を活性化させること、職務単位の働き方を拡充させることが必要になるだろう。(筒井(2015)、p.118)




 筒井は濱口や熊沢『能力主義と企業社会』の議論を引きなつつ少子化や労働力不足の話もしている(たとえば最後の職務単位の働き方は、濱口のいうジョブ型の議論を利用していると言えるだろう)わけだが、マミートラック問題をいかにして克服するかという着眼点は濱口とも近いものがある。

 さて、濱口と筒井がいずれも2015年に刊行した新書において、それぞれがマミートラックに触れている部分を紹介してきた。マミートラックとこの連載のいう、「恋愛関係の外側にある親密さ」では関係がないのではないか。それは結婚したカップルの話ではないか、と思う人もいるだろう。しかしここで重要なのは、マミー、つまり「子育てをする母親」と雇用慣行の相性の悪さなのである。もはや言うに及ばずだが、日本のシングルマザーの平均所得かなり少ない部類に入る。これは、結婚した母も、離婚した母も、いずれもが同じようにマミートラックを走らされているからではないかと想定できる。これこそ、濱口の言う「働く女子の運命」、つまり、日本では女性であるというだけで雇用において不可思議とも差別的とも言える扱いを受けてしまうことの帰結である。

 しかしながら、離婚したシングルマザーは離婚する前よりも幸福度が高いという指摘を、神原文子による詳細な調査は示している。彼女の調査によると、離婚したくてもできない(「プレ子づれシングル」という言葉を神原は適用している)状態のほうが生きづらさを抱えると指摘することができるようだ。彼女の調査をした多くの女性たちは、離婚したことを後悔していないとも語っている。これは正規雇用の女性も、非正規雇用の女性にも見られる心理であるようだ。

 結婚(法律婚)とは「国家が承認する親密さ」であるが、現実には結婚したカップルの1/3は離婚を経験する。これほどの数字を示す現実においても、離婚は望ましくないという社会的な規範はいまだに強い。それでも、生きづらさが少しでも軽減したり、後悔しないという心理的な帰結をもたらすのであれば、「国家が承認する親密さ」から自由になることは、ひとつの重要な選択肢として機能しているのだろう。しかしながらマミートラック問題を克服しない限り、またすでに限界を迎えている保育の社会化を再構築しない限り、シングルマザーの貧困といった社会課題は容易に克服しえないのも事実だろう。経済的な問題は貧困だけでなく、健康状態にも悪い影響を及ぼすことは、COVID-19以降に女性の自殺者が増えているという事実からも改めて指摘しておきたい。


 
 「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想するために今回はあえてその内側に潜ってみたが、後半にのべた結婚→離婚というベクトルを見ると内と外はやはりひと繋がりのあるものだとも言えるだろう。今回は雇用慣行や離婚について焦点を当ててきたので、次はいよいよ結婚について考えていきたいと思っている。(あくまで予定なので変更の可能性はあります)


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2021年11月25日

フラート、クワロマンティック、重要な他者 ――「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想する(1)

 恋愛の外側、つまり友達以上恋人未満の感情や持つ異性との関係性について、少し前から考え続けている。以前、桃山商事のイベントレポート記事(詳しくは以下のリンクを参照)で「フラート」という概念を知ったとき、これはなにかに使えるかもしれないなとは感じていた。



 「フラート」とはこの記事によると、「友達以上恋人未満の関係を楽しむ」とか「恋の戯れ」といったところらしい。はっきりとした恋愛関係ではないものの、限りなくそこに近いものとして。あるいは、あらかじめそうではないと割りきった上で楽しむ(戯れる)ような関係、とでも解釈をした。日本語の文脈にある「友達以上恋人未満」という言葉には、「恋愛関係にはなりたいけどなれないもどかしさ」が内包されているイメージだが、「フラート」だともう少しこの文脈を脱色して、「別に恋愛関係にならなくてもいいのでは」「恋愛関係でなくても、恋愛のような関係を結んでもいいのでは」というカジュアルさを感じた。

 とはいえ、これでもやはり「恋愛関係とそれ以外」という形で恋愛関係が基準になっているもどかしさもあった。このもやもやをもう少し深掘りしてくれるかもしれない概念として、「クワロマンティック(クォイロマンティック)」なるものがあることを、『現代思想』2021年9月号におけるレロ(中村香住)の論考で知ることができた。彼女とは学生時代以来、ゆるく関係を続けているがこうした形で彼女の議論に着目する機会が来るとは、なかなか人生面白いものだなとも感じる。
 

 このツイートに続くスレッドで彼女が説明しているように、ギデンズの概念がベースにあることが指摘できることや、そこからさらに先ほどの概念を発展させて「重要な他者」という構想を提示している。この構想は、ただの友達でもなければ恋愛関係にもない、だが特別な意味を持つ他者を指す際に有効なのではないか、というのが彼女の主張だ。

 今の自分が保持している親密さにとってフラート、クワロマンティック、重要な他者といったワードのいずれが有効なのかは正直まだよくわからないが、「恋愛関係の外側」を位置する概念や構想と複数出会うことができたのは、自分の気持ちを軽くしてくれているなと思う。以前からすでに型にはまった親密な関係性を示す言葉(恋愛、結婚など)にずっと違和感があった。

 学生時代のある時期から女友達が少しずつ増えていった。高校は文系クラスの半分以上が女子だったので、彼女たちとの関係を作ることは自然と必要だった(そうでないと疎外されるかも、というおそれもあった)。そうして関係をつくっていった女友達やクラスメイトの中には、恋愛感情ではないけれど、普通の友達以上の感情を持っていた人も何人かいた。そうした女友達(男ではない、くらいの意味であえて女友達という表記にしておく)との関係性の遍歴を振り返ったり、いま自分が保持している親密さを考えた時に、やはりこういった関係性いついてきちんと言語化していたいなと思ったのだ。

 先ほど挙げた『現代思想』の巻頭対談(高橋幸+永田夏来)において、現代の若者のほうが結婚観が保守化、コンサバ化しているのではないかという指摘がされていた。昨今の婚活、妊活、あるいは保活の動向などを見ていても、いい人がいればいち早く結婚、出産をして仕事に復帰し、子育てと自分の生活を両立していきたいという若い世代は確かに一定数存在するなと思う。(マミートラック問題を踏まえると、こうした戦略をとるカップルが存在するのは妥当だと言えるだろう)

 そうした現代的な、つまり男女共同参画とワークライフバランスが融合した世界観において、結婚や出産は一定程度所与のものとして語られがちである。もちろん、積極的にDINKSを選ぶカップルもいるし、出産したくてもできずに不妊治療に長い時間をかけるカップルもいるから出産は必ずしも所与とは言えないが、「結婚したらいずれ子どもを持つものだ」という社会規範はまだまだ強い。

 どんな時代においても社会規範は一定の影響力を持つので、規範から完全に自由になることは現実的には難しい。ただ、ここ10年くらいの間にセクシャル・マイノリティの存在が一気に可視化されたり、多様性やダイバーシティという言葉が一気に流通したことを考えると、さすがにもうそろそろ「みんないずれ結婚して子どもを持つものだ」という規範から自由になってもいいのではないだろうか、と思っている。

 これは加藤秀一が詳細に提示していることであるが、そもそも日本において「恋愛」という概念すら非常に新しい。そもそもが近代化にあたって輸入した概念でありる。また、「恋愛結婚」の広がりはそもそも戦後のトレンドであって、私たちの親世代(戦後〜1960年代生まれ)が従来の見合いや縁組といった方法を超えてようやく手に入れたスタイルである。



 すでに先行研究(?)の紹介だけで分量が長くなったので続きは別の機会に改めて言語化したい。ここまでレビューしてきたことや自分自身の経験的な事実を踏まえながら、「恋愛関係の外側に位置する親密さ」についてもう少し丁寧に考えていきたいと考えている。

 あと、この文献読んだらいいよとか、こういう概念や構想があるよっていう情報をいつでもお待ちしておりますのでご存じの方はぜひ教えてください。 

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2021年11月22日

何もないようで、小さな何かが起こり続ける ――『自由が丘で』(韓国、2014年)



見:Jaiho

 60分を少し超えるくらいの短い映画で、登場人物も限られた人数しかいない。加瀬亮演じるモリという日本人の青年が韓国を訪れ、ある女性を探すだけというシンプルなストーリーだ。モリは韓国で親密にしていた女性がいたが、あるときから連絡がとれなくなり、彼女を追いかけて韓国に来た。会話の流れを見ていると、仕事を辞めて韓国にまで来たようで、ただ単に人探しに来たわけではなさそうである。

 そのモリだが、本当に人探しをしているのかどうかが、映画が進んでいくとよくわからなくなってくる。あるときは宿泊しているゲストハウス近くのカフェのマスター(女性)と懇意になり、彼女の部屋を訪れることもある。またあるときは、同じ宿で暮らしている男性と飲みに出掛けることもある。モリは結局何をしにわざわざ韓国にまで来たんだっけ? と疑わしくなる場面がやたら多い。

 そしてもうひとつ気になるのは、モリが毎日一冊の文庫本を持ち歩いていることだ。表紙から察して検索すると、講談社文芸文庫から出ている吉田健一の『時間』だということがわかるが、まさにこのタイトルである「時間」が非常にくせ者なのである。なぜならば、本作でもっとも重要なのが時間だからである。

 「自由が丘で」とあるのは、モリの通うカフェの店名が「自由が丘8丁目」という日本(東京?)を意識したらしい店名だからなのだが、この空間において時間は単線的に流れない。なぜなのか、その仕掛けは映画の中で明かされていて、なるほどと思う。

 しかし、仕掛けがわかったところで新たに疑問に思うのは、結局モリは意中の女性と出会えたのかということだ。映画はこの女性を前半は不在なまま描写するが、後半ははっきり登場させるようになる。彼女は実は不在でもないし死んでいるわけでもなく、生きている。ただいくつかの事情があって、行方をくらましていたことは説明される。そして、モリも彼女の再会を果たす。ではこの映画はハッピーエンドと言えるのか?

 それがまたよくわからないのが、この映画における時間のトリックだ。現実の時間は不可逆には流れないし、フィクションの中でもその規律を守ることが多い。ただこの映画は、ある仕掛けによってその規律を順守しなくても成り立つ設定に仕立てあげた。そうした時間の歪みと、モリのふらふらとした韓国での暮らしとが妙にマッチして仕方ない、そういう不思議な映画なのである。

 モリの日々には何もないように見えて、あらゆる小さな出来事が起きている。そうしたディティールに目を凝らすことで起きるドラマ、いわゆる日常系アニメが得意として来た手法も実は取り入れられているように思えた。日常系の手法と、時間の流れが曖昧に感じさせる手法の相性のよさは、日本のアニオタならよく知っていることだ。

自由が丘で(字幕版)
ユン・ヨジョン
2015-07-24



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2021年11月04日

2021年9月&10月の読書記録





 1枚目が9月、2枚目が10月に読んだ本。9月は読書メーターのログをまとめ忘れていたが、試験の関係で少ない月でした。
 以下、10月の詳細。

10月の読書メーター
読んだ本の数:33
読んだページ数:8609
ナイス数:44

別冊NHK100分de名著 集中講義 河合隼雄: こころの深層を探る (教養・文化シリーズ 別冊NHK100分de名著)別冊NHK100分de名著 集中講義 河合隼雄: こころの深層を探る (教養・文化シリーズ 別冊NHK100分de名著)
読了日:10月01日 著者:河合 俊雄
競馬 伝説の名勝負 1990-1994 90年代前半戦 (星海社新書)競馬 伝説の名勝負 1990-1994 90年代前半戦 (星海社新書)
読了日:10月03日 著者:小川隆行+ウマフリ,浅羽 晃,緒方 きしん,勝木 淳,久保木 正則,齊藤 翔人,榊 俊介,並木 ポラオ,秀間 翔哉,和田 章郎
日本の地方議会-都市のジレンマ、消滅危機の町村 (中公新書)日本の地方議会-都市のジレンマ、消滅危機の町村 (中公新書)
読了日:10月05日 著者:辻 陽
別の人別の人
読了日:10月07日 著者:カン・ファギル
閑窓vol.4 学窓の君へ閑窓vol.4 学窓の君へ感想
同人誌としてのテーマやコンセプトがしっかりしており、よくできたオムニバス短編集となっている。瀬戸千歳の2作品と貝塚円花の短編がお見事。表紙モデルの女性は瀬戸作品にも登場しており、小説との親和性の高さが丹念に構築されていた。架空の中高一貫校を舞台として生徒や教師が様々登場するが、百合かなと思わせる短編が複数ありとても良かった。
読了日:10月09日 著者:閑窓社
社会保障の国際動向と日本の課題 (放送大学教材)社会保障の国際動向と日本の課題 (放送大学教材)
読了日:10月10日 著者:埋橋 孝文,居神 浩
女ふたり、暮らしています。女ふたり、暮らしています。
読了日:10月11日 著者:キム・ハナ,ファン・ソヌ
甲子園は通過点です―勝利至上主義と決別した男たち―(新潮新書)甲子園は通過点です―勝利至上主義と決別した男たち―(新潮新書)感想
ちょうど今日ドラフトにかかった天理高校の達の歩みと発言を記録した第8章がなかなか面白い。常に目標にはダルビッシュやシャーザーやカーショウがいて、近づくための足跡が具体的にイメージ出来ている。
読了日:10月11日 著者:氏原英明
自制心の足りないあなたへ: セルフコントロールの心理学自制心の足りないあなたへ: セルフコントロールの心理学
読了日:10月13日 著者:尾崎 由佳
ヘミングウェイ スペシャル 2021年10月 (NHK100分de名著)ヘミングウェイ スペシャル 2021年10月 (NHK100分de名著)感想
多文化的で多様性に富んでいて、脱異性愛主義的な作風は現代に読み直してこそ面白い、というアプローチ。ヘミングウェイ自身にマッチョさと弱さが同居するところは色々示唆があるかもしれない。
読了日:10月13日 著者:都甲 幸治
【重版5刷】人生を狂わす名著50(ライツ社)【重版5刷】人生を狂わす名著50(ライツ社)感想
最初に紹介されている『高慢と偏見』の解説がめちゃくちゃ面白く、というかその後の文章が全て面白く、最後までゲラゲラ笑いながら、かつ時々内容に刺さりながら読み終えた。楽しかったー!
読了日:10月13日 著者:三宅香帆
いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)
読了日:10月15日 著者:ミランダ・ジュライ
うたうおばけうたうおばけ
読了日:10月15日 著者:くどうれいん
紫ノ宮沙霧のビブリオセラピー 夢音堂書店と秘密の本棚 (新潮文庫)紫ノ宮沙霧のビブリオセラピー 夢音堂書店と秘密の本棚 (新潮文庫)
読了日:10月16日 著者:坂上 秋成
影裏 (文春文庫)影裏 (文春文庫)
読了日:10月16日 著者:沼田 真佑
ASSORT MIX 一穂ミチデビュー10周年記念応募者全員サービスASSORT MIX 一穂ミチデビュー10周年記念応募者全員サービス
読了日:10月17日 著者:一穂ミチ
傲慢と善良傲慢と善良感想
前半はこれが辻村版の高慢と偏見なのか?と半ばノれない部分もあったが、オースティンばりの悪女が真実を暴露して以降のドタバタする展開は確かにオースティンもびっくりの展開だったと思う。そしてそれを一番綺麗な形でオチに落とし込んだのはミステリーでデビューした辻村らしいうまさ。お見事でした。
読了日:10月17日 著者:辻村 深月
挑発する少女小説 (河出新書)挑発する少女小説 (河出新書)感想
一種のフェミニズム批評として面白く読んだ。とりあえずkindleで積んであったあしながおじさんを読みます。
読了日:10月17日 著者:斎藤美奈子
対人援助の作法: 誰かの力になりたいあなたに必要なコミュニケーションスキル対人援助の作法: 誰かの力になりたいあなたに必要なコミュニケーションスキル
読了日:10月17日 著者:竹田 伸也
リベラリズムとは何か (ちくま学芸文庫)リベラリズムとは何か (ちくま学芸文庫)
読了日:10月18日 著者:マイケル・フリーデン
「女性向け風俗」の現場 彼女たちは何を求めているのか? (光文社新書)「女性向け風俗」の現場 彼女たちは何を求めているのか? (光文社新書)感想
裏テーマは男性への性教育だなという感想を持った。あと、ある種の「手の倫理」というか、触れる/触るの絶妙な駆け引きが行われている話でもあるなと思って読んだ。あくまで著者の観測範囲の話であって、断定的なところは割引いて読んでもいいとは思うが(後書きにホワイトハンズの人の名前が出てくるのは少し引っかかるところではある)ネトフリで配信されている『セックス・エデュケーション』に近い面白さがある本。
読了日:10月19日 著者:柾木 寛
管理される心―感情が商品になるとき管理される心―感情が商品になるとき
読了日:10月20日 著者:A.R. ホックシールド
妊娠小説 (ちくま文庫)妊娠小説 (ちくま文庫)
読了日:10月21日 著者:斎藤 美奈子
閑窓vol.3 閑日月に捧ぐ閑窓vol.3 閑日月に捧ぐ
読了日:10月22日 著者:閑窓社
(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法
読了日:10月24日 著者:三宅 香帆
心とからだの倫理学 ――エンハンスメントから考える (ちくまプリマー新書)心とからだの倫理学 ――エンハンスメントから考える (ちくまプリマー新書)
読了日:10月25日 著者:佐藤 岳詩
分裂と統合の日本政治 ― 統治機構改革と政党システムの変容分裂と統合の日本政治 ― 統治機構改革と政党システムの変容
読了日:10月26日 著者:砂原 庸介
妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ (集英社新書)妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ (集英社新書)
読了日:10月26日 著者:橋迫 瑞穂
あたらしい無職 (SERIES3/4 2)あたらしい無職 (SERIES3/4 2)
読了日:10月27日 著者:丹野未雪
甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実 (集英社文庫)甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実 (集英社文庫)
読了日:10月28日 著者:中村 計
反共感論―社会はいかに判断を誤るか反共感論―社会はいかに判断を誤るか
読了日:10月29日 著者:ポール・ブルーム
知ってるつもり: 無知の科学 (ハヤカワ文庫 NF 578)知ってるつもり: 無知の科学 (ハヤカワ文庫 NF 578)
読了日:10月31日 著者:スティーブン・スローマン,フィリップ・ファーンバック,Steven Sloman,Philip Fernbach
師弟 (講談社文庫)師弟 (講談社文庫)
読了日:10月31日 著者:野村 克也,宮本 慎也

読書メーター



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2021年10月18日

学習と飛躍 ――『ハイキュー!! TO THE TOP』(2020年)

第1話 「自己紹介」
宮野真守
2020-01-12


 前回までで春高予選が終わり、事前の合宿や練習試合などを挟んで春高本戦に突入していくハイキュー4期。25話あるが、ほとんど一気に見てしまえるくらい今回もめちゃくちゃ面白かった。長いこと見続けているとキャラクターの成長が端々に垣間見えて面白いが、4期でもそういった要素は顕著に表れている。

 春高本戦は9話あたりから始まるので、それまでは本戦前の12月の過ごし方が焦点となる。全日本ユースの合宿に召集される影山と、白鳥沢での合宿になぜか勝手に参加する日向という対照的な時間の使い方にはさすがに笑ってしまったが、この対照的な時間の使い方が実に面白いのだ。日向は勝手に参加した(召集されてないのに突撃した)のでもちろん練習には参加させてもらえない。「ボール拾いなめんなよ」という烏野の監督からの助言を受けて徹底的にボール拾いとその他もろもろ(洗濯、掃除、モップがけ等)に取り組むのだが、この姿勢が面白かった。

 影山もそうだが、1年生でありながらレギュラーとしてチームを支えるスーパー1年生コンビの二人は、しかしながらまだ1年生なのである。才能は疑いようがないが、同じくらい粗さもある。技術的な粗さ、精神的な粗さいずれも持つ二人はそれに自覚があったりなかったり。逆に言うと、スーパーな才能を伸ばすだけの伸びしろがまだまだあるということだ。だから影山も日向も、その伸びしろにチャレンジする12月を過ごす。

 そうした12月の「学習」を経て、1月の春高本戦での「飛躍」へ。クライマックスとなる優勝候補の稲荷崎戦は非常に面白い。白鳥沢との県大会決勝は文字通りコンセプトの戦い、いわば異なる戦術のぶつかり合いだったが、稲荷崎戦はもっと具体的な才能と才能のバトルであり、組織と組織のバトルとなっている。サブメンバー含めて層の厚い稲荷崎に対いて、個々の能力を絶妙に組み合わせることで一戦一戦を乗り越えてきた烏野。実力的には明らかに劣る中、いかに稲荷崎を攻略していくのか。

 ここで先ほどの学習が生きてくる。学習は何も12月だけでない。影山も日向も、試合の中でさらに学習していくのだ。相手の出方に応じて戦術を組み合わせることで勝ってきた烏野の組織としての持ち味が、影山と日向の学習によってさらに生きていく。1-1で迎えた3セット目をとれたのは、間違いなく前の2セットの学習があったからだ。

 例によってフルセットにもつれる激戦だが、バレーボールの面白さである攻守の駆け引きは最後の最後まで息を吞む。3回戦の音駒の様子も途中で映されるようにまだまだ強い敵が出てくるはずで、まだ見ぬ5期を今から楽しみにしていたい。

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2021年10月04日

静かな夏、追憶と癒しの旅 ーー『サマーフィーリング』(フランス、2019年)





 前回アンデルシュ・ダニエルセン・リーが主演した映画を見たので、その流れで彼が出ている映画を見ようと思った時にたまたまアマプラに入っていた本作を選んだ。もう今年の日本では夏が終わったが、あらすじを見ているとむしろ夏の終わりの余韻にこそふさわしい映画なのではというイメージがわいてきたので、タイミングとして悪いものではないだろうと考えた。

 結果的に、その予感は当たっていたかなと思う。フランス映画らしい、間の多さや、ストーリーの曖昧さ、希薄さを前提にしつつ、だからこそこうした特定の個人への追憶といったテーマは当てはまる。冒頭でサシャという女性の死が語られる。彼女が病院のベッドで横たわるシーンは一瞬描かれるものの、彼女の死そのものは描かれない。必然、これは残された者たちの物語になっていくことが早い段階で予見される。

 アンデルシュ・ダニエルセン・リーは、残されたサシャの恋人であるロレンスを演じている。今回も彼は『オスロ、8月31日』で好演したアンデシュのように、繊細で感傷的で、内向的なロレンスを丁寧に演じている。彼が選ぶ言葉ひとつひとつが、サシャへの追憶を伴っていることがよくわかる。その上で、サシャの遺族を彼は巡っていく。村上春樹が『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』ほどミステリー要素はない(サシャの死の謎は、残されたまま提示されない)が、その代わりロレンスが自分自身と他者を癒すための旅を始める。

 ベルリン、パリを経てニューヨークまで。彼は一人で旅をする。そしてその過程で何人かの女性と出会っていく。誰もがサシャの死の傷を抱えており、癒しを必要としている。それが新しい恋愛になるわけではない。ある女性の言った、私を接待しないで、という言葉も印象に残った。それを笑って受け止めるロレンスの繊細さと優しさが、画面の中に染み渡ってゆく。

 公園やプールやクラブなど、人が集まる場所にも出向く。こうすることで、孤立しないこと、気をまぎらわすこと、ちゃんと日常を取り戻すことなど、いろいろな意味があるのだろうと感じた。そして何より、サシャが生きられなかった夏を、静かに楽しんでいるようにも思えた。

 残された人間にできることは、生き続けることしかない。そういうことなのかもしれない。ごくごくシンプルだけど、重要なことを丁寧に撮った美しい映画である。

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2021年10月02日

伝統や慣習を蹴飛ばして急展開で進む恋愛関係の複雑さ、面白さ ーー『高慢と偏見』(イギリス、1995年)

#1
2018-11-18


 今年は意識的にジェイン・オースティンの長編小説を読み進めているわけだが、彼女の作品は繰り返し映像化されており、中でも1940年に映画化されて以降、繰り返し映像化されているのが『高慢と偏見』である。最近では『プライドと偏見』という邦題で映画化されており、こちらもプライムビデオで視聴することができる(わたしはまだ見てないのでいずれ)。

 さて1995年にBBCによって映像化された本作は、全6話と日本の連続ドラマに比べるとそう長いわけではない(映画よりはボリュームがあるが)。故に序盤はある程度小説に沿って進むものも、中盤以降(ウィッカムやコリンズが登場してから)は急展開と言ってもいいほどハイテンポにストーリーが進展していく。故に重要なのは細やかな心理描写というよりも、個々の人間関係における駆け引きに焦点が当たっていくことになる。

 ここで言う駆け引きは単に恋愛関係における感情の綱引きではなくって、当時の結婚観や身分、言わば伝統や慣習といった制度的なものに制約された駆け引きだ。例えばベネット家のベネット夫人は原作から飛び出たほど豪快かつおしゃべりでおせっかいであり、冒頭のビングリーに対する反応はコメディかと思うほど大騒ぎをする。

 他方で、ダーシーの印象の悪さや、ウィッカムと駆け落ちした末娘リディアに対する厳しい反応も、ちょうど反転させた程度には大袈裟である。姉妹たちの父であるベネット氏は娘の行く末にさほど関心はないが、関心がないがゆえにエリザベスを擁護するという夫婦間のちぐはぐさはドラマの中でも皮肉を込めて描写されていた(ただこのちぐはぐさがエリザベスとダーシーのドラマを用意するとも言えよう)。

 とはいえそういった周囲の反応(末娘リディアの反応もなかなかである)が姉ジェインや、主人公エリザベスに戸惑いを与える。今とは比較にならないくらい女性の地位が低く、恋愛や結婚も個人の意思より家族親族など周囲の思惑が大きな影響を与える。しかしだからこそ、ジェインとエリザベスはそうした周囲の反応もうまく利用しながら、かつ自分の意思を大事にする。結婚という、自分にとっての幸せを探すために、である。

 最終話、あと15分ほどでドラマが終わろうかと思うとき、つまりもうエリザベスとダーシーが相思相愛であることを確認しているにも関わらず、ある親族のおばさんがエリザベスに対してこの結婚は反対だ、と面と向かって突きつける。なかなか、このドラマらしい展開だなあと思うとともに、最後までエリザベスのエリザベスらしさ、つまり周囲がどう思おうと自分の意思を貫く強さ、独立した個人としての女性といった側面が強調されている。現代の視点でジェイン・オースティンを読むときにフェミニズム的だと評価されるのは、こうした女性個人の意思をオースティンが強く描いたからでもあるだろう。

 「私は自分の幸せを考えて行動します」こう言い切るエリザベスの気持ちは、普段は控えめで賢い長女を演じるジェインにも共有されているはずだ。たびたびパジャマ姿で寝室で二人が語り合うシーンがドラマの中に登場するが、周囲のあれやこれやから逃れてプライベートかつ率直な会話を楽しむ二人のシーンには、シスターフッド的な妙味も感じられる(実際の姉妹に対してシスターフッドという形容が正しいかはよくわからないが)。やはり現代に見直しても面白いのがジェイン・オースティンである。



 小説の書評をmediumに掲載しているのでこちらもどうぞ。

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2021年09月30日

克服できない孤立と、印象的な夏の終わり ――『オスロ、8月31日』(ノルウェー、2011年)



見:Jaiho

 『アワ・ボディ』に続いてJaihoで配信されている中から気になっていた『オスロ、8月31日』を見てみた。『7月22日』で大量殺人犯のブレイビクを冷酷に演じたアンデルシュ・ダニエルセン・リーが、この映画では34歳の薬物依存患者アンデシュを好演している。彼の特徴は、孤独かつ孤立である。孤独なだけならまだよいかもしれない。ただ、リハビリ施設に入所し、つかの間の「社会」でのひとときを過ごす様子を描くこの映画は、徹底的にアンデシュがいかに社会から孤立した、取り残された存在であるかを描き出す。

 例えば映画の前半で就職活動をするシーンがある。雑誌出版社への面接に足を運び、実際に面接を受けるが、次第に彼は意欲を失っていく。面接の前にはある友人夫妻を訪問しているが、依存症患者で職歴もバラバラな34歳の自分には何もないことを実感させられる。その無力感を再確認した就活の面接で彼は、本当に自分には何も残されていないと悟る(もちろんこれは彼の思いこみ、ではあるのだが)。

 自分には何もない、今もこの先も。ある意味俗にいう「無敵の人」に近い存在になったアンデシュがどういった行動を起こすのかをそわそわしながら見守ることになる。ただ、何か特別なアクションを起こすというより、残された時間をどう生きるのかというミクロな行動や感情の生起に焦点が当たっていく。人生のそのどうしようも無さがそこかしこに表出しているのを淡々と撮り続けるカメラと、表情や言葉の些細な変化で演じるアンデルシュ・ダニエルセンー・リーの演技がとてもよかったと言える。『7月22日』とは違った意味で、まともな感情を失ったキャラクターを演じるのが抜群にうまい。

 夏の終わりでもある8月31日に向けて進むストーリーのせいか、あえてドラマチックに、印象に残るように作っている要素もある。束の間の夢のようでもあり、しかしそれは夢ではなく現実の一部でもあるというアンビバレンスさを詰め込んだ夜から朝にかけてのシークエンスは、アンデシュの心の動きとはおそらく連動していない。彼の心の動きとは無関係に周囲の人間たちはリアルな時間を生きている。ゆえに孤立が際立つ。

 こうした孤立の克服できなさをいくつもの場面で経験することになるアンデシュにとって、このオチ以外はないのだろうという終わり方を選択する。良くも悪くもそれだけと言える映画かもしれないが、社会の中(の人間関係)における孤立、あるいは社会の外にある孤立(社会の中になじむことができない疎外感や無力感など)を描いた映画としては白眉な作品だと言えるだろう。

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2021年09月29日

圧倒的な個の力に抗する組織の連動性とその魅力 ――『ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校』(2016年)

ごあいさつ
村瀬歩
2016-10-09


 前回に引き続きAbemaの一挙放送を利用してハイキューの3期を視聴した。2回くらいに分けてみようと思ったが、1.3倍速で見ると3時間くらいで最後まで一気に完走できたのでこれはこれでよかったかもしれない。前回の感想はこちらからどうぞ。



 アニメ2期終了から半年後に放映というスケジュールのタイトさゆえか、春高予選決勝戦となる白鳥沢高校戦のみを10話費やして描くという、チャレンジングではあるがシンプルな構成は面白かった。1クール12話前後を費やすアニメの世界で10話に収めた事情は詳しく知らないし、フルセットにもつれた試合の中で第3セットは完全に省略されているのもやや驚いたが(原作未読のため照合ができず)、とはいえ3期の狙いである「コンセプトの戦い」が一貫した10話分だったなと感じる。良くも悪くも両チームのコンセプトの違いだけを徹底的に表現したシリーズだったからだ。

 良い点は現代バレーボールの面白さを青葉城西戦と違う形で表現したことだ。白鳥沢は分かりやすいくらいに個が強い。牛島を筆頭にしながら、かつ牛島だけではないチームを作り上げているからこそ隙がない。牛島という圧倒的な攻撃力があるからこそ、覚のような個性的な選手が生きる道がある。烏野のようなチームとしての連動性には欠けるものの、守備に大きな隙がなく、かつ攻撃では超高校級の強さを見せることによって常にリードしてゲームを進めるのが白鳥沢の強さとして描かれている。準決勝までは1セットも落とさず、決勝の烏野戦でも1セット目は余裕で制していた。

 結果的に、烏野の戦略としてはいかに組織として白鳥沢の攻撃を打開するかという発想になってくる。ディフェンスにおいては強力な牛島のスパイクをいかに防ぐか、攻撃においては覚のようなギャンブル的にジャンプしてブロックを決めてくる選手をいかに攻略するか。もちろん二人だけではないということもゲームが進むにつれて見えてくるわけで、バレーボールはベンチを含めたトータルな選手のコーディネートが重要なスポーツだということも改めて実感させられた。

 攻撃も守備も、組織でやる以上全員のスタミナが疲弊していく。準決勝までは3セットマッチだったため、未知の4セット、5セットをいかにして取っていくのかというのも見どころとなっていた。10話で1試合という、シンプルで攻めた構成だからこそ味わえる、現代スポーツアニメとしては珠玉の作品となっている。

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